「日出る処の天子」から「大統領フィルモアの国書」まで、日本史の教科書には国書が何度も出てくるのに、歴史学が国書を扱ったことは今までなかった。なぜなのか? 我々の経験に根ざし、無意識に使っているにもかかわらず、それが、西洋から学んだ外交史の教科書になかったから、つまり我々のオリジナルだからこそ、正統な歴史学に位置づけられてこなかったのではないか? 自分自身の見方で世界を語ってはいけない、それではレベルが低いと、なんとなく思ってきたのではなかったか。本書は、その疑問から出発している。
いまやグローバル・ヒストリー (西洋中心主義批判) の時代。欧米の人たちは、ヨーロッパと合衆国だけ見ていてはダメだ、世界を見なければならない、と必死である。中国もインドもアフリカ諸国も、その他大勢で一括りにできないほど、力を持ってきている。19世紀をゴールとして、ヨーロッパ成功の由来を語るだけでは、21世紀を説明できない。人間がどんどん豊かになることだけを目標にすれば、地球は破滅するだろう。
しかし、ではどうすれば歴史学を新しくできるか。言うは易く、行うは難し。「国家」でも「外交」でも「社会」でも、我々が使うほとんど人文学、社会学の学術用語は19世紀のヨーロッパで生まれた。それを使って歴史を説明する理論では (間違っていると言うのではないが)、それだけで近代主義、西洋中心主義に陥りかねない。
そこで、国書という日本語 (かどうか気になる方は、どうぞ本書をお読みください。) と日本でなじみの深い、勘合・文引・朱印状といった通航証をキーにしてみた。難しい概念ではなく、このようにシンプルで、時代による語義の変化がなく、現物が残っているようなものを中心に扱えば、実証史家ならではの強みを生かせて、かつヨーロッパとアジアを区別せずに済むのではないかと考えた。
ご一読いただければ、当時の人々がどのようなやり方で外交をやっていたのかが、生き生きと見えてくるだろう。例えば、明皇帝の勅書が「別幅」と呼ばれてきたイキサツ、豊臣秀吉のキラキラな国書、タイ語で「国書」を意味する「プララーチャサーン」のウラ・オモテ、始まったばかりの駐在大使制度、ちょっと奇抜な徳川将軍の外交印、意外と柔軟な運用がされていた日明勘合制度、ナゾに包まれていた明の渡海文引の実態、日明勘合とはずいぶん違うシャム向けの勘合の発行と使われ方、ベトナムとの通交で将軍の朱印状よりも役に立った義子の立場、などなど。世界はこんなに精彩に富んでいた。
本書のアイディアは、外国の学会でも何回も報告し、理解と好評価をもらっている。世界を視野に収めつつ、自分自身でありつづける覚悟を示すなら、日本発のアイディアであっても、海外で受け入れてもらえる、と信じている。
(紹介文執筆者: 史料編纂所 准教授 松方 冬子 / 2019)
本の目次
第一部 国書の世界
第一章 別幅と誤解された勅書 ―日明関係における皇帝文書をめぐって― (橋本 雄)
第二章 豊臣期南蛮宛て国書の料紙・封式試論 (清水有子)
第三章 一八世紀末から一九世紀前半における「プララーチャサーン」 ―ラタナコーシン朝シャムが清朝および阮朝ベトナムと交わした文書― (川口洋史)
第四章 一五、一六世紀の教皇庁における駐在大使制度 ―「生きている書簡」による外交― (原田亜希子)
コラム1 「国書」という語を考える (木村可奈子)
コラム2 天正二〇年の小琉球宛豊臣秀吉答書写 (岡本 真)
コラム3 徳川将軍の外交印 ―朝鮮国王宛て国書・別幅から― (古川祐貴)
コラム4 一八世紀後半王朝交代期におけるシャムの対清国書 (増田えりか)
第二部 国書の周辺としての通航証
第五章 運用面からみた日明勘合制度 (岡本 真)
第六章 明代後期の渡海「文引」 ―通商制度史的分析からの接近― (彭 浩)
第七章 勘合とプララーチャサーン ―田生金「報暹羅國進貢疏」から見た明末のシャムの国書― (木村可奈子)
第八章 朱印船時代の日越外交と義子 ―使節なき外交― (蓮田隆志)
コラム5 日明勘合底簿の手がかりを発見! (橋本 雄)
コラム6 15~18世紀ドイツの旅と通行証 (山本文彦)
コラム7 植民地の旅券制度 ―オランダ領東インドにおける移動の自由と旅券― (吉田 信)