東京大学教員の著作を著者自らが語る広場

白い表紙に赤い多重曲線のイラスト

書籍名

ポスト多文化主義教育が描く宗教 イギリス〈共同体の結束〉政策の功罪

著者名

藤原 聖子

判型など

304ページ、A5判、上製

言語

日本語

発行年月日

2017年3月23日

ISBN コード

978-4-00-024795-5

出版社

岩波書店

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ポスト多文化主義教育が描く宗教

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アメリカに比べると、イギリスの宗教に関する報道は少ない。その公教育 (公立校) では「宗教」の授業が高校まで必修であることも知られていない。その国で、2017年もマンチェスターのコンサート会場やロンドンで、ムスリムの襲撃犯による「テロ」と形容される事件が相次いだ。こうした社会情勢の中、宗教はいったいどのように教えられているのだろうか。
 
筆者の専門は宗教学であり、世界に「どのような宗教があるか」だけでなく、各国の公的言説において「宗教はどのように語られているか」に関心がある。その公的言説空間の一つとして、公教育をフィールドに選び、学校教科書を資料に10年ほど国際比較研究を行った。前著『教科書の中の宗教』(岩波新書) では、高校「倫理」の科目を中心に、日本の教科書が、宗教に関してはいかに無防備に価値判断を下し、優劣をつけているかを明らかにした。そこでは、1990年代後半に作られたイギリスの「異文化理解型」の教科書を、多様な宗教の信者が相互理解を深めるという学習目的に、より適った教材の例として紹介した。
 
さて、その教科書の出版から15年が経過し、その間、アメリカ同時多発テロ事件、ロンドン地下鉄テロ事件が起き、イギリスではイスラモフォビア (反イスラム感情) が起こるとともに「共生」の重要性もいっそう説かれるようになった。その中で宗教科の教科書はどんなにか鍛えられ、さらに改良されたことだろうと思い、2010年代に出版された教科書を集めてみた。
 
ところが、期待に反し、教科書は―筆者のような宗教学者の目には―むしろおかしな方向に動き出していた。決して、「イスラム教徒は危険だ」「イギリスはクリスチャンの国だ」などと書かれているわけではない。だが、描かれた宗教がどこか不自然なのである。たとえば、「仏教徒は不殺生を含む五戒を守らなくてはいけないので、製造過程で生き物の命を奪うことがない、仏教徒向け製品を考案してみよう」、などという課題がある。ムスリム向けにハラールな製品を開発しよう、という発想をそのまま仏教にも当てはめたのである。結果として、あらゆる宗教の信者が、常に戒律を遵守することを意識する原理主義者であるかのように描写されているのである。
 
筆者の考えでは、このような教科書の記述をもたらした主因は、「共同体の結束」を目標に掲げた2000年代の教育改革にある。移民集団とホスト社会の間の分裂を修復するには、異文化理解だけでは不十分であり、コミュニティの共通善のために協力しあう市民を育成しなくてはならないということが強く意識されるようになり、2010年代の教科書にはその方針がストレートに反映されたのである (これを本書では「コミュニタリアン的転回」と呼んだ)。簡単に言えば、マイケル・サンデルの「これからの「正義」の話をしよう」の授業と似たアプローチがとられているのだが、それが「宗教」に適用された途端、上述のような信者の描写の原理主義化や、信者への過干渉、宗教の公益性の過剰表象などが起きてしまった。日本でも高校の新科目として「公共」が設置され、宗教との共生もトピックの一つになると予想されるが、その場合に起こりうることを先取りして示した問題提起の書である。
 

(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 教授 藤原 聖子 / 2017)

本の目次

序 章  宗教と教育におけるコミュニタリアン的転回
  一  宗教に揺れるイギリスの教育界
  二  先行研究――公共宗教論・ポストセキュラー論と宗教教育研究
  三  本書の対象・方法と構成
 
第一章  「宗教と暴力」の学習方法――日英教科書比較
  一  執筆者としての経験から
  二  日本の他の教科書ではどうなっているか
  三  イギリスの教科書での「宗教と暴力」の学習方法
  四  テロに抗する教育の実践とコミュニタリアニズム
 
第二章  イギリスの宗教教育史――コミュニタリアン的転回以前
  一  公教育化~一九四四年教育法制定まで
  二  一九四四年教育法~一九六〇年前後
  三  一九六〇年代――「世界の諸宗教」教育の始まり
  四  宗教現象学的「世界の諸宗教」学習
  五  一九八八年教育改革法制定前後
 
第三章  共同体の結束へ――二〇〇〇年代以降の宗教教育
  一  多文化主義の陥穽
  二  「共同体の結束」という学習目標の導入
  三  教育界の対応
  四  疑われるイスラム学校
  五  異なる「自由」の衝突
 
第四章  異文化理解型からどう変化したか――二〇一〇年代の教科書の分析(1)
  一  構成に現れる問題志向型への転換
  二  共同体の結束を促進する課題のパターン
  三  異文化理解型からの変化
 
第五章  公共的宗教の諸相――二〇一〇年代の教科書の分析(2)
  一  前景化する宗教の公益面
  二  宗教内部の多様性が、社会問題に対する意見の多様性に
  三  現代的価値観にひきつけた解釈か
  四  仏教のイスラム化?
  五  宗教集団との力学の影響
 
終 章  コミュニタリアン的転回の功罪
 

関連情報

書評:
『読売新聞』 2017年5月28日朝刊
『週刊 読書人』 2017年7月21日  「2017年上半期の収穫から」「政治学」部門
『図書新聞』 2017年11月25日

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