せめぎ合う質量をもたない電子 相互作用が織りなす多彩な競合現象の解明


分子性結晶 α-(ET)2I3 におけるディラック電子の速度の増大
結晶中に存在する電子の「エネルギー」(縦軸;単位はミリ電子ボルト)と、電子の取りうる運動状態を現す「波数」という量(横軸;単位はオングストローム(Å = 10-10 m)の逆数)の関係を表した図。電子間に電気的な相互作用がない場合(半透明な灰色円錐状分布)に比べ、相互作用がある場合(内側のひしゃげた円錐状分布)には、電子の速度(= 円錐斜面の傾き)が斜面の場所によって異なる速度の増大を示すことがわかる。虹色のスペクトルは、結晶内で信号が強くなる電子(赤;円錐の急斜面に集中)と弱くなる電子(青;なだらかな斜面に存在)の分布を示している。
© 2016 Michihiro Hirata.
東京大学大学院工学系研究科の鹿野田一司教授、宮川和也助教らの共同研究グループは核磁気共鳴という電子の挙動をミクロに観測できる実験手法により、質量のない(質量ゼロ)ディラック電子と呼ばれる特殊な電子集団の異常な振る舞いを明らかにしました。
真空中に静止した電子は一定の質量をもつことが知られています。一方、物質中の電子は、物質の結晶構造や元素組成などによって決まるさまざまな大きさの見かけ上の質量(有効質量)をもつことになり、特定の条件がそろったときには、あたかも質量がないかのように振舞うことがあります。このように質量のない特異な粒子のことを「質量ゼロのディラック電子」と呼び、その新奇な物理特性が基礎・応用の両面から盛んに研究されています。この特殊な電子は、グラフェン中で10年ほど前に初めて確認され、その後、表面のみ金属的な伝導特性を示す特殊な絶縁体やその類縁物質、さらには分子性結晶中などでも見つかり、「ディラック物質」の科学として、近年、新たな広がりを見せています。
中でも、質量ゼロのディラック電子間の電気・磁気的な相互作用は、通常の金属や半導体中の有限質量をもった電子間のそれとは著しく異なる特質を持もつことが予想され、そのため、普通の物質とは全く異なる電子の集団的挙動が期待されます。実際、たとえばグラフェンにでは、電子の相互作用の結果、物質内を動き回る電子の速度が(通常とは逆に)異常に増す現象が確認されています。しかし、グラフェンでは本質的に電子間の電気・磁気的な相互作用が弱く、ディラック物質における電信の集団的な挙動の多様性については、実験的にまだ十分に理解が進んでいません。
今回、共同研究グループは、グラフェンに比べて物質内の電子の相互作用が強い(電子相関の強い)質量ゼロのディラック電子を内包する分子性結晶に着目し、電子のミクロな磁気的な特性を評価するための核磁気共鳴測定と、それを補完する理論的な計算を行いました。その結果、強い電気的な反発によって、電子の速度が増えるほか、電子のもつ小さな磁石(スピン)の一部が磁場と反平行にそろおうとするフェリ磁性が生じることを、実験と理論の両面から初めて明らかにしました。
「この結果は、質量ゼロのディラック電子の集団が、従来知られているよりもずっと多彩な集団的な挙動を示しうることを実験的に示した初の事例です」鹿野田教授は説明します。「今後、電気・磁気的な相互作用を軸に、この特殊な電子からなる物質の社会のさらなる多様性を探索していく上で、重要な知見となると考えています」と続けます。
なお、本研究はフランスのグルノーブル国立科学研究センターの平田倫啓博士(日本学術振興会海外特別研究員(当時)/現在は東北大学金属材料研究所助教)、Claude Berthier研究員、Denis Basko研究員、東京大学大学院工学系研究科の石川恭平大学院生(当時)、東京理科大学理工学部の田村雅史教授、そして名古屋大学大学院理学研究科物質理学専攻の松野元樹大学院生、小林晃人准教授らと共同で行ったものです。
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論文情報
Observation of an anisotropic Dirac cone reshaping and ferrimagnetic spin polarization in an organic conductor", Nature Communications Online Edition: 2016/08/31 (Japan time), doi:10.1038/ncomms12666.
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