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ベージュの表紙

書籍名

甦る「豊後切支丹史料」 バチカン図書館所蔵マレガ氏収集文書より

著者名

松井 洋子、 佐藤 孝之、 松澤 克行 (編)

判型など

564ページ、A5判

言語

日本語

発行年月日

2020年2月

ISBN コード

978-4-585-22261-3

出版社

勉誠出版

出版社URL

書籍紹介ページ

学内図書館貸出状況(OPAC)

甦る「豊後切支丹史料」

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1930年代、大分に赴任したカトリック・サレジオ会のイタリア人神父、マリオ・マレガ氏は、この地域にかつて多くのキリシタンが存在したことを知り、その史料を集め、『豊後切支丹史料』(別府:サレジオ会 1942年)・『続豊後切支丹史料』(東京:ドン・ボスコ社 1946年) という2冊の史料集を刊行した。この2冊は、キリシタン研究に不可欠の文献として用いられてきたが、もとになった収集史料は、マレガ氏によってバチカンに送られた後、行方がわからなくなっていた。ところが2011年、バチカン図書館で、史料集のもとになった文書を含む、マレガ氏が収集した大量の文書が再発見されたのである。文書は、主に臼杵藩の宗門方役所にあったもので、総数は1万点を超える。人間文化研究機構・国文学研究資料館を中心とする日本の研究機関とバチカン図書館が協力して、その整理・保存・公開に当たり、ほぼその全貌が見えてきた。
 
本書は、このプロジェクトに参加した東京大学史料編纂所の共同研究によって、マレガ氏が史料集に掲載した史料の原文書を調査研究し、正確な翻刻と原史料の復元を試み、改めて一書に編纂した史料集である。
 
江戸幕府がキリスト教を厳しく禁じたことはよく知られているが、初期の過酷な弾圧・処刑の後、「キリシタンのいない状態」はどのように維持されていったのだろうか。本所に掲載した史料は、豊後臼杵藩におけるその実態をしめすものである。
 
豊後国は、戦国時代キリシタン大名大友宗麟の本拠地であり、多くのキリシタンがいたが、1630年代には処刑や転宗の強制によって壊滅し、その後すべての領民は仏教の寺の檀家となったはずであった。ところが、1660年代になって大規模な摘発が行なわれ、多くのキリシタンが残っていたことが発覚する。「豊後崩れ」と呼ばれたこの摘発は、幕府の主導で行なわれ、キリシタンだと名指しされた人々が次々と捕縛され、長崎奉行所へ護送され、あるいは臼杵の牢に入れられた。約10年にわたるその経過で、誰が捕縛され、牢に入れられ、殉教したのか。マレガ氏はそれを徹底的に調べようとしていた。約230点の収録史料の内、3分の1はこの時期のものである。
 
捕縛された人々のうち、村へ返されたのは、棄教した人々だけであった。今度こそ、臼杵藩領内にはキリシタンはいなくなったわけである。その状態を毎年確認するのが宗門改めで、臼杵藩では、宗門奉行の指揮のもと、宗門方の役人たちが毎年村々を回って、すべての領民に踏絵を踏ませた。その実施に関わる数々の記録も収録されている。同時に、かつてキリシタンであった人びと (転び) と、その子孫 (類族) が、「類族帳」と呼ばれる書類に登録され、重点的に監視された。出生・死亡・縁組・引越はすべて報告され、村役人や檀那寺によって確認された。その膨大な書類が、マレガ氏の収集文書の中には残されており、本書にもその一部を収録している。一方、あまりに多いこの地域の「類族」は、差別される特殊な人々ではなく、地域の中に普通に存在し、生活する村人であったことも垣間見える。
 
マレガ文書全体については、国文学研究資料館のウェブサイトに目録と画像が公開されつつある。本書は、この文書群への足掛かりとして、キリシタン史のみならず、江戸時代の日本の政治・社会・文化についての幅広い研究に役立つものと信じている。

 

(紹介文執筆者: 史料編纂所 教授 松井 洋子 / 2020)

本の目次

口 絵
はしがき
解題『豊後切支丹史料』とマレガ氏収集史料 松井洋子
 
翻刻 
 凡例
 正1~52
 続1~177
 
あとがき
 
臼杵藩村組一覧
近世後期の臼杵藩の村
臼杵藩宗門奉行就任者一覧
収載史料編年一覧
人名索引

関連情報

マレガ・プロジェクト (大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国文学研究資料館)
https://www.nijl.ac.jp/projects/marega/
 
マリオ・マレガ資料データベース (バチカン図書館+人間文化研究機構国文学研究資料館)
https://base1.nijl.ac.jp/~marega/

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