FEATURES

English

印刷

生涯歩き続けられる社会を目指して 地道で大規模な住民コホート調査から得た指針

掲載日:2015年3月16日

幸せな老後を迎えるために、健康をどう維持し、障害をどう予防していけば良いのか。高齢化が進む日本が抱える大きな課題に、「運動器全体の問題として取り組む」という新たな切り口から挑む研究があります。高齢者が運動器疾患により要介護状態となる要因やリスクを把握するための大規模な集団追跡調査は、開始から間もなく10年。多くの人の協力で得られたデータから、「生涯歩ける社会」の実現を目指しています。

運命的な出会い

医学部附属病院22世紀医療センターで関節疾患総合研究に携わる吉村典子特任准教授が東京大学にやってきたのは、2005年。附属病院の理事を務めていた整形外科学講座の中村耕三教授がロコモティブシンドローム(運動器症候群、以下「ロコモ」)という概念を提唱する準備を進めていた頃でした。

図1:ロコモティブシンドロームの概念図 Adapted from Locomotive syndrome. Locomotive syndrome pamphlet 2013, edited by Locomotive Challenge! Council, Japanese Orthopaedic Association, Tokyo, 2013.

図1:ロコモティブシンドロームの概念図
ロコモティブシンドロームは、日本整形外科学会により2007年に提唱された概念で、運動器の障害のために移動機能の低下した状態を言います。進行すると要介護となるリスクが高くなります。日本整形外科学会による提唱以来の活動もあり、医学界での認知度が高まってきました。 (Locomotive syndrome pamphlet 2013, edited by Locomotive Challenge! Council, Japanese Orthopaedic Association, Tokyo, 2013.)

ロコモとは、骨や関節、筋肉、神経などの運動器の障害のために移動機能の低下をきたし、進行すると介護が必要になるリスクが高い状態をいいます(図1)。整形外科の専門分野にとらわれず運動器にかかわる分野全体ですすめ、移動機能の低下や要介護の予防につなげることが研究の目的です。「これからの高齢化社会を見据えた、新鮮で理にかなった考え方だ」。吉村特任准教授は強く共感しました。

運動器障害の予防を目的としたそれまでの臨床研究は、骨粗しょう症や骨折、変形性関節症、リウマチ、腫瘍、外傷などといった専門分野ごとに進められることが多く、運動器全体からの分析がほとんどありませんでした。また日本では、腰や膝に多少の痛みがあっても、歩行困難や悪化傾向がなければ病院に行かない人が多く、定期診断でも骨や関節を詳しく調べるケースは稀。疾病の頻度、発生率、増悪率、合併率、それらに関連する因子、など運動器障害の基本的な疫学データが不足していました。

吉村特任准教授の専門は予防医学。地元の和歌山医科大学の公衆衛生学教室で骨粗しょう症を研究する中で、運動器の障害に悩む多くの高齢者を目の当たりにしてきました。もともと内科医であったこともあり、整形外科医の中村教授とは専門が異なり面識もありませんでしたが、分野横断的に取り組むロコモの重要性、そして、地方で地道に研究を続けてきた自分の成すべきことがよく分かったのです。

予防はまず現状把握から。吉村特任准教授は現状を明らかにする手段としてコホート研究デザインを選びました。集団を対象に追跡調査を行い、疾患の有病、発生、その予後を継続的に調査する疫学調査の手法です。自らのライフワークとして取り組んできた経験がありました。「高齢者が生涯歩き続けられる社会の実現に役立てるなら」。今まで以上に大規模で地道な調査の遂行に、新たな一歩を踏み出す決意をしました。

大規模な調査の結果が語ること

ロコモのコホート研究は2005年から、東京都板橋区と、和歌山県の山間にある日高川町と漁師町の太地町で始まり、Research on Osteoporosis/osteoarthritis Against Disability、略してROADと名付けられました。「研究成果を発信する相手は、日本という国全体。結果を一般化するためには、生活スタイルの異なる都市と地方のデータをそろえれば、説得力が高まるはず」。和歌山時代の4倍となる3040人の対象者一人一人に病歴や生活習慣などを問診し、X線検査を含むさまざまな測定を行います。山村や漁村の調査では、それぞれの町に3~4カ月滞在し、毎日15人ぐらいずつ調査。これを3年、7年、10年目に繰り返し調査し、継続してデータを蓄積します。

図2:膝や腰の変形性関節症の有病率を示すデータ(Yoshimura N, et al. J Bone Miner Metabol 27, 620-628, 2009 より)

図2:膝や腰の変形性関節症の有病率を示すデータ
(Yoshimura N, et al. J Bone Miner Metabol 27, 620-628, 2009 より)

初回調査(2005年)で、予想より多くの人がロコモの範疇に入ることが分かりました。レントゲン写真の分析で、調査対象者の約5割が膝、そして7割以上が腰に、変形性関節症を患っていました。骨粗しょう症の数字を加えると、40歳以上の人口の約3分の2にあたる4700万人が、将来的にロコモが原因で支援が必要になる可能性があることになります。従来の試算値より、はるかに大きな数字でした(図2)。

2回目以降の継続的な追跡調査で明らかになるのは、発症率と疾患関連因子。健康状態からロコモになったり、ロコモから要介護状態になったりする患者の割合と、関連する要因などです。他地域の関連研究のデータも合わせると、全国で年間111万人が要支援・要介護状態に移行していること、やせと肥満のいずれもが要介護状態の移行に関連していること、運動能力の指標である歩行速度や握力がその危険因子となりうることなどが分かりました。

メタボリックシンドロームや認知症などの要介護となる他の要因とロコモに関連する複数の要因は互いに誘発し合うことも分かってきました。たとえば、高血圧と膝関節症はお互いに関連し合っていることがわかりました。つまり高血圧があれば膝関節症発生のリスクが上がり、逆に膝関節症があれば高血圧発生のリスクが上がります(図3)。それぞれの要因に因果関係があり、複雑な状況ですが、「関連要因を一つずつほぐしていくことで、疾病の連鎖を防ぎ、要介護の原因を効率的に予防することを目指しています」と吉村特任准教授は話します。

地域との信頼関係が生んだ成果

図3:運動器の障害とメタボリックシンドロームとの関連を示す概念図。矢印が結ぶ2つの疾患や症状には、一方を有していると他方が発生しやすくなるという関係がある。さまざまな要因が複雑に絡み合って、互いの疾病を誘発し合っている。(Yoshimura N, et al: Mod Rheumatol. 2014 Nov 20:1-11. [Epub ahead of print] より)

図3:運動器の障害とメタボリックシンドロームとの関連を示す概念図
矢印が結ぶ2つの疾患や症状には、一方を有していると他方が発生しやすくなるという関係がある。さまざまな要因が複雑に絡み合って、互いの疾病を誘発し合っている。(Yoshimura N, et al: Mod Rheumatol. 2014 Nov 20:1-11. [Epub ahead of print] より)

貴重なデータと成果が得られた背景には、調査対象者や地域との深い関係がありました。継続と追跡がカギとなるコホート研究。初回に調査した3040人の82%が第2回調査にも参加。太地町に限れば、この数字は96%まで上がります。転出や高齢化によって協力が難しくなる人もいる中で、驚異的な数字です。

この太地町と吉村特任准教授の縁は1993年にまでさかのぼります。町役場から骨粗しょう症検診と健康指導を依頼されて以来、町の人たちの健康づくりに一役買いながら調査研究を進めています。かつてなく大規模な調査となった今回も町役場をはじめ町民の強力なバックアップがありました。山間の日高川町の調査も地元の継続的な協力があり、人口の流出入が多く追跡調査が難しい都市部は東京都健康長寿医療センター研究所との共同作業で多くの人からデータを集めています。地元の協力は息の長いコホート研究に不可欠です。

だからこそ、吉村特任准教授は「結果をすべて、協力者に還元すること」を心がけています。調査結果に基づいた健康教室を現地で繰り返し開くばかりでなく、調査対象者からの個別の健康相談に応じ、重大な疾患の予兆を見つけて他科の医師を紹介したこともありました(写真1)。「高齢者の方が大好きだから」。駆け出しの内科医だったころから多くの高齢者と関わり、励まされながら自身が成長してきたからこそ、活動にも熱が入ります。

今後の展望

吉村特任准教授が今後、特に重要になると考えるのは、国や地方自治体といった行政への働きかけ。たとえば、定期健康診断で腰と膝のレントゲン写真を撮る制度や仕組みがあれば、障害の早期予防につながるでしょう。費用や手間などのデメリットもあるからこそ、それを凌駕するだけの社会的な価値があることを示したいのです。

写真:和歌山県での調査で、健康教室を開いて協力者に調査の結果を説明する吉村特任准教授の様子。(c) 2015 東京大学

写真:和歌山県での調査で、健康教室を開いて協力者に調査の結果を説明する吉村特任准教授の様子。
© 2015 東京大学

今後は4回目の調査(2015年~)を行ってデータを詳しく解析していくとともに、調査対象者を拡大する計画です。2015年には初回調査から10年目となるコホート研究。初年度と今の、たとえば同じ50歳代の対象者のデータを比べることで、世代による相違点も見えるようになってくるはずです。

コホート研究は継続する時間が長くなるほど価値が上がっていきます。そう信じてゆかりのある和歌山と、研究の最先端の東京を行き来する吉村特任准教授。「コホート研究は研究者が死ぬまで続くものですから、コホート研究を始めたら長生きしないといけないんです」。東京大学へ来て10年。和歌山医科大学時代から貫くライフワークの道(ROAD)の歩みは、さらに加速しようとしています。

取材・文:谷 明洋

取材協力

吉村典子 特任准教授

吉村典子 特任准教授
医学部附属病院22世紀医療センター

アクセス・キャンパスマップ
閉じる
柏キャンパス
閉じる
本郷キャンパス
閉じる
駒場キャンパス
閉じる