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志賀直哉の自画像

書籍名

志賀直哉で<世界文学>を読み解く

著者名

郭 南燕

判型など

246ページ、四六判、上製

言語

日本語

発行年月日

2016年3月

ISBN コード

978-4-86182-575-0

出版社

作品社

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志賀直哉で<世界文学>を読み解く

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近代日本散文の最高峰の小説家志賀直哉 (1884-1971) は、戦後間もない1946年、日本語をやめて、フランス語を国語として採用したらいいという旨のことを公言し、万人を驚かせた。この発言は、日本語を日本文化から分離する「反面教師」として取り上げられることはあっても、志賀文学との関係について真正面から研究されていない。
 
しかし、この発言は、日本文学とは何か、「世界文学」というものはあり得るか、などを考えるための手がかりを与えてくれる。百年前から母語を客観的に観察し、新しい文体の創造に腐心していた志賀は、バイリンガルになりつつある現在の社会からみれば、先駆的な作家だったといえよう。
 
志賀は、「特殊なるもの」と「刹那」から「無限の価値」を求めようとしたドイツの作家ゲーテの言葉に共鳴していた。ゲーテの提唱した有名な「世界文学」という概念は定義がないが、ゲーテの発言から次のように理解することができる。すなわち、「世界文学」は、世界に流行する文学作品ではなく、むしろ、文学者が、世界と他民族を理解しながら、個人の「特殊性」を際立たせ、「真実なものと有益なものとの結合」を提示し、長く「世の中に作用をおよぼしてゆく」文学的営為を指す。
 
個人的なことをテーマとし、「特殊性」へのあくなき追究を特徴とする志賀文学は、ゲーテのいう「特殊性」と近縁性がある。本書の第1章「母語不信」は、母語使用の安易さを警戒し、最小限の言葉で読者の想像を最大限に引き出し、透徹な観察によって、人の見逃しやすい細部を映像的に表現する志賀の方法にまず注目する。第2章「<脱日本語> の真意」は、「外国語採用説」の歴史をたどり、日本人だから日本語を使うという「常識」をもたない志賀の徹底した態度を分析する。
 
第3章「自然観察から得た <世界語>」は、志賀の自然観察の密度を調査し、国際語のように万人に理解されやすい的確な表現による映像性を論証する。第4章「凝縮された宇宙空間」は、志賀の若い時の「自然開眼」の経験を考察し、枯山水や絵画に凝縮された自然の様相に啓発された志賀が、限られた文字をもって自然と人生の深さと広さを表現した創作方法を検討する。
 
第5章「曙光の彼方」は、『暗夜行路』の主人公が伯耆大山で迎えた夜明けの虚実を考証し、「個別的な」自然から「普遍的な」自然を創出する志賀の方法を解明する。第6章「核心をつく文体」は、志賀文体と彼が模倣した外国人作家 (小泉八雲など) の文体を比較し、日本語使用にこだわらない志賀の真意を解明する。志賀文学は紛れもなく、「個別」を通して普遍性を目指したゲーテの「世界文学」の日本的実践だといえよう。
 
本書は、志賀の人生経験と創作方法などを緻密に考察し、多くの新発見を盛り込み、ゲーテの「世界文学」の真髄を解き明かしている。最後に志賀文学の外国語訳のリストが付してある。

 

(紹介文執筆者: グローバルリーダー育成プログラム 特任教授 郭 南燕 / 2020)

本の目次

序  章  ゲーテに共鳴する志賀直哉
第1章  母語不信
第2章  <脱日本語>の真意
第3章  自然観察から得た<世界語>
第4章  凝縮された宇宙空間
第5章  曙光の彼方
第6章  核心をつく文体
終  章  特殊から普遍へ
あとがき

関連情報

書評:
古川裕佳 評「郭南燕著『志賀直哉で「世界文学」を読み解く』」 (『日本近代文学』2016年95巻、163-166頁 2016年)
https://doi.org/10.19018/nihonkindaibungaku.95.0_163
 
秋草俊一郎 評「郭南燕著『志賀直哉で「世界文学」を読み解く』 (『比較文学』2017年59巻、213-215頁 2017年)
https://doi.org/10.20613/hikaku.59.0_213

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