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淡い縦模様の入ったシンプルな表紙

書籍名

十七世紀日本の秩序形成

著者名

木村 直樹、 牧原 成征 (編)

判型など

294ページ、A5判

言語

日本語

発行年月日

2018年2月28日

ISBN コード

9784642034869

出版社

吉川弘文館

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十七世紀日本の秩序形成

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本書は、17世紀の日本について、9人の様々な研究成果を集めて考えようとした論文集である。
 
16世紀は東アジア全体で激動の時代だった。それまでの国家による秩序が大きく動揺し、国際的な銀の流通によって、商業や軍事に基盤をおく新しい勢力・権力が台頭してきた。それが満洲族の清朝や日本の豊臣政権だと考えられている。それに続く17世紀の東アジアでは、戦乱から平和・安定の時代へと転換し、新しい秩序形成がみられた。日本でも激しい戦乱の後に「徳川の平和」とも言われる安定の時代に移っていった。この転換の経緯や具体相、意味や影響を考えてみることは、第二次大戦後から現在に至る、私たちの時代を考える上でも示唆をもつのではなかろうか。
 
江戸時代といえば、日本人には比較的、馴染み深い時代であり、最近では国際的にも「徳川日本 (Tokugawa Japan)」として、たとえば勤勉で質朴な人びと、経済の発展、環境との調和、独特な文化などが周知になっている。しかし私たちが江戸時代としてイメージする常識のほとんどは、実は近世後期、幕末期のあり方である。明治になってから江戸を回顧して書かれた記録や言説の影響は大きく、それが近代歴史学の黎明期と重なったこと、17世紀と19世紀とでは、残存する史料の質や量に極端な差があることなどがその理由である。
 
近年の歴史研究は、史料に即した実証の精度が強く求められ、同じ「近世史」の中でも、史料の豊富な後期に研究が大きく偏っている。この点は、古代史・中世史、あるいは近代史の内部でも同じような問題があるようだ。日本史の学界では、研究者が4つの時代のうち、どれかだけを専門として深く追究する形で分業しており、それが、研究状況が偏りを生じる原因にもなっている。本書はそうした研究状況を少しでも打開するための、ささやかな試みでもある。
 
本書の具体的な中身は下記の目次に譲るが、私自身が執筆した最終章の一部を簡単に紹介しておこう。徳川将軍の家来のうち、将軍への拝謁を許されない低い身分の者を御家人とよぶが、この御家人は江戸城下に集団で屋敷を与えられ、幕府の様々な役所で兵士・番人・役人等として勤務した。実は彼らは、本来の武士ではなく、戦国時代以来、徳川氏が編制した鉄砲・弓の部隊 (足軽という) や、道具を運ぶ部隊 (中間・小人という) の者たちだった。彼らは戦乱の過程で膨大に採用されたのだが、平和な時代になっても、そのコストにかかわらず、基本的に維持されつづけた。幕府や大名家は軍団そのものであって、その武力によって「平和」を創出し、維持していると考えており、それら鉄砲・弓部隊や輜重部隊をなくすことなど考えられないことだったのである。もちろん実際には彼らは幕府役人として行政・財務の仕事にも従事し、「家」を形成して継承されるようになっていく。戦時に創出された膨大な軍事力が、泰平の世にどう扱われるようになったか。これは社会史的にも興味深い課題であろう。
 

(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 准教授 牧原 成征 / 2018)

本の目次

序 日本の十七世紀をどう考えるか
政治の秩序形成
   島原の乱と牢人 木村直樹
   大名と天皇・朝廷―土佐藩二代藩主山内忠義を事例に― 千葉拓真
   上方譜代大名松平忠房と寛文期御所造営―「本光寺史料」を素材として― 佐藤雄介
II  対外関係の秩序形成
   長崎貿易における唐船商人の経営形態―「正徳新例」実施以前を中心に― 彭 浩
   異国船対応をめぐる平戸藩と幕府 吉村雅美
   中近世の種子島氏と島津氏 屋良健一郎
III  社会の秩序形成
   近世的神社組織の形成―駿府浅間社を事例に― 竹ノ内雅人
   商人と博打・遊芸・男伊達―三井周辺にみる十七世紀商人の横顔― 村 和明
   下級幕臣団の江戸城下集住 牧原成征
 

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