東京大学教員の著作を著者自らが語る広場

茶色の表紙に夜学生の集合写真

書籍名

植民地朝鮮における不就学者の学び 夜学経験者のオーラル・ヒストリーをもとに

著者名

李 正連

判型など

373ぺージ、A5変形

言語

日本語

発行年月日

2022年3月1日

ISBN コード

9784910132211

出版社

博英社

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植民地朝鮮における不就学者の学び

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本書は、夜学経験者のライフ・ヒストリーをもとに、植民地期朝鮮における不就学者の学びの実態を明らかにするとともに、当時夜学の果たした役割とその意義について考察したものである。
 
植民地期朝鮮では三・一独立運動 (1919年) 以降朝鮮民衆の教育熱が右肩上がりであったが、日々高まる朝鮮民衆の教育熱に対して朝鮮総督府の学校増設は追い付かず、入学競争は初等・中等学校を問わず植民地末期まで続いた。つまり、植民地期朝鮮の就学率は、日本の植民地支配下の35年間低い水準を呈し続けており、植民地末期にも5割程度にとどまった。その最も大きな原因は、不就学問題に対する朝鮮総督府の消極的な対応ということができる。
 
当時、学校に行けない不就学者の学びを支えた教育施設としては、朝鮮各地に設置されていた夜学や講習所、書堂などがある。これらの教育施設は、不就学児童のみならず、学齢期を超えた青年や農民、労働者、そして婦人等に対しても教育を行っていた。これらの教育施設や教育活動は、官によるものも一部あったものの、その多くは朝鮮民衆によるものであった。要するに、近代教育に対する朝鮮民衆の欲求は、朝鮮総督府が提供する学校だけでは満たされず、民衆自らが夜学や講習所を設立・運営して学んでいたのである。
 
こうした朝鮮民衆による教育実践、つまり「夜学」に関する従来の研究は、主として「抑圧―抵抗」という二項対立の研究視点に立っており、これらの教育施設は朝鮮民衆の民族教育の場としてとらえる視点が強かった。しかし、そうした視点では、朝鮮民衆はもっぱら「抑圧」の対象もしくは「抵抗」の主体としてしか描かれず、自らの暮らしや学びを守り、つくりあげていく生活及び教育における主体としての側面は看過されてしまう。こうした二項対立の視点を乗り越えるため、本書では、これまで文献資料のみに依拠していた夜学研究の課題を踏まえ、植民地期朝鮮の夜学研究に欠けていた実証性を補うため、当時、実際夜学で学んだり、または教えたことのある夜学経験者の証言を集め、考察している。
 
当時の夜学経験者を探し出すことは決して容易なことではない。調査に着手し始めた時 (2013年) の夜学経験者は、すでに80歳を超える高齢であり、また学校とは違って夜学は学籍簿などの記録もほとんど残っていないため、夜学経験者を探し出すことそのものが大変なことであった。その中でも2013年4月から2018年10月まで約5年半にわたって多くの夜学経験者を探し出し、64名 (生徒60名、教師4名) からライフ・ヒストリーを聞くことができた。
 
夜学経験者の証言によると、植民地期の朝鮮民衆は生活向上や社会的地位の上昇移動、あるいは新しい文化を楽しむために、積極的に教育を受け、または自ら学びを創造していく主体的な存在であったことがわかる。学ぶ人々の視点から夜学をとらえると、従来の「抑圧―抵抗」図式では説明できない実態が多く存在している。貧弱な教育環境の中で民衆自らがつくった夜学が、子どもをはじめ、青年、女性などの不就学者の受け皿となり、また一方では地域住民の文化交流や地域の拠り所としての役割をも果たしていたのである。
 

(紹介文執筆者: 教育学研究科・教育学部 教授 李 正連 / 2022)

本の目次

序  章 : 朝鮮民衆の教育欲求は満たされたのか
第1章 : 植民地朝鮮における教育政策の展開
第2章 : 教育欲求の高まりと夜学の増加
第3章 : 不就学者の学びの実態 ― 1939‐40年代夜学経験者のオーラル・ヒストリーをもとに
第4章 : 女性の学びと夜学
第5章 : 夜学教師による教育実践の諸相
終  章 : 不就学者の学びと夜学
 

関連情報

書評:
國分麻里 (筑波大学) 評 (『アジア教育』16巻、pp.81-85 2022年11月)
https://www.jstage.jst.go.jp/browse/ajiakyouiku/-char/ja
 
肥後耕生 (豊岡短期大学) 評 (『基礎教育保障学研究』第6号 2022年8月)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jasbel/6/0/6_268/_pdf

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