東京大学教員の著作を著者自らが語る広場

白と深緑の表紙

書籍名

中公新書 宗教と過激思想 現代の信仰と社会に何が起きているか

著者名

藤原 聖子

判型など

264ページ、新書判

言語

日本語

発行年月日

2021年5月20日

ISBN コード

978-4-12-102642-2

出版社

中央公論新社

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宗教と過激思想

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タイトルがややミスリーディングかもしれないが、本書は、宗教と赤軍などの過激派の関係を論じたものではなく、一般社会から過激視された宗教思想を分析したものである。2016年度に実施した本学文学部・大学院人文社会系研究科合同の宗教学演習がもとになっている。IS (ISIS,ISIL,イスラム国) がシリアで版図を広げ、ISに直接的・間接的に関係するとされるテロが各地で発生している状況を受けての試みだった。授業には宗教学専攻の学生だけでなく、他学部の学生や留学生が何人も集まり、関心の高さが窺われた。ところがその反面、初回の授業でまず「“イスラム過激派”とよく言うが、過激派の反対は何か?」と聞いたところ、答えられる学生がいなかった。ただ一人、50歳代の社会人学生を除いては。つまり、「過激派」と聞いてすぐに赤軍を連想する世代には、過激派が穏健派と対になる概念であることは自明だが、今の多くの学生にはそうではないのである。
 
このエピソードは、「近ごろの若者はものを知らない」論ではなく、「過激派」や「過激思想」に関して重要なことを物語っている。この半世紀の間に「過激」の語は政治的イデオロギーよりも宗教に対してあてがわれるようになった。それは大きな変化だ。だが、もっとも変わったのは、「私たち」の方ではなかったか、ということだ。過激派も穏健派も「社会を根本的に変革する」ための運動だが、「持続可能性」の追求がデフォルト化し、「社会貢献」は良いことだと教わってきた若い人たちには、過激派と穏健派はともに自らの「外」にあり、両者の違いは意識されないほど小さくなったのではないか。
 
そのような問題発見から出発しているため、本書は教育的な新書である。だが、学術的なオリジナリティもあわせ持つ。著者の専門は比較宗教学だが、2001年アメリカ同時多発テロ事件以降、「宗教と暴力」というテーマが国際学会でしばしば取り上げられてきた。しかし、多くの議論は、テロの原因は宗教なのか、それとも原因は他にあるのかという論争、言い換えれば、宗教が違うだけでは武力衝突は起きず、宗教に非はないのだとする説と、いや、教義からして不寛容・攻撃的になりやすい宗教は確かにあるのだとする説の対立を反復している。それに対して本書は2つの戦略を立てた。まず、宗教的過激思想と実際のテロ事件の間に因果関係があるかどうかは論じないよう注意した。実際のテロ実行犯の動機や理由は特定が難しく、ましてや何らかの思想に還元できるものではないからだ。そして、いわゆる唯一神教だけでなく、仏教や神道の過激思想も対象とした。それは「どの宗教にも過激な思想はあるものだ」と言うためではなく、宗教に対して「過激」という語が使われるとき、そこに共通項はあるのか、それとも「過激」の語は単に“他者”を否定・排除するための、内実のないレッテルなのかを問うためだと明記した。
 
さて、その結果何がわかったかについては、定式化しすぎるほどに定式化しているので、終章をご覧いただきたい。副産物として、近現代の宗教的過激思想と近代以前の異端との異同についても新たな説を提示している。

 

(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 教授 藤原 聖子 / 2021)

本の目次

はじめに 「イスラム過激思想」という造語への疑問
序章 宗教・過激に関わるいくつかの言葉
 
1章 「アンチ西洋」ではくくれない―イスラム系過激思想
1.再来するサイイド・クトゥブ――アルカイダ・ISの源流とされる思想
2.マルコムXのNOI――ISの前にあった“イスラム国”
3.カリフ制再興思想の過激さ
カリフ制再興とはイスラム帝国主義ではないのか
 
2章 「弱き者のため」のエネルギーはどこから―キリスト教系過激思想
1.「テロリストの父」と言われるジョン・ブラウン――手段を選ばなかった奴隷制廃止運動家
2.現代のプロ・ライフ派はブラウンの後継者か――命のために命を奪う人々
3.「おうい雲よ」の山村暮鳥も――伏字にされた児童文学
 
3章 善悪二元論ではないのに―仏教系過激思想
1.井上日召『一人一殺』―戦前の若者を魅了した日蓮主義
2.急増するチベット仏教僧の焼身・抗議運動
 
4章 ナショナリズムと鶏卵関係か―ユダヤ・ヒンドゥー教・神道系過激思想
1.カハネ主義――ネオナチ化したユダヤ教徒
2.ヒンドゥー・ナショナリズム――「寛容」という名の排他性
3.神道に過激思想はあるか
 
5章 過激派と異端はどう違うか
1.異端はどこが異端とされたのか
2.悪魔崇拝の系譜

終章 宗教的過激思想とは何か
おわりに 「宗教的過激思想」が照らし出すもの
 

関連情報

書評:
本で読み解くNEWSの深層: 狂信の現在 (日刊ゲンダイDIGITAL 2021年11月30日)
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/book/298023
 
書評 (『キリスト新聞』)
http://www.kirishin.com/book/50189/
 
柄谷行人 (哲学者) 評 (『朝日新聞』朝刊 2021年7月10日)
https://book.asahi.com/article/14391257
 
書評「社会改革を正当化する論理」 (『日本経済新聞』朝刊 2021年7月10日)
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO73728910Z00C21A7MY6000/
 

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