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大学から公衆衛生の現場へ 東大の研究者・院生約20人が都内の新型コロナウイルス対応を支援

掲載日:2020年6月23日

個人防護具の着脱法を指導する東京大学医学系研究科社会医学専攻(公衆衛生学分野)の冨尾淳講師(左)と足利大学の村上弘之准教授(中央)。2020年5月19日、東京都杉並区の杉並病院で院内感染防止の研修を行った

2020年5月19日、東京都杉並区の杉並病院の会議室に、医師や看護師を中心とする病院職員約20名が集まりました。テーブルにはビニール製のガウン、手袋、ゴーグル、フェイスシールド、キャップ、そしてN95マスク、タイベックとよばれるつなぎの白い防護服など、個人防護具の数々が並べられています。

東京大学医学系研究科社会医学専攻(公衆衛生学分野)の冨尾淳講師は、看護師による防護具の着脱の実演中、次のように助言しました。

「皆さんは、この白い防護服を着ることを想定していたかもしれませんが、基本的には手袋、マスク、フェイスシールドと長袖のビニールガウンで大丈夫です。これらを正しく着脱できるようにしておきましょう」

その日の研修のテーマは新型コロナウイルスの感染予防対策。病院スタッフはメモを取りながら、冨尾先生と、共に講師を務めた足利大学の村上弘之先生(看護学)が詳細に手順を指導する間、熱心に耳を傾けました。特に力点が置かれたのが、新型コロナ感染者や感染の疑いのある患者をケアした後の脱衣についてでした。

冨尾先生は4月以降、杉並保健所の依頼を受け、区内の医療機関を訪れて院内感染防止研修を行っています。この日は研修に先立ち病院内を視察し、万が一感染が発生した場合に備え、患者やスタッフの安全な動線を確保するゾーニング(区域分け)についても助言を行いました。

個人防護具を装着する杉並病院の看護師

日本では新型コロナウイルス感染症の第一波のピークはほぼ越えたと考えられていますが、感染終息には程遠い状況です。どの医療機関も、地域や種類に関わらず、医療物資の供給が十分でない中でも、感染リスクを最少化するためのノウハウを身に付け、特に最前線で働く看護師やその他のスタッフへの感染を防ぐ必要に迫られています。 

この日の研修を含め、東京大学公共健康医学専攻・社会医学専攻の小林廉毅教授は3月下旬以降、学内で公衆衛生を専門とする研究者・大学院生に声をかけ、保健所への応援活動の調整をしてきました。保健所の様々なニーズをヒヤリングし、学内メンバーのスキルや意向とマッチングさせるプロセスを経て、4月10日から応援活動を開始。東京大学のメンバー約20人は、これまで江東区、杉並区、世田谷区の3保健所と東京都健康安全研究センターに非常勤職員として勤務し、医療機関での実地研修を行うほか、電話相談の対応や患者データの入力、感染者の発生した医療機関や介護施設での感染の広がりを調べる積極的疫学調査などの実務に従事しました。

これらの活動は、東京大学医学系研究科公共健康医学専攻(SPH)のメンバーなど、学内の公衆衛生関係者の多くが所属している日本公衆衛生学会が、新型コロナウイルス対応で業務量が急激に増加した保健所に、何かできることはないかと働きかけたことから始まりました。東京大学だけでなく、都内の他の公衆衛生大学院および医学部公衆衛生系13校も連携して都内の保健所に応援人員を派遣しています。

「以前には教員や学生が個人ベースで東日本大震災後の支援活動に参加したことはありましたが、今回、新型コロナウイルスに関して、東大の公衆衛生関係者が組織的に保健所等支援に取り組んだという点でも意義があります」と小林先生は話します。

院生がシフトを組んで勤務

世田谷区では、4月10日から5月末まで、公共健康医学専攻長の橋本英樹教授の指導の下、14人の院生が世田谷保健所に派遣され、業務に従事。院生の多くは医師、看護師、保健師などの有資格者です。保健師でもある世田谷保健所の虎谷彰子係長は、東大からの応援はちょうど保健所の業務が急増した時期に始まったと話します。

「3月から5月にかけ、一日平均で約200件と、普段より多い数の問い合わせがありました。4月13日の週には一日300件以上となり最高で350件以上に跳ね上がったんです。受話器を置くとすぐに次の電話が鳴る、という感じで、ひっきりなしにかかって来ました」

各地の保健所は新型コロナウイルス感染症対応の中心的な役割を担っています。一般市民からの相談窓口であり、医療機関と連絡を取りながらPCR検査を依頼し、検査結果が陽性だった場合には入院手続きも行います。

世田谷区は人口が92万人と都内で最も多く、新型コロナウイルスの感染者数も6月20日時点で累計で513人と、都内で二番目に多い数です。

SPHメンバーが世田谷保健所で請け負った業務内容は多岐にわたりますが、有資格者のみが電話での応対を担当しました。その他に、行政文書の作成、陽性患者の健康状態についてのフォローアップ調査や患者情報のデータベース入力なども行いました。

SPHメンバーを派遣するにあたり、橋本先生は全員のシフト表を作成し、3人から5人ずつチームに分け、有資格者が必ず毎日含まれるようにしました。また橋本先生自身も時間が許す日は保健所に赴き、支援にあたりました。

虎谷さんは、基礎疾患がある区民からの問い合わせで、症状がCOVID-19によるものか、基礎疾患の悪化によるものかの判断が難しいケースなど、慎重な対応が必要なとき、医師である橋本先生の助言に助けられた、と振り返ります。 14人もの学生が週に1日か2日ずつ働く状況で、業務内容についてのまとまった説明は初日のチームに行っただけ。業務内容が院生間でしっかりと引継ぎされていたので、2日目からは説明をする必要がなかったといいます。

「一番大変な時に来てくれてとても感謝しています」

一方、橋本先生は、院生による保健所支援は単なる「手伝い」ではなく、教室の授業では体験できない危機管理の現場での実務を通して、現状を知り、改善策を考えてもらうことが目的だったと振り返ります。

杉並病院のスタッフに院内感染防止策について話す冨尾先生(右)

職員の不安を軽減する

杉並病院の職員は、研修の機会を得て安堵した様子でした。病床数97床の療養型病院であるこの病院では、感染発生に備えて独自のゾーニング計画を立てていました。当初の計画では感染患者を病院の最上階である4階の病室に移動させる予定でしたが、施設を見学した冨尾先生らは、水道へのアクセスや脱衣のスペースを考慮して3階の個室を割り振るほうがよいと助言しました。

杉並病院の窪井康彦事務長は研修後、病院ではもともと感染症患者は受け入れておらず、受け入れに関する知識も実地体験もこれまでなかったと話しました。

「我々の病院は、入院患者も高齢者ですが、職員も高齢者が多く、COVID-19は高齢者が重症化しやすい特徴を持っているので、職員が非常に怖がっている状態でした。先生方が、基本的なステップをきちんと踏めば感染を抑えられるという話をしてくださったので、大変安心しました」

2014年から2015年にかけて西アフリカでエボラ出血熱が流行した際、国内の医療機関での患者受け入れ準備の助言をした経験がある冨尾先生。今回のパンデミックに関しては、感染症を専門としない中小の医療機関では、教科書通りの対策が通用しないだろうと話し、N95マスクや保護ガウンなどの医療物資の供給が限られていたり、施設の状況が感染症専門の医療機関と異なる中、今ある資源を最大限に活用してやりくりする方法を考えなければならないと述べます。

「恐怖から必要以上の対策をとろうとする医療機関もあるようですが、慣れない操作や手順が増えてかえって危険です。標準的なところをきちんと理解していただくことで、感染のリスクを低減し、スタッフの不安も軽減することができます。そういうことがとても重要だと思います」

取材・文/小竹朝子

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