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グレーの表紙

書籍名

路地と世界 世界文学論から読む中上健次

著者名

今井 亮一

判型など

464ページ、四六判、ハードカバー

言語

日本語

発行年月日

2021年3月31日

ISBN コード

978-4-87984-402-6

出版社

松籟社

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路地と世界

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本書は「1粒で2度おいしい」を狙っている。
 
ひとつは、中上健次論として。中上健次 (1946-92) は、戦後生まれでは初の芥川賞を受賞した、被差別部落出身の作家として知られている。多くの批評家に高く評価され、村上春樹と文壇を大きく二分するような様相を呈してもいた。中上は故郷の部落を「路地」と称し、ほとんどの作品がそこと関わっている。本書はまず、戦後日本文学を考える上で欠かすことのできない中上健次について、筆歴のほぼ全体をカバーする作品・作家論としてある。具体的に言うと、本書の第1章以降は、中上作品を時系列的に追いかける構成となっている。
 
もうひとつは、世界文学論として。特に21世紀の欧米の比較文学研究者を中心に、「世界文学」をめぐる議論が活発化した。これは、グローバル化が進んだ現在、いわゆる「第三世界」の作家・作品も研究の視野に入るようになり、また言語的な越境を行なう作家も増え、旧来の欧米中心的な「一国一言語」の文学観が通用しにくくなったという背景がある。それゆえ、論者ごとに多彩なアプローチこそあるものの、反欧米中心主義・脱ナショナリズムを目指す姿勢が、大まかな共通傾向として指摘できる。本書では、まず序章で主要な世界文学論を概観した後、2章以降では注目するトピックに応じて、種々の世界文学論を適宜参照していった。ただし本書では、世界文学論にもろ手を挙げて賛成するというより、反欧米中心主義・脱ナショナリズムという目論見が必ずしも成功していないことも示し、むしろ各国文学から遊離しない世界文学論の在り様を模索した。
 
このように本書は、世界文学論を援用して中上健次を論じている。これは単に流行に乗ったわけではなく、中上の関心が近年の世界文学論と共鳴するためである。
 
中上は「路地」という、日本の言わば「周縁」に強く関心を持っていた。政治的な面はもちろん、言語的には方言であったり、あるいは文字より口承を重んじるような文化などに着目していた。こうした事態は、世界文学論における「第三世界」という「周縁」への関心、あるいは書き文字と話し言葉という言語的越境の問題と重なる。そして「路地」への注目は、日本という国家を相対化する脱ナショナリズムへも中上を導いた。こうした点を本書第2章で、中上の中期作品読解によって示した。
 
その後、中上作品における「路地」は、現実の被差別部落解体と軌を一にするように、資本主義の流れを受け、物理的には消失する。こうした作品世界の変質を描いた中上は、路地出身の人物たちが全国行脚に出たり、東京の性風俗で働いたり、あるいは南海へ進んだりする小説をやがて執筆した。第3章から終章では、中上の後期作品の精読を通じ、資本主義の運動の様態や、その結果、一種の格差として生まれる「中心/周縁」、そして「第三世界」の連帯という、世界文学論でしばしば取り上げられる主題を、中上が先取りしていたことを明らかにした。
 
世界文学論を補助線とすることで中上健次をより鮮やかに理解する。中上健次を論じることで世界文学論をさらに深化させる。本書が1粒で2度おいしくなっているかは、読者に判断されるのを待つほかない。ただ、新しい理論が過去の作品を解明し、過去の作品が新しい理論を導くという人文学の愉しみが少しでも伝われば嬉しい。

 

(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 助教 今井 亮一 / 2021)

本の目次

はじめに 本書の構成と読み方
 
序章 中上健次と「世界文学」
一.世界文学という学問
二.世界文学論とナショナリズムの距離
 一.比較における「パブリック」度
 二.「自由」と多文化主義
 
第一章 「岬」ならびに『枯木灘』再訪―私的空間としての路地
一.はじまりとしての「岬」
 一.「岬」の位置付け―『枯木灘』との接続と断絶
 二.「エレクトラ」から「岬」へ
二.『枯木灘』での転回と深化
 一.「岬」から『枯木灘』へ―通過点としての『枯木灘』
 二.「父殺し」の内実と二つの「完遂」
 三.「日本のフォークナー」(中上健次とフォークナーI)
 
第二章 中期作品群の深まり―路地と脱国民国家(ネーション)
一.「中期」の位置付け―先行研究概観
二.文体的自己批判―中期作品における「翻訳」プロセス
 一.中上健次と翻訳研究(トランスレーション・スタディーズ)
 二.翻訳と共同体
三.内容的自己批判―秋幸三部作の変貌
 一.母系性と父殺し、メタフィクション的語り
 二.「物語」との抗争
 三.「月と不死」について―中上健次とネフスキー
 
第三章 『地の果て 至上の時』の「再」出発―路地と資本主義
一.路地の消滅と「時代性」
 一.路地の消滅について―中期と後期の境界(の曖昧さ)をめぐって
 二.「同時代性」について―村上春樹と中上健次
二.『地の果て 至上の時』―摩滅する基盤
 一.龍造と〈超越性〉
 二.「水の信心」ならびに龍造のロマン的イロニー
 三.朋輩とジンギスカン
 
第四章 『日輪の翼』と『讃歌』の展開―路地と「世界-文学」
一.『日輪の翼』―維持されるアイデンティティ
二.『讃歌』―路地の消滅と「温存」
 一.イーブとツヨシの不等式―『讃歌』前半のアイデンティティ
 二.オバたちの「変容」
 三.(ビ)カミングアウトと〈ファグ・ハグ〉
三.中後期作品と「世界−文学」
 一.「近代性」と「中心/周縁」をめぐって―理論的整理
 二.「南」の作家(中上健次とフォークナーII)
 
終章 『異族』の限界と可能性―路地から世界へ
一.『異族』第一・二期―グローバル・サウス的連帯の限界
二.『異族』完結篇―小説的限界と世界文学論的可能性

関連情報

受賞:
第1回東京大学而立賞受賞 (東京大学 2020年)
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/research/systems-data/n03_kankojosei.html

書評:
師玉真理 評 (『比較文学』64巻p.149-153 2022年3月31日)
https://doi.org/10.20613/hikaku.64.0_149

野谷文昭 評 (現代文芸論研究室論集 2022『れにくさ』12号p.271-276 2022年3月31日)
https://doi.org/10.15083/0002005657
 

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