近代日本の工業化が、欧米型の工場制工業の移植・発展だけではなく、中小零細な工場や作業場を担い手としていたことは、近年の日本経済の歴史的な研究ではほぼ共有されている認識といってよいでしょう。しかしこのような経営規模の大きく異なる経営体の同時存在をどのように位置づけるかは、議論のあるところです。経済近代化の過程を、「伝統社会」と「近代社会」によって形成される「二重経済」としてとらえる方法は、後進・後発国が直面する現実を説明するものとして、広く受け入れられてきました。この見方では、伝統部門=中小零細経営の存在を後進性の現われか、あるいは近代部門=大企業部門のもとに編成・利用される存在として位置づける傾向があります。これに対して筆者は、前著『日本における在来的経済発展と織物業』(名古屋大学出版会、1998年) で、明治・大正期 (1880-1925頃) における綿織物業の発展を支えた問屋制家内工業は、生産組織としての問屋制が、小農世帯の労働力配分戦略の一環としての家内工業 (織物生産) と結びついた生産形態であったことを、織元の経営史料の分析を通じて論じました。「産業革命」を主導したとされる繊維産業でも、必ずしも大規模化を志向する工場制の成立へ結びつかない産業発展パターンが存在したわけで、前著ではそれを「在来的経済発展」と呼んでいます。
本書は、この「在来的発展」論の射程が、20世紀日本の経済発展の考察にも及ぶことを、大都市東京を場として、実証的に明らかにすることを課題としています。東京に着目するのは、伝統的な小農社会からの距離を最も広げた近代都市が、一方で製造業中小経営の族生と再生産の場であった事実に基づいています。実際、これら都市中小経営は、徒弟をへて職工となり、さらに独立開業によって経営主を目指すライフコースの見通しが労働する側に共有されることで活性化していました。中小経営への参入は、望ましい就業機会を作り出すための、主体的な対応行動の面があったのです。
ただしそれが現実化するには、競争力のある産業の展開が必要です。本書は1920年代の東京で欧米向けの新興輸出産業として勃興し1970年頃まで生産を拡大した、金属やセルロイドを素材とする玩具工業を、その事例として検討しました。三部構成をとる本書の第II部、第III部は、もっぱらこの玩具工業の歴史分析に充てられています。国際比較によれば、日本の玩具産業には他の主要生産国のドイツ・アメリカ・イギリス、そして第二次世界大戦後の新興国香港と比べても、中小経営依存的性格が色濃く現れています。そこでは製造問屋とよばれる組織者のもと、技能形成に裏打ちされた中小経営が製造面での主体となっていたこと、大都市東京の都市環境が技術や労働力の利用可能性を広げることで、この分散的な生産組織を支えていたことが明らかになりました。
このような産業パターンが1930年代から戦後高度成長期を経て1970年代まで続いていたことは、在来的発展論の射程が思いのほか長いことを示しています。近代日本の経済発展を、「近代」と「在来」のそれぞれ固有の論理を有する2つの経済発展の相互作用の過程―「複層的発展」―として理解することが、現代日本経済を見通す上でも必要となるのではないか。終章は、このような問題提起で締めくくられています。
(紹介文執筆者: 経済学研究科・経済学部 名誉教授 谷本 雅之 / 2026)
本の目次
凡 例
序 章 課題と対象
1 本書の課題
2 研究史と論点
3 対象と時期設定
第I部 戦前期大都市の工業化と中小経営
第I部はじめに
第1章 近代日本の都市「小経営」
——『東京市市勢調査』を素材として
はじめに
1 東京の就業構造と都市「小経営」
2 就業者の属性
3 世帯構成と女性家族労働
おわりに
第2章 両大戦間期日本の都市小工業
—— 東京府の場合
はじめに
1 東京における小工業の展開
2 都市小工業の業態
3 小工業の再生産
4 集積と集住 —— 小経営と社会関係
おわりに
第II部 両大戦間期における新興中小工業の発展
第II部はじめに
第3章 両大戦間期日本の中小工業と国際市場
—— 玩具輸出を事例として
はじめに
1 輸出「雑貨」工業の変遷
2 玩具輸出と世界市場
3 競争力の基盤 —— 外的条件と内的要因
おわりに
第4章 分散型生産組織の新展開
—— 両大戦間期東京の玩具工業
はじめに
1 業態 —— 問屋・製造業者・内職者
2 組織化 —— 分業と主体間の関係
3 分散型生産組織の基盤
4 問屋・製造業者の創生と再生産
おわりに
第III部 戦後の拡大と変容
第III部はじめに
第5章 戦後東京における玩具工業の発展
はじめに
1 輸出市場の動向
2 中小工業としての玩具生産
3 玩具工業の生産組織
おわりに
第6章 玩具業界の組織化と協同組合
はじめに
1 製造業者の組合活動
2 検査・登録事業
おわりに
第7章 戦後東京における中小経営の存立構造
はじめに
1 玩具工業と東京立地
2 東京立地と都市環境
おわりに
終 章 総括と展望
1 本書の要約
2 玩具産業史のダイナミズム
3 在来的発展と大都市
文献一覧
あとがき
図表一覧
索 引
関連情報
2024年度 中小企業研究奨励賞 特賞 (一般財団法人商工総合研究所 2024年)
https://shokosoken.or.jp/commendation/selected.html
https://shokosoken.or.jp/jyosei/kenkyu/kako-syourei.pdf
書評:
今泉飛鳥 評 (『Technology and Culture』Volume 67, Number 1 2026年1月)
https://doi.org/10.1353/tech.2026.a980987
阿部武司 評「谷本雅之氏の「在来的発展」論への疑問─同氏著『在来的発展と大都市』をめぐって─」 (『歴史と経済』第268号 2025年7月)
https://seikeishi.com/wp-content/uploads/2025/07/26867-4.pdf
満薗勇 評 (『経済学論集』第84巻2号p.57-60 2025年3月)
https://doi.org/10.32173/jeut.84.2_57
酒井一輔 評 (『東北アジア研究』第29号p.135-141 2025年2月28日)
https://tohoku.repo.nii.ac.jp/records/2003156
https://www2.cneas.tohoku.ac.jp/publication/publication01/neas29.html
斎藤修 (一橋大学) 評 (『経済研究』76巻2号p.1-5 2025年2月28日)
https://doi.org/10.60328/keizaikenkyu.er.br.034225
田中幹大 (慶應義塾大学教) 評 (『企業家研究』第25号 2025年2月)
https://kigyoka-forum.jp/entrepreneur_researc/5160/
https://kigyoka-forum.jp/wp-content/uploads/2026/02/10_%E6%9B%B8%E8%A9%95%EF%BC%93%EF%BC%88%E7%94%B0%E4%B8%AD%E5%B9%B9%E5%A4%A7%EF%BC%89.pdf
沢井実 評 (南山大学教授・大阪大学名誉教授) 評 (『日本歴史』2025年3月号 第922号p.110-112 2025年2月20日))
https://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b10131877.html
菅山真次 (東北学院大学教授) 評 (『大原社会問題研究所雑誌』795号 2025年1月号)
https://oisr-org.ws.hosei.ac.jp/oz/contents/?id=2-001-0000121
https://oisr-org.ws.hosei.ac.jp/images/oz/contents/795_07.pdf
橋野知子 (神戸大学教授) 評 (『日本労働研究雑誌』2024年10月号 第771号 2024年9月25日)
https://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2024/10/index.html
https://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2024/10/pdf/101-106.pdf#shohyo_1
本よみうり堂: 岡本隆司 (歴史学者・早稲田大教授) 評 (『読売新聞』 2024年6月28日)
https://www.yomiuri.co.jp/culture/book/reviews/20240624-OYT8T50071/
高橋勅徳 評 (『週刊読書人』 2024年5月17日)
https://dokushojin.net/news/557/
講演:
在来的発展と大都市─20世紀東京の経験 (日仏会館・フランス国立日本研究所 2025年6月6日)
https://www.mfj.gr.jp/evenement/une-megalopole-au-developpement-autochtone-tokyo-dans-le-xx%E1%B5%89-siecle/?lang=ja
第49回中小企業研究奨励賞受賞記念講演会 (一般財団法人商工総合研究所 2025年3月5日)
https://shokosoken.or.jp/lecture_contribution/lecture.html
2023年度東北⼤学⽇本学国際共同⼤学院シンポジウム「中小企業と地域:過去と現在」 (東北⼤学⼤学院経済学研究科 2024年3月21日)
https://gpjs.tohoku.ac.jp/media/files/_u/event/file/2631q49r35.pdf

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