一九世紀のオランダ商館 上 商館長ステュルレルの日記とメイラン日欧貿易概史
日本の歴史は、日本語史料によって書かれる。それは当たり前のように思われて、じつはそうでもない。19世紀の終わりごろ、日本人が「近代歴史学」を学んだとき、江戸時代に関する史料の多くは、まだ旧大名家や地主たちの家の奥深くに眠っていた。一方で、オランダ語の史料が、ハーグの文書館にあって閲覧可能であった。戦後の大々的な農村史料調査によって研究が大きく様変わりしてからも、海外史料の読解と翻訳は細々と、しかし営々と続けられて来た。本書もそうした営みの一環である。
本書上下巻は、20世紀末に刊行された1800~1823年の商館長日記 (日蘭学会編、日蘭交渉史研究会訳注『長崎オランダ商館日記』雄松堂出版、1989~1999年) に続いて、1824~1833年 (文政7年~天保4年) の商館長日記の現代日本語訳を世に問う。その間、商館長は、J ・W・デ=ステュルレルからG・F・メイランへ、そしてJ・W・F・ファン=シッテルスへと変わった (今回刊行の上巻にはステュルレル在任期間である1826年7月までを収載する)。後任のメイラン (日記は下巻に収載) は、単に有能な商館長であっただけでなく、日本商館に残されていた (当時はまだ現有だった) 日本貿易に関する文書を読み解いて、『日欧貿易概史』という書物を遺してくれた。複雑怪奇な19世紀の日蘭貿易については、今や同書がなくてはわからないことも多く、我々の研究分野への貢献は計り知れない。そのため、本書上巻には同書主要部分の翻訳も掲載した。なお、本書のほぼすべては本邦初訳である。
10年間の間には、いくつかの有名な出来事も起きた。上巻に関わるものとしては、1824年9月13日には、イギリス船が薩摩藩領に来航した宝島事件の情報が商館に入った。翌年2月11日には、イギリス船が日本の住民と接触した大津浜事件や宝島事件について、商館長が意見を聴取された。おそらくこれらをうけて、1825年8月以降には異国船打払令関連の記事がある (下巻では、シーボルト事件が最大の山場となる)。
本書は、20年にわたる共同研究の成果である。が、もっとずっと前からの、先人たちの長い蓄積の上に立っている。日蘭交渉史研究会は、台北帝国大学教授から東京大学教授となった岩生成一の主導で、1952年に日本学士院 (旧・帝国学士院) の一室で誕生した。前掲『長崎オランダ商館日記』刊行後、日本学士院のご支援を得ながら、史料編纂所メンバーを中心に首都圏在住の若手研究者で運営してきた同会の成果が本書である。本書は、大日本帝国から日本国へと受け継がれた学問のあり方をいやおうなく背負っている。
日本の歴史を複眼的に見るために外国語史料の役割は大きいと考えるし、オランダ語というマイナー言語を読む人の数が少ない以上、それを翻訳し、世に問い続けることは、学問にとっても社会にとっても、きっと意味のあることだと信じている。
(紹介文執筆者: 史料編纂所 教授 松方 冬子 / 2021)
本の目次
商館長ステュルレルの日記 (日蘭交渉史研究会訳)
ステュルレル 商館長日記 (その一)
一八二三年一一月二〇日―一八二四年一二月七日
ステュルレル 商館長日記 (その二)
一八二四年一二月七日―一八二五年一二月二〇日
ステュルレル 商館長日記 (その三)
一八二五年一二月二〇日―一八二六年四月三〇日
フィッセル 留守日記
一八二六年二月一五日―一八二六年七月七日
上巻 底本 解題 (松井洋子)
メイラン日欧貿易概史
第五章 オランダ人の貿易 第二期 一六四一年―一六八五年
第六章 オランダ人の貿易 第三期 一六八六年―一七四三年
第七章 オランダ人の貿易 第四期 一七四四年―一七九〇年
第八章 オランダ人の貿易 第五期 一七九一年―一八二〇年
第九章 以上の歴史的概観からの教訓や今後の対策
附録
関連情報
一九世紀のオランダ商館 下
商館長メイランとシッテルスの日記 (東大出版会刊 2021年9月16日)
http://www.utp.or.jp/book/b587750.html