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白い表紙の中心に縦書きで書名

書籍名

日本関係海外史料 オランダ商館長日記 譯文編之十二 慶安二年 (1649) 十月―慶安四年 (1651) 十一月

著者名

東京大学史料編纂所 編 (担当: 松方 冬子、 松井 洋子)

判型など

365ページ、A5判

言語

日本語

発行年月日

2015年8月13日

ISBN コード

978-4-13-092782-6

出版社

東京大学出版会

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オランダ商館長日記 譯文編之十二

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江戸時代、厳しい対外通交の制限のもとで、ヨーロッパで唯一日本との関係を保ち続けてきたのが、出島に商館を構えるオランダ人であったことは、高校の教科書にもあり、よく知られている。では、具体的には、どのような交渉が行われ、当事者たちは何を考えていたのだろうか。それを知り得る稀有の記録が、1633年から200年以上書き継がれてきた、オランダ商館長の公務日記である。日本側史料と対照しつつ検討することで、双方の視点から対外関係を分析することのできる貴重な史料となる。
 
今回出版した訳文編之十二は、1649年11月から1651年末までの期間にその任にあった3人の商館長の日記であり、先に刊行した原文編之十二 (2012) の全訳となっている。当時オランダ商館は、将軍家光の不興を買っていた。1643年に南部に入港したオランダ船ブレスケンス号に対する将軍の寛大な処置への謝恩の使節の遅れと、1647年に来航したポルトガル船に対し、バタフィアでオランダ東インド総督が援助を与えていたという疑惑からである。1649年8月にようやく到着した使節は11月末に江戸に出発した。家光の病気により待機が長引いたが、1650年4月に閣老及び世子家綱への拝礼によって、この問題は決着を見た。日記本文には、遣使を成功させようとする商館長の思考と行動が逐一記録されている。また、附録として収載した総督から使節への訓令には、日本側に伝えるべき使節の趣旨や弁明から旅行の間のふるまい方まで、詳細な指示が与えられ、彼等が当時の日本の権力者や社会をどう理解していたかを示している。
 
一方、日記には「糸割符」として知られる白糸の統一価格 (パンカド) の決定、他の商品の入札販売、輸出品の銅・樟脳・石材等の仕入れと価格に関する交渉といった貿易業務の進行も記されている。またオランダ船やジャンク船から伝えられた、ヨーロッパ・明清交代の渦中にある中国本土・各勢力がせめぎ合うアジア海域の情報も記録され、多様な視点からの分析が可能である。
 
この『オランダ商館長日記』は、史料編纂所が日本史の基本史料の一つとして編纂刊行している『日本関係海外史料』のシリーズの一書目である。原文は、文法も綴字も現在とは異なる17世紀のオランダ語筆記体で書かれ、当時の東インドで用いられていた特殊語彙をも含む。所蔵者のオランダ国立中央文書館からマイクロフィルムで入手した原文を翻刻し、ネイティブ研究者の協力も得て校訂を施した原文編と、正確な全訳を提供する訳文編を刊行することにより、国内外の研究者に研究基盤となる史料を提供している。
 
本シリーズには他に『イギリス商館長日記』(完結)『イエズス会日本書翰集』がある。いずれも異文化接触の現場を活写する生の言葉にあふれており、16世紀後半から17世紀前半の「地球的世界の形成」の重要な学問的史料であるとともに、グローバル化の中で問われる現代人の生き方にも、様々な示唆を与えてくれるはずである。
 

(紹介文執筆者: 史料編纂所 教授 松井 洋子 / 2016)

本の目次

口絵・例言・目次
アントニオ・ファン・ブルックホルストの日記 
(自1649年11月5日至1650年10月25日)
ピーテル・ステルテミウスの日記
(自1650年10月25日至1651年11月1日)
アドリアーン・ファン・デル・ブルフの日記
 (1651年10月1日至1651年12月31日)
附録:オランダ東インド総督等訓令書 ペトルス・ブルックホヴィウス宛 
 (バタフィア発 1649年7月27日付)
補注・索引

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