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写真でたどる昔と今の建造物 | 広報誌「淡青」36号より

掲載日:2018年4月4日

実施日: 2018年03月09日

UTokyo 3.0突入記念「タイムラプス」特集
写真でたどる昔と今の建造物
赤門、安田講堂から三四郎池、駒場正門まで

70年を1単位とすれば、UTokyoは第3期に入ったところ。来し方を振り返るのには適した頃合いです。そこで今特集。学内に蓄積され た写真の数々をテーマ別に整理して提示し、140年の変遷を視覚的にざっくりたどっていただこうという趣向です。文は最小限。画は最大限。ドンと見据えて、Don’t miss it!

 

正門
1911年の法科大学(後の法学部)卒業アルバムに写る木製の仮正門には「東京帝国大学」の表札が。安田講堂はまだなく、道の彼方に見えるのは理科 大学(後の理学部)です。冠木を擁する現在の正門は1912年の建造。1940年には来学した昭和天皇が車でくぐる姿を、1989年の崩御時は弔旗掲揚反対派と大学職員が押し合う姿 を目撃しました。


1911(明治44)年頃

2017(平成29)年


1940(昭和15)年

1972(昭和47)年

1989年(平成元)年

安田講堂
安田善次郎氏の寄附により1925年に竣工した大講堂(安田講堂)。東大紛争では、全共闘の学生らがバリケードを築いて立て籠もり、警察側との激し い応酬により大きく損傷、内外の壁に落書きがなされました。その後、ホール部分はほぼ物置状態でしたが、2014年末に全面改修を果たし、卒業式をはじめとする重要な催しの 会場として使われています。


1930(昭和5)年


2018(平成30)年


1924年(大正13)年

1969(昭和44)年

1969(昭和44)年

1974(昭和49)年

1988(昭和63)年

赤門
1827年、前田斉泰が溶姫を迎えるために建てられた赤門。学内に残る最も古い写真(『東京帝國大學五十年史』より)では今と変わらぬ姿が確認でき ます(位置は約15m移動)。1923年の関東大震災直後には安否確認や伝言の貼り紙が。後に「國寶赤門」の標柱が立ちましたが、重要文化財となったため「國寶」部分を朱で上 塗り。現在は「赤門」の新標柱が立っています。


1886(明治19)~ 1898(明治31)年

2018(平成30)年


1923(大正12)年

1939(昭和14)年


1933(昭和8)年

2017(平成29)年

龍岡門

東大病院に通じ、都バスやタクシーなども行き交う龍岡門。昔は他の門と同様に開閉する扉を備 えていました。1912年の医学部卒業アルバムは着物姿で扉を抜ける人々を、1981年の記録写真は扉の横を窮屈そうに通過するバスを捉えており、門の幅が狭かった時代を偲ばせ ます。夜間診療所だった隣の建物は、広報センターに。門を入ったところには本部棟がそびえます。

 


1912(大正元)年頃

1981(昭和56)年


1937(昭和12)年

2018(平成30)年

弥生門

浅野地区や根津駅方面から本郷地区に向かう際に便利なのが弥生門。入って正面にそびえるのは、内田祥三の設計により1939年に 竣工した工学部3号館です(1937年の写真にはまだありません)。2010年に取り壊されましたが、旧館のデザインを継承しつつ各所に先進的な機能を取り入れる形で2013年に新3 号館として生まれ変わりました。


1955(昭和30)年頃

1989(平成元)年


1935(昭和10)年

2017(平成29)年

農正門

かつて向ヶ岡の地にあった第一高等学校。1935年、駒場の帝大農学部との敷地交換が成立し、一 高生たちは向陵正門を後にしました。1937年、向陵正門があった位置に建造されたのが農正門。正門前を行き交う車や街並が時代の変遷を伝えます(写真は農学部所蔵)。2003 年、農正門の改修が行われ、扉材は樹齢数百年の木曽檜に。


1938(昭和13)年頃

2007(平成19)年


1928(昭和3)年

三四郎池

1928年の卒業アルバムには凍った池でスケートを楽しむ学生たちの姿が。夏には遊泳に興じる写 真もあり、今よりもっと憩いの場だったことが窺えます。池を見下ろすように建つ本部と山上会議所は、事務室や会議室として使われましたが、関東大震災で焼失(1935年に山 上会議所を再建。1986年に山上会館が竣工)。1977年には大規模な池の浚渫が行われています。


1924(大正13)年以前

1977(昭和52)年


2018(平成30)年


1955(昭和30)年頃

工学部2号館

内田祥三が構内で設計した最初の建物(1924年竣工)。価値を守りつ つ施設拡充の需要に応えんと、旧館の上に高層階を持つ
新館を載せるという手法を採用、2005年に実現しました。


2017年(平成29 )年


1989(平成元)年

御殿下記念館

百周年記念でグラウンドの下にできた総合体育施設。旧運動場附属施 設の一部も再利用した建物には、一時期そば屋やパン屋などのお店もありましたが、今は学生支援系の部署が集結しています。


2017(平成29)年


1988(昭和63)年

東京大学オフィシャルショップ
コミュニケーションセンター

1910年に建設され、車庫や図書館製本所として使われた、現存する中 では博物館小石川分館に次いで古い建物。2005年、公式グッズを販売し社会との接点となる場に生まれ変わりました。


2017(平成29)年


1940(昭和15)年代?

2017(平成29)年

弥生道

駒場Iキャンパスの敷地を東西に走る銀杏の並木道は、弥生地区にあった一高が駒場に移転した 際、当時の森巻吉校長が「弥生道」と名付けました。昔も今も、駒場で暮らす学生にとっての思索と逍遙の道です。ただ、東大紛争期には、騒乱の道ともなりました。


1950(昭和25)年代?

1969(昭和44)年頃


1935(昭和10)~1945(昭和20)年

駒場正門

表札は第一高等学校から東京大学教養学部に変わりましたが、柏(オーク)の葉と橄欖(オリー ブ)の葉・実を合わせた大扉の透かし模様は変わりません。もちろん一高の紋章です。時計棟の本館は現在は1号館と呼ばれます。


2017(平成29)年


1935(昭和10)~1945(昭和20)年

駒場東大前駅

昔は東駒場と西駒場の2駅がありました。東駒場駅は一高前駅に改称し、1951年に東大前駅に。 1965年には西駒場駅から改称した駒場駅と統合して駒場東大前駅となりました。一高前駅は梅林門を出た踏切付近にありました。


2017(平成29)年

13号館

越中島から移転した航空研究所を継承する駒場IIキャンパス。正門を入って正面に構える航空研 究所本館は、13号館へと呼称が変わり、現在は先端科学技術研究センターが使用しています。植樹の成長が時の流れを伝えます。


1931(昭和6)年頃


2017(平成29)年

物性研究所

柏キャンパスで行われた物性研究所と宇宙線研究所の竣工披露記念式の写真を見ると、物性研の 西側にはまだ何もない状態。新領域創成科学研究科の研究室などが入る新領域基盤棟が竣工したのは、2003年のことでした。


2000(平成12)年


2017(平成29)年

宇宙線研究所

スーパーカミオカンデのタンクをイメージした吹き抜けが特徴の宇宙線研究所。その西側は空地 でしたが、2009年、「螺旋運動するアカデミア」というコンセプトで設計されたカブリ数物連携宇宙研究機構棟が竣工しました。


2000(平成12)年


2017(平成29)年

医科学研究所表門

1905年に白金台に移転した伝染病研究所は、1916年に東京帝国大学附置となり、1967年に医科学 研究所となりました。1918年の医学部アルバムには「東京帝國大學傳染病研究所」の表札がかかる門の写真が収められています。


1918(大正7)年頃


2017(平成29)年


※本記事は広報誌「淡青」36号の記事から抜粋して掲載しています。PDF版は淡青ページをご覧ください。

 


 
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