中国の社会を内側からえぐる エスノグラフィを通して知る現代の中国社会
日本が昔から多大な影響を受けてきた隣の大国、中国。その現代社会が直面する問題を描き出そうと、社会の内側に入り込んで行う観察・研究をかれこれ25年以上も続けているのが、総合文化研究科の阿古智子准教授です。
中国研究とエスノグラフィとの出会い
小さい頃から人間観察が好きで、テレビの旅番組をワクワクしながら観ていたという准教授。学生時代は国連機関やNGOで働くことを考えていましたが、留学先の香港大学でCheng Kai Ming(程介明)教授 の薫陶を受け、エスノグラフィと呼ばれる手法を用いた中国研究の道に進みました(写真1)。
エスノグラフィとは、もとは文化人類学のフィールドワークの一つ。研究者自身が現地社会に所属する内部者として役割を果たしながら観察、記述、分析して人々の生活や行動を明らかにする手法です。学校のクラスの副担任として、灌漑プロジェクトの担当者として、ローカルNGOの一員として(写真2)。地域社会の構成員になって初めて見えてくる中国の姿を、当事者と第三者という2つの視点を堅持しながら、准教授は次々と描き出してきました。
たとえば、河南省では、経済的に立ち遅れた農村でHIVキャリアが増え、エイズ村と呼ばれる地域が存在していました。手早く現金を得られる売血ビジネスを地方政府と業者が結託して促進し、不衛生な環境下の採血で感染者が続出していたのです。しかし、政府はエイズ関連の訴訟を認めようとせず、被害者は泣き寝入りせざるを得ないことがほとんど。こうした状況は、内部に身を置いて声を上げる人がいなければ、外部にはなかなか見えてこないのです。
エスノグラフィを通して見える複雑な中国社会
ただ、自由な言論が必ずしも保障されていない国で外国人研究者が現地調査を行うのは、簡単ではありません。目をつけられて邪魔されることも多々あります。2002年の内モンゴル調査時には身柄を拘束され、最近も調査データが入ったPCや携帯電話を没収されたとか。地方の役人は、批判につながる動きを警戒しているのです。
「中国人の教え子は、批判的な記載を含む論文が問題視され、就職先の大学で処罰されました。友人の中国人研究者の中には、授業を受け持たせてもらえなくなったり、図書館に配置換えされたりした者もいます。私も、あまり深く掘り下げた調査に関わると、今後、入国できなくなるのではないかと心配になります。でも、やめようとは思いません。これも中国の現実。私はそれも含めて観察したい。中国で民主化が進まない要因の一つとして分析してやろうと思うんです」。
たとえば、「民衆の不満vs政府の弾圧」という単純な構図では、複雑な現代中国は描けない、と准教授。特に注目するのは、都市と農村を峻別し、農村から都市への流入を厳しく制限する、身分制度にも等しい戸籍制度の存在です。そこに、高い地位の人にまかせるのをよしとする儒教的な文化、共通の利害がないと団結できないという風潮などが複雑に絡み合い、格差が拡大しているのが現代の中国。インターネットの普及で市民の発言機会が増え、Pu Zhiqiang(浦志強)弁護士を筆頭に人権派知識人も奮闘しているものの、「アラブの春」のような急激な変革は起こりにくい、というのが現時点での分析です。
私はあきらめない
だからこそ、言論の自由と司法の独立の重要さを、研究者が発言し続けないといけないのだ、と准教授は決然と言います。しかし、中国のリアルな姿を知れば知るほど、衝撃的で根深い問題を抱える社会の現実に直面します。重苦しく、目を背けたくなる感情も否めません。
「確かにそうかもしれない。ただ、私は中国の重苦しい一面を意識的に切り取っていますが、中国の人たちって、実はそれほど悲観的ではないんですよ。日々を生きるのに必死なだけかもしれませんが、実際に彼らはたくましく暮らしています。私もあきらめるわけにはいかない」。
苦しい気持ちを認めながらも、現実から目を背けず、抑圧すら研究意欲に換えて、やるべきことをやり続ける。見た目も話しぶりも非常に柔和な印象の准教授ですが、現地で長年エスノグラフィックな研究を続けてきたことで、中国仕込みのたくましいメンタリティが、その全身にしみわたっているのです(図1)。
取材・文:高井 次郎