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真っ赤な表紙に白抜きのタイトル

書籍名

ヘーゲル「主観的精神の哲学」 精神における主体の生成とその条件

著者名

池松 辰男

判型など

294ページ、A5判

言語

日本語

発行年月日

2019年3月20日

ISBN コード

9784771032026

出版社

晃洋書房

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ヘーゲル「主観的精神の哲学」

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19世紀初頭のドイツの哲学者ヘーゲルは、登場以来しばしば「近代哲学の完成」(フォイエルバッハ) と見なされ、様々な分野で広く読まれてきました。実際、近代のありかたをはじめて哲学的に総括したその思想が、マルクスやコジェーヴやハーバーマスといった現代の思想・政治運動の旗手たちに及ぼした影響には、計り知れないものがあります。
 
とはいえ今日、そのヘーゲルの思想の評判はお世辞にもよいとは言えません。いわく、ヘーゲルの思想は、すべてのものを自己同一的で意識的で理性的な「主体」の枠組のもとに包摂して、差異や他者や無意識といったものを排除しようとした、悪しき「同一哲学」の典型だ、というわけです。
 
けれどもこうしたイメージは、本当にヘーゲルの思想の実像をとらえているのでしょうか。とりわけ、ヘーゲルの言うその「主体」というのはそもそも、言われているような紋切り型のありかたをしているものなのでしょうか。―ヘーゲル自身は実際には、「主体」をどのようなものとして見ていたのでしょうか。そしてまた、まさにその「主体」が担う近代の、つまりはわたしたちの生きる現代にまで続く社会の構造と課題を、どのようなものとして捉えようとしていたのでしょうか。
 
「主体」の概念を、「近代哲学の完成」として毀誉褒貶に晒されてきたヘーゲル自身の思想に再び内在して考え直し、そこからまさに近代の延長線上に生きるわたしたちの生そのものを捉え直すこと。これが本書の課題です。そしてそのためのアプローチとして本書は、ヘーゲル自身が「主体」の生成の過程を叙述したテクスト「主観的精神の哲学」(『エンチュクロペディ』(1830) 所収) を主題としました。ヘーゲルはこのテクストにおいて、主体の生成の条件を指し示すとともに、それが近代の社会の構造と課題、そして将来の変容の可能性といかに関連しているかを示唆しています。その条件とはしかも、無意識的な記憶 (「想起」) と「習慣」(または「言語」) という、いずれもそれ自体は意識と理性の背後にあるような働きにほかなりません。ヘーゲルはこの二重の条件のもとに主体の意識と理性そのものの来歴を捉え、なおかつ主体が近代のなかで巻き込まれることになる課題の「根」を探り当てようとしたわけです。他方またヘーゲルは、同じ主体が自らの既存のありかたを揺さぶり、社会の秩序そのものを新たにする可能性にも開かれていることを示唆しています。そしてそこでも鍵を握るのはやはり、主体の生成を形作ってきたあの二重の条件なのです。
 
本書の意義は、こうした、ヘーゲルの「主体」の概念のうちにある動的かつ複合的な―そして自己同一的な意識と理性で完結するのでない―ひろがりを、テクストに即しつつ先駆的に提示した点にあります。そして本書の試みの成否は、趣旨からして、以上の本書の帰結が、現代の様々な社会的・倫理的課題と実際にどれだけ有効に接続するかで決まってきます。本書そのものはあくまで基礎研究に終始していますが、もし今後、本書の問題提起を承けつつ、そうした接続の試みが様々な分野で盛り上がっていくなら、本書は十分にその役割を果たしたと見てよいでしょう。
 

(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 助教 池松 辰男 / 2019)

本の目次

第一部 「主観的精神の哲学」の基本課題と基本展開
第一章 「主観的精神の哲学」の基本課題
第二章 「主観的精神の哲学」の基本展開
 
第二部 「主観的精神の哲学」の基本概念の検討
序 論
第一章 「主観的精神の哲学」における精神の没意識的境位とその意義
第二章 身体と言語
第三章 <第二の自然> と <機械制> ―「主観的精神の哲学」の構造と帰趨
第四章 欲求/狂気/情熱 ―精神における主体の顚倒と更新
終 章 生成する主体
 

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