『マイケル・K』(1983)、『恥辱』(1999) などの小説で知られる南アフリカ共和国出身のノーベル賞作家J・M・クッツェー (1940-) は、2002年、オーストラリアに移住するまで母校ケープタウン大学の文学教授を務めた学者、批評家でもあった。それも、著名になった小説家がゲスト的に大学に招聘されたのではなく、若いときから研究者としての修行を積み、大学で教え始めた後で小説を書き始め、それ以降も二足のわらじを履き続けたのである。日本では、彼の小説はほとんどすべて翻訳されているが、評論は私自身が編集、翻訳した『世界文学論集』(みすず書房、2015年) しか紹介されていない。本書はそれに次ぐ続編である。
クッツェーは今までのところ6冊の評論集を出している。そのうち『南アフリカの白人文学』(1988)、『岬を回航する』(1992)、『検閲論』(1996) が本格的な学術論文集であるのに対し、『見知らぬ岸辺』(2001)、『内部の作動』(2007)、『晩年のエッセイ』(2017) は『ニューヨーク・レヴュー・オヴ・ブックス』などに発表した書評が中心で、それぞれ26、21、23編が収められている。前回の『世界文学論集』では初期の学術論文の主なものから『内部の作動』まで幅広くカヴァーして、クッツェーの評論活動が見渡せるようにしたが、今回の『続』は『内部の作動』と『晩年のエッセイ』のみから選び、彼の最近の評論活動の紹介に集中した。
『晩年のエッセイ』の目玉は、クッツェーが2013年から2015年にかけてアルゼンチンの出版社「アリアドネの糸」から刊行したスペイン語版「個人ライブラリー」全12巻への序文である。この「個人ライブラリー」は、最晩年に百巻の個人ライブラリーを企図したボルヘスをも意識しながら、クッツェーが自分の作家としての自己形成において重要な意味を持った世界文学の古典を選んだもので、今回の翻訳にはそのうち5編を収録した (目次のうち*をつけたもの)。
クッツェーはこの「個人ライブラリー」がスペイン語圏で最初に出ることに興奮していると述べている。彼がこのところ、英語中心主義に反旗を翻して、自分の作品の英語での出版をわざと遅らせ、オランダ語、スペイン語、日本語 (『モラルの話』は日本語訳は出ているが、英語版は現時点で未公刊) などでの出版を先行させていることはよく知られている。この「個人ライブラリー」もスペイン語圏を中心とする「南の文学」への彼のコミットメントの現れである。
文学の地位低下が言われる中で、クッツェーは最近の評論で、一般受けしそうにないけれども文学的価値のある書物を積極的に取り上げて、現代における世界文学の価値の定立者、維持者として振る舞っているように見える。今回の『続』にも彼のそういうスタンスがよく表れているはずだ。現代最良の読み手である彼の批評とともに改めて世界文学の古典を読み返すというぜいたくを味わってほしい。
(紹介文執筆者: 総合文化研究科・教養学部 教授 田尻 芳樹 / 2020)
本の目次
ハインリヒ・フォン・クライスト――二つの物語*
ウォルト・ホイットマン
ナサニエル・ホーソーン『緋文字』*
ヘンドリック・ヴィットボーイの日記
イタロ・ズヴェーヴォ
フォード・マドックス・フォード『かくも悲しい話を……』*
ローベルト・ヴァルザー『助手』*
フワン・ラモン・ヒメーネス『プラテーロとわたし』
ブルーノ・シュルツ
ユダヤ人作家イレーヌ・ネミロフスキー
若き日のサミュエル・ベケット
パトリック・ホワイト『球形のマンダラ』*
ソール・ベロウの初期小説
アントニオ・ディ・ベネデット『サマ』
V・S・ナイポール『ある放浪者の半生』