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ヒトの体が作られるメカニズムを探求する 

掲載日:2024年5月7日

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© frenta / Adobe stock

ヒトの体 はどのように形成されるのでしょうか?その始まりはたった一つの受精卵。一つの細胞が分裂を繰り返し、様々な機能をもつ細胞に変化することで臓器が形成され、やがて個体が誕生します。「胚発生」と呼ばれるこの過程は、母体内で起こるため、その仕組みの多くは未だ謎に包まれています。胚が子宮に着床し、臓器が形成されるまでの間、子宮ではどのような現象が起こっているのか?

この「ブラックボックス」の一部を試験管内で再現する研究に取り組んでいるのが、農学生命科学研究科助教で、2022年には東京大学卓越研究員に選ばれた柳田絢加先生です。体のあらゆる細胞や組織に変化できる幹細胞を使って、受精卵の着床から臓器が発生するまでのプロセスを体外で観察し検証することを目指しています。

「受精卵からどうやって自分が生まれてきたのか、ということにとても興味があります。母体内では何が起きているのか、その仕組みを知りたいです」と柳田先生は話します。世界保健機関(WHO)の2023年推計によると、世界の成人の約6人に1人が経験しているとされる不妊。受精卵をお腹に移植しても着床しなかったり、着床しても妊娠が継続しなかったりするのはなぜなのか?受精卵が子宮に接着し臓器発生するまでの過程を理解することができれば、不妊や流産の原因解明、また治療法開発などにつなげることができるかもしれないと考えています。 

世界で初めての現象を見る興奮

高校時代に寄生虫に興味を持ち、東大なら研究できるだろうと農学部の獣医学専攻に進学したという柳田先生。寄生虫のさまざまな形や、人から動物、動物から人に感染する人獣共通感染症などが面白いと感じ、それを研究できる研究室を希望しましたが、残念ながら配属を決めるあみだくじで外れてしまいます。その後、縁があり配属されたのが、動物繁殖学を研究する今川和彦先生の研究室でした。そこで牛の繁殖や胎盤ができる仕組みなどを学びながら、サバティカル(研究休暇)で1年間来ていた研究者の手伝いをすることになった経験が、その後「ヒトの誕生」に関する研究に取り組むきっかけとなりました。

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農学生命科学研究科助教柳田絢加先生

「精子と卵子を使わずに、幹細胞からマウス受精卵に似たものを作り、マウスの体内に移植して、胎仔(たいじ=母体内で生育中の子供)になるか調べるという研究でした。それがすごく面白くて。当時はあまり知られていない研究分野でしたが、世界中の研究者が胎仔誕生を密かに夢見て取り組んでいたような研究だったと思います」

試行錯誤しながら実験に取り組んでいたある日、なんとマウスが生まれました。「世界で初めての現象を自分が見ているという、それまで感じたことのないものすごい興奮でした」と当時を振り返ります。残念ながら、後日分かったのは、実験のミスにより生まれたマウスだったということ。「実験では、メスのマウスを偽妊娠状態にするために、避妊手術をしたオスのマウスと交配させます。その偽妊娠状態にしたメスのマウスの体内に、幹細胞から作った受精卵に似たものを移植するのですが、実はオスのマウスの避妊手術が失敗していて、普通に交配して誕生したマウスでした」

実験は失敗でしたが、赤ちゃんマウスを最初に見たときに感じた興奮は、現在まで先生の研究を支える原動力の一部になっていると話します。

「生命の誕生」に強い関心をもった柳田先生は、農学部卒業後、胎児に関する研究をするために医学系研究科に進学。ブタの体内でヒトの臓器を作る研究をしていた中内啓光教授の研究室で、iPS細胞(人工多能性幹細胞)を使った肝臓の再生や胚操作などを学びました。博士号を取得し、ポスドクとして1年間在籍した後、より基礎的な研究をしたいと、発生学や幹細胞学の基礎研究者が多く在籍する英国のケンブリッジ大学に留学。胚や幹細胞の研究、そして4年目からは、「胚盤胞」という受精卵が細胞分裂して着床する直前の卵を、ヒトの幹細胞から作る研究にも従事しました。英国で6年間取り組んだ胚の形についての研究は、科学雑誌『Cell』に掲載されました。

「胚盤胞の中には体になる『エピブラスト』、胚に栄養を送る『原始内胚葉』という2種類の細胞がごま塩状に存在しています。胚盤胞が子宮に接着するまでに、この細胞は2層に分かれるということが現象論として知られています。それらがどうやって分かれるのか、という研究をしました。長い間その仕組みが解き明かされていない現象でした」

幹細胞から胚モデルを作る

現在、柳田先生が取り組んでいる研究の一つがヒトの受精卵の着床や胚の発生過程の「見える化」です。ヒトの胚を使うことは倫理的な問題もあり難しいため、ヒトの幹細胞を使って、ヒトの胚が発生する過程を再現できる「胚発生モデル」を開発しようとしています。

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多能性幹細胞から作った胚盤胞モデル。蛍光抗体により、細胞を光らせています。

胚盤胞は子宮内膜に接着すると、胎盤になる「栄養外胚葉」という外側の細胞が増殖し、そこからホルモンが分泌されます。しかし、細胞が増え、妊娠が確認されても、その約15%は流産してしまうと言われています。着床がうまくいかない原因は子宮への接着に問題があるのか、くっつく向きが大事なのか。そこでどのような現象が起きているのかを、「胚発生モデル」を使うことで体外で観察できるようにしたいと考えています。

「着床する前の受精卵については、試験管内で見ることができるので理解が進んでいますが、その受精卵が子宮に接着し、その後臓器が発生するまでの期間、母体内で何が起こっているのかは分かっていません。例えば、胚盤胞が子宮に接着する向きは動物によっても違いますが、その原因も分かっていません」

着床から臓器が発生すまでの過程を試験管の中で見えるようにすることで、正常に胚発生する仕組みを理解し、上手くいかない場合の原因解明をしたいといいます。

着床に関しては、本物を「知る」という段階がようやく始まったところだと話す柳田先生。 「試験管内でヒトの胚発生を模倣するという研究は、ここ1、2年ですごく進んでいます。ただ、試験管内に擬似着床して胚発生が進んだという報告はありますが、実際の体を構成する細胞と比べると、一部は似ていても、全体としてはまだまだ違う点が多いなというのが現状です」

研究の面白さは、上手くいかなかったことができるようになったり、小さな発見があったり、という成長を日々体験できることだと語る柳田先生。長時間研究室で過ごすことも全く苦ではなく、「時間があればいくらでも研究したいタイプ」だと言います。その根底にあるのは「知りたい」という研究者としての好奇心、そして「世の中を良くしたい」という思いです。

「どうやって私たちは誕生するのだろうという生命の神秘を知りたい。そして、胚発生がうまくいかない原因を解明したいと思っています。今後の大きな展望としては、学術的な分野をまたいだ研究者達と一緒に、不妊治療などにつながる研究に取り組めるプラットフォームを作れたらと考えています」

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