その政策に効果はあるか? 経済モデルで「良い政策」を探る。| UTOKYO VOICES 092
大学院経済学研究科 経済専攻 教授 北尾早霧
その政策に効果はあるか? 経済モデルで「良い政策」を探る。
「とにかく何か、社会的なインパクトが大きい仕事をしたかったんです。たとえば新聞の一面を飾るような(笑)」
大学卒業後、北尾は大手外資系金融機関に就職した。
金融市場の最前線で数年働き、“大きな仕事”にも関わった後、さらなるステップアップのためにアメリカの大学院に。博士課程で師事したのはマクロ経済学の泰斗トーマス・サージェント博士だった。
「彼は学生が語るアイデアがどんなに隙だらけでも、それが今までになかった考え方ならば『面白い!!』と目をキラキラさせるんです。博士の下で研究するうちに、『大きな仕事を動かす部品の一つ』より、『自分にしか起こせない変化を生み出す存在』になりたいと思うようになって、研究者の道を本気で考え始めました」
北尾はいま、政策検討のために「マクロ経済」を「ミクロ」のデータから見るという、いささかアクロバティックな研究をしている。
マクロ経済に働きかける政策を考えるときには、マクロ経済を動かしている個々の人や家庭や企業、つまり「ミクロ」の実態とふるまいを理解しなければ、何が効果的な政策かを議論できない。
たとえば、国として格差拡大を食い止める政策を考えるなら、その格差は一部の人による富の占有からもたらされたのか、それとも、中間層が貧困層に滑り落ちたためなのか、などによって、効果的な政策は異なる。
さらに、ミクロを知るだけでは十分ではない。薬の効果を調べるように政策の効果を実験で確かめることができるなら話はシンプルだが、マクロ経済において実験はほぼ不可能だ。ならばどうやって、Aという政策の効果を分析するか。
「シミュレーションです。Aという政策を導入した場合にマクロ経済がどのような反応を示すのか、経済モデルを作って予測するのです」
いわば仮想世界に性別、年齢、学歴、雇用形態、人的資本、行動パターンなどがさまざまに異なる何百万という人を住まわせておく、というイメージだ。
「その世界で税制や社会保障制度を変える(すなわち、ある政策を導入する)と、人々がその政策に反応して意思決定をしていく。それがマクロ経済にどう出てくるかを見るのです」
当然ながら、モデルの前提が誤っていたりデータが大雑把であれば予測結果は信頼できない。北尾は社会保障政策のシミュレーションに使える経済モデルを、ミクロなデータによって精緻化する挑戦を続けている。
「もちろんいくらミクロのデータを入れようとモデルはモデルであり、限界はあります。だからどれだけいいモデルを作れるかが勝負」
自分のモデルを学会などで発表して評価されることもうれしいが、“叩かれる”こともうれしい、と北尾は100%の笑顔で言う。
「『このモデルでは医療費の検討が足りない』など、叩かれれば叩かれるほど研究が強くなりますから。そうやって精緻化したモデルとシミュレーションを少子高齢化対策や格差対策などの政策議論に使ってもらいたいと思っています」
北尾の仕事はこうして、「大きな仕事の一部」ではなく、「社会に与えるインパクトが大きな、オリジナルの仕事」になっていく。
北尾のニューヨーク大学博士課程時代の指導教官であり、2011年にノーベル経済学賞を受賞したトーマス・サージェント博士の著書。「マクロ経済学を学ぶ世界中の大学院生にとって、この本はバイブル的な存在です」
「サージェント博士のスピーチの一節です。ほしいものがそこにないなら作りだすしかない。そして何かを得るには何かを手放さなくてはならない。経済学の大事な原理『トレードオフ』を的確に表した言葉だと思います」
Profile
北尾早霧(きたお・さぎり)
早稲田大学政治経済学部を卒業後、ゴールドマン・サックス証券勤務を経て2001年ハーバード大学ケネディ行政大学で修士号取得(行政学・国際開発学修士)、2007年にニューヨーク大学で博士号(経済学博士)を取得。南カリフォルニア大学マーシャル経営大学院助教授、ニューヨーク連邦準備銀行調査部シニア・エコノミスト、ニューヨーク市立大学ハンター校、大学院センター経済学部准教授、慶應義塾大学経済学部教授を経て、2018年より現職。
取材日: 2020年2月20日
取材・文/江口絵理、撮影/今村拓馬