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書籍名

シリーズ 転換期の国際政治 5 歴史のなかの国際秩序観 「アメリカの社会科学」を超えて

著者名

葛谷 彩、 小川 浩之、 西村 邦行 (編著)

判型など

258ページ、A5判

言語

日本語

発行年月日

2017年6月20日

ISBN コード

9784771028975

出版社

晃洋書房

出版社URL

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歴史のなかの国際秩序観

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本書の副題にある「アメリカの社会科学」とは、国際関係論、戦争論、アメリカ外交、フランス政治外交、欧州統合などの研究者として長年活躍したスタンレー・ホフマンの1977年の論文「アメリカの社会科学―国際関係論―」(“An American Social Science: International Relations”, Daedalus, Vol. 106, No. 3, 1977, pp. 41-60) から用いたものである。ホフマンが、長年の闘病生活の後、2015年9月に86歳で逝去してから3年以上が過ぎた。ホフマンの多岐にわたる功績については、これから本格的な研究が進められていくことになるだろう。それは、1982年に90歳で亡くなったE・H・カーについての研究が、20世紀末頃から本格化した状況と似たものになるかもしれない。カーもまた、「三人のカー」と表現されるように、国際関係論、ソヴィエト・ロシア史、歴史哲学という三つの分野で卓越した業績を残した人物であった。さらに、近年の研究では、それらを「一人のカー」「全体としてのカー」として統合的に理解しようとする試みも行われている (山中仁美『戦争と戦争のはざまで――E・H・カーと世界大戦――』ナカニシヤ出版、2017年)。とはいえ、本書はホフマンについての研究書ではなく、むしろ、彼が1977年の論文で提起したように、アメリカにおいてディシプリン (学問分野) として確立し、発展してきた国際関係論の特徴と課題についてさらに探究を進め、その限界を部分的にでも乗り越えようと試みた共同研究の成果である。
 
そこで、やや迂遠になるが、ホフマンの生涯を簡潔に振り返りつつ、本書が何を目指したのかを論じてみたい。ホフマンは、1928年にオーストリアのウィーンで生まれ、幼少期に家族とともにフランスに移り住んだ。ところが、彼は出生時にはプロテスタントとして洗礼を受けたものの、母親の家族がナチスによってユダヤ人に分類されたため、少年期に、対独協力のヴィシー政権およびドイツ占領下の南フランスでゲシュタポから身を隠して過ごすことになる。そうした苦難の時代を生き延びたホフマンは、1948年にパリ政治学院 (シアンスポ) を首席で卒業し、フランスとアメリカの大学院に在籍した後、55年にハーヴァ―ド大学で講師の職に就き、59年にはテニュア (終身在職権) を得る。それから2013年に引退するまで、彼は58年もの間、ハーヴァード大学で、上記のような幅広い分野の研究と教育に携わった。1969~94年には、同大学のヨーロッパ研究所長も務めている (ホフマンの経歴については、『ハーヴァード・ガゼット (ハーヴァード大学報)』の追悼記事を参照した)。
 
ホフマンの研究は、大西洋両岸を跨いだその経歴にふさわしく、ヨーロッパ、アメリカ双方の政治、外交、歴史、法律、思想、社会などへの深い造詣に裏打ちされた広い視野と深い思考に特徴づけられる。そして彼が、1977年の論文で、「アメリカの社会科学」としての国際関係論の特徴であり、問題点でもあると指摘するのが、歴史の軽視と現在への関心の偏重である。これに対する処方箋として、ホフマンは国際関係論に対して、(1) 現在から離れて過去へ、(2) 超大国の視点から離れて弱者と現状打破勢力の視点へ、(3) 政策科学から離れて伝統的政治哲学へ、という三重の距離の置き方を提唱する。そこで、本書では、ホフマンの問題提起を手掛かりに、(1) ヨーロッパの国際関係理論 (第I部)、(2) 冷戦期におけるアメリカの同盟国の国際秩序観 (第II部)、(3) 「アメリカの社会科学」以前の国際政治思想 (第III部) という三つの視座を設定し、20世紀の知的・政治的ヘゲモン (覇権国) であったアメリカで成立した「アメリカの社会科学」としての国際関係論を批判的に検証し、それを補完するものとして歴史や思想を重視する古典的手法 (歴史的アプローチ) の意義を提唱することを試みたのである。
 
最後に、本書の議論からは離れるが、ホフマンが20代後半の時にフランス語で出版した研究書 (Le mouvement poujade, Paris: Librairie Armand Colin, 1956) について触れたい。それは、1950年代のフランスで地方の零細経営の中小商工業者や農民など近代化に取り残された人々の不満を背景に広がった右派ポピュリズム的なプジャード運動 (指導者のピエール・プジャードの名前からこのように呼ばれる) について本格的に扱った同時代の研究で、昨今注目を浴びるポピュリズムに関する研究の先駆的業績のひとつと見なしうるものである。その後、プジャード運動自体は、内部分裂もあり急速に力を失っていくが、1972年に国民戦線 (FN) を設立するジャン=マリ・ルペンが、プジャード運動を通して本格的に政治活動を始め、56年の総選挙で27歳の若さで国民議会議員に初当選したことからも、今日に至る右派ポピュリズムとの繋がりを見て取ることができる。それらの源流は少なくとも部分的にはファシズムと植民地主義に求めることができ (プジャードには、ファシストのジャック・ドリオが率い、ヴィシー政権を支えたフランス人民党の活動家であった過去があり、1950年代~60年代には、プジャードもルペンもフランスからのアルジェリア独立に強く反対していた)、人種主義的、反ユダヤ主義的な傾向も色濃く残る。そして、ホフマンは、自らが育ち、教育を受け、主要な研究対象のひとつとしたフランスと感情的、個人的に強い結びつきを保ちつつ、結局は、そこからの「ある種の亡命者の身分」であり続けた (Stanley Hoffmann with Frédéric Bozo, Gulliver Unbound: America’s Imperial Temptation and the War in Iraq, Lanham, MD: Rowman & Littlefield, 2004, p. vii)。若き日のホフマンによるプジャード運動に関する研究からは、当時のきわめてアクチュアルな――そして、現在でも依然としてアクチュアルであり続ける――問題に真正面から取り組んだホフマンのまた別の姿が浮かび上がってくるのである。
 

(紹介文執筆者: 総合文化研究科・教養学部 准教授 小川 浩之 / 2018)

本の目次

序章  「アメリカの社会科学」を超えるとは何か (葛谷 彩)
 
第I部  「アメリカの社会科学」に対する応戦
第1章  「英国学派」の失敗――対「アメリカの社会科学」という罠―― (西村邦行)
第2章  「アメリカの社会科学」とどう向き合うか――ドイツの国際関係論(IB) の挑戦―― (板橋拓己)
第3章  ヨーロッパの批判的安全保障研究――非アメリカ的アプローチの成功例か―― (塚田鉄也)
 
第II部 「パックス・アメリカーナ」に対する応戦
第4章  マクミラン政権の国際秩序観と「英米特殊関係」再強化の試み (小川浩之)
第5章  フランスにおけるゴーリスムの国際秩序観 (小窪千早)
第6章  西ドイツの東方政策と「パックス・アメリカーナ」への応戦――バールのヨーロッパ安全保障構想を中心に―― (妹尾哲志)
第7章  朴正熙外交に見る東方政策の歴史的意義――「分断国家」としての韓国と西ドイツ―― (劉 仙姫)
 
第III部 「アメリカの社会科学」以前の国際関係論
第8章  アメリカ国際関係論における「現実主義」の芽生え――ムーアとボーチャード―― (三牧聖子)
第9章  IRは社会科学であるべきか?――政治的思考が「現状維持国」と「修正主義国」を用いない理由―― (宮下 豊)
第10章  近代日本における外交観と国際秩序観――有賀長雄の場合―― (森田吉彦)
第11章  戦後のイギリスと日本の古典的国際政治論のミッシング・リンク――H.バターフィールドと高坂正堯の場合―― (葛谷 彩)
 

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