キリシタンが拓いた日本語文学 多言語多文化交流の淵源
19世紀後半から21世紀まで、「日本語文学」の最も多産的な書き手は、来日したキリスト教の宣教師である。本書は、日本宣教の歴史、近現代の展開、視覚的イメージ、ハングル著述との比較、という四つの角度から、宣教師の日本語著述を検討する。
第1部「キリシタン時代の日本文化理解」では、郭はザビエルが日本語がほとんどできなかったという定説を覆し、ザビエルの実践をヴァリニャーノのモデルとして見なす。川村信三は、イエズス会がインド、マレー半島、日本、中国など複数文化が共存した地域における宣教方法を詳述し、キリスト教の教義を改変せず、多文化的な共存性と多様性を図ったことを解説する。李梁は、イエズス会の教育活動の立案と運営に腐心したヴァリニャーノの思想を論じる。カルラ・トロヌは、イエズス会が1600年に刊行した和歌集「九相歌」に掲載された仏教の画像を通して、キリスト教の道徳の教え方を分析する。アルド・トリーニは、『日葡辞書』が茶の湯を日本文化の重要な一環としながら、理解が不十分だったことを論証する。阿久根晋は、マニラから津軽へ渡ったマルケス宣教団の渡航を解明し、「キリシタン時代」の終焉を確認する。
第2部「日本宣教と日本語による著述」では、陳力衛はロンドン伝道会のメドハーストの英華辞書と英和和英辞書の作成と影響力を論述する。北原かな子は、東奥義塾を主導するメソジスト派宣教師ジョン・イングが、日本語を学ばず、学生に英語を教えて、自分の英語宣教を理解してもらっていた方法を分析する。将基面貴巳は、パリ外国宣教会のリギョールの著作がヨーロッパの知的コンテクストを顕在化させたことを紹介する。ケビン・ドークは1950年代まで類い稀な日本語力による講演と著作を通して、日本人を魅了してやまなかったパリ外国宣教会のカンドウを取り上げる。谷口幸代は、イエズス会のヘルマン・ホイヴェルスの平易で深い含蓄のある日本語表現を紹介し、郭は、ホイヴェルス師が、細川ガラシャを世界文学に登場させようとした創作意図を論じる。
第3部「聖なるイメージの伝播」では、望月みやはイエズス会の印刷機が、聖母像のバリエーションを多く生み出し、信仰者を増やす一方、聖画本来の価値の低下を招いたことを紹介する。松岡史孝は隠れキリシタンが儀礼を変容させながら、多様性にある統一性を持続させたことを論じる。E・フェルナンデスとS.ピッツは、四谷の聖イグナチオ教会の新聖堂に現れたキリスト教と禅仏教の様式を論じる。井上章一は、遠藤周作『沈黙』と谷崎潤一郎『瘋癲老人日記』に共通するイメージを発見する。
第4部「朝鮮半島宣教とハングルによる著述」では、F・ラウシュ、李容相、崔英修はカトリックとプロテスタントの宣教師が朝鮮の言語と文化に親炙したこと、現地の司祭を養成していたため、ほとんどの宣教師が朝鮮語で著述する必要がないことを考証し、来日宣教師との対照になる好例を提供する。
(紹介文執筆者: グローバルリーダー育成プログラム 特任教授 郭 南燕 / 2020)
本の目次
第一部 キリシタン時代の日本文化理解《イエズス会の適応主義》
第1章 聖フランシスコ・ザビエルの日本語学習の決意 郭 南燕
第2章 イエズス会巡察師ヴァリニャーノの「順応」方針の動機と実践 川村信三
第3章 イエズス会の教育とヴァリニャーノの思想 李 梁
第4章 イエズス会の霊性と「九相歌」 カルラ・トロヌ
第5章 『日葡辞書』に見える「茶の湯」の文化 アルド・トリーニ
第章 マニラから津軽へ 阿久根晋
[コラム1]先祖の話:キリシタンへの改宗 浦道陽子
第二部 日本宣教と日本語による著述《近代のプロテスタントとカトリック》
第1章 辞書は伝道への架け橋である 陳 力衛
第2章 来日プロテスタント宣教師と「言語」 北原かな子
第3章 仏人宣教師リギョールと『教育と宗教の衝突』論争 将基面貴巳
第4章 カンドウ神父の日本文化への貢献 ケビン・ドーク
[コラム2]マレガ神父の日本文化研究 シルヴィオ・ヴィータ
第5章 日本語の書き手としてのホイヴェルス 谷口幸代
第6章 ホイヴェルス脚本『細川ガラシア夫人』 郭 南燕
第三部 聖なるイメージの伝播《キリスト教の多文化的受容》
第1章 複製技術時代における宗教画 望月みや
第2章 多様性の中の統一性: 愛の性格 松岡史孝
第3章 贈り物の聖なる交換 E・C・フェルナンデス、S・M・ピッツ
第4章『沈黙』にひそむ『瘋癲老人日記』の影 井上章一
[コラム3]「聖骸布」に関するコンプリ神父の日本語著書 郭 南燕
第四部 朝鮮半島宣教とハングルによる著述《日本との比較》
第1章 ハングルによるカトリックの書物 フランクリン・ラウシュ
第2章 外国人宣教師の半島伝道と著述活動 李 容相
第3章 外国人女性宣教師の文化的影響 崔 英修
編著者 あとがき 郭 南燕
関連情報
釘宮明美 評 (『日本の神学』57巻、210-216頁 2018年)
https://doi.org/10.5873/nihonnoshingaku.57.210
宮坂覺 評 (『日本近代文学』2018年98巻、330頁 2018年)
https://doi.org/10.19018/nihonkindaibungaku.98.0_330
稲賀繁美 評「私の顔を踏むがいい」の系譜――普遍宗教との接触の「足跡」に「日本語文学」の展開を見る」 (『図書新聞』第3336号 2018年1月27日)
http://www.toshoshimbun.com/books_newspaper/shinbun_list.php?shinbunno=3336
中川成美 評 (『週刊読書人』2017年12月1日 3217号)