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グローバル・コモンズと海洋科学  総長特使対談 道田豊×石井菜穂子×河村知彦

掲載日:2025年6月6日

全学的な見地から国際的な場での本学の情報の発信と意見の表明を行う者として、2024年4月に新しく設置された総長特使。現在この職を務めている道田豊先生と石井菜穂子先生に、それぞれのミッションとこれまでの活動内容について、対談を通して紹介していただきました。司会はコミュニケーション戦略本部(旧・広報戦略本部)長の河村知彦先生です。(4月14日、総長応接室にて)

産官学で地球の課題に向かう

河村●2024年4月に新しく総長特使が設置されました。学内資料によれば、総長特使とは「本学の認知度の向上に資するため、全学的な見地から、国際会議その他の国際的な場での本学の情報の発信及び意見の表明を行う者」だとのこと。初の総長特使として活動中のお二人は、総長からどのようなオファーを受けたのでしょうか。
石井●私は2012年から地球環境ファシリティ(GEF)のCEOを務めていましたが、2020年に東大に来て、グローバル・コモンズ・センターのダイレクターとなりました。グローバル・コモンズとは、安定的でレジリエントな地球システムのことを指します。現在の経済システムは地球システムの限界と衝突して、あちこちで地球環境の破壊をもたらしていますが、グローバル・コモンズを守るガバナンスのメカニズムを構築できずにいます。グローバル・コモンズ(以下GC)をどうやって守るのかを考える組織が必要ではないかと当時の五神真総長に提案したのがきっかけでした。その方針を藤井輝夫総長が発展させてくれた結果が総長特使だと思います。環境に限らず、地球規模の課題が切羽詰まってきています。私は、アカデミアが中心となって産官学を結び、協創のしくみを作ってGCを守るべきであり、そこでは大学が積極的な役割を果たせると考えています。総長特使としてその部分を担う気持ちを持っています。
道田●私は2023年からユネスコ政府間海洋学委員会(IOC)の議長を務めています。2017年の国連総会で、2021~2030年を「国連海洋科学の10年」とすることが決まりましたが、このキャンペーンを発案したのはIOCでした。関係する国々がいろいろな活動を進めていますが、その認知度は高くないという認識が総長にもあったようです。私は「国連海洋科学の10年」日本国内委員会の幹事でもあります。総長特使の話をいただいたのは、アカデミアの立場からできることがもっとあるので、特に日本国内の活動を促進するために尽力せよということだと思っています。
河村●石井先生、GCセンターのこれまでの活動を紹介してくださいますか。 
石井●夢多く志高く就任したのですが、思い通りにいかないことがたくさんありました。日本の風土のなかで産官学協創をアカデミアが中心に回すのが難しいことが、やってみてよくわかりました。日本では、官は官、民は民という枠が確固たるものとしてあり、異なる人たちが混じり合いながら何かを作る風土はなかったのかなと思います。東大で働こうと思ったのは、一番中立な立場にいられるのがアカデミアだと考えたからですが、壁の厚さ、枠の厳しさを痛感する4年半でした。それでも、地球規模課題の解決に向けて協働するための活動をセンターで続けてきました。 
 その一つが、日本企業の有志とともに2021年に設立した ETI-CGC(Energy Transition Initiative – Center for Global Commons)です。エネルギーのトランジションをいかに進めるのか、日本の脱炭素のパスウェイを描くための産学連携プラットフォームです。七転八倒しながら進めてきましたが、海外で試みられている枠組みを日本でも試してみるという意義は大きかったと思っています。
 もう一つは、Nature on the Balance Sheetという、自然資本の価値づけに関するルール作りです。経済システムが地球システムの限界を超えつつある中で、自然資本の価値を経済の意思決定に統合する必要があります。今国際社会ではそのルール作りが進行中ですが、そこに日本がどう関わるのかを議論し、GCを守る枠組みやルール作りに日本として積極的に貢献していこうというものです。CGCではこれまでも、GCを守るフレームワークの作成や、GCを守ることへの国ごとの貢献度を測るスチュワードシップ・インデックスを作っています。このインデックスはその有用性がOECDに認められるなど、一定の成果を上げてきたと自負しています。

オリンピックじゃないほうのIOC

河村●道田先生は、オリンピックではないほうのIOC議長に日本から初めて就任されています。実際に働いてみていかがですか。
道田●海上保安庁から2000年に東大の海洋研究所(現・大気海洋研究所)に移る際、IOCの仕事をやってほしい、と当時の平啓介所長に言われました。重要な組織だが誰でも務まるわけではない、政府間組織では役所にいた経験が役立つので頼む、とのお話でした。2011年にIOC副議長になったとき、平先生が喜んでくれたのを思い出します。2023年の議長就任は想定外でした。議長は給料が出ないので本務がある人が務めるものでした。私は2024年3月で定年だったので、議長など論外と思っていたんですが、いろいろな条件が重なって、結果的に私が就任となりました。 
 最近のIOCの課題は、国際情勢が不安定なことです。IOCはサイエンスを議論する組織ですが、政府間組織なので、決まったことについては政府が強く関与します。科学の議論をすると言いつつも、国際情勢に無縁ではいられません。150の加盟国の投票で40の執行理事国が決まるのですが、2023年の総会でロシアが史上初めて落選しました。そういった情勢下でのマネジメントに苦慮しています。
 「国連海洋科学の10年」の推進に関しては、国連公海等生物多様性協定(BBNJ協定)が国際強制力を持ったことが一つ大きな出来事でした。海の生物多様性に関するデータをIOCが担当しているので、そこに対応するのが喫緊の課題です。津波の防災といった個別の課題もありますが、議長としては全体の動きをコーディネートするのが仕事だと思っています。
河村●海洋はいろいろな問題に関わります。GCとしての海洋は、陸のGCと比べるとどんな特徴があるのでしょうか。
石井●GCは地球システム全体の安定性とレジリエンスを指しますが、なかでも海洋は非常に重要な役割を担います。地球システムの非常に大きなバッファであり、人類は相当部分を海に助けられてきましたが、そのツケがたまりすぎました。いまもGCの中枢ですが、危ない状況を迎えている。人間と地球の衝突のツケが全部流れ着いているのが海洋です。これをやればいいという解決策はおいそれとは出てきません。気候変動ではエネルギーを何とかすればいいし、生物多様性なら森を守ればいい。でも、海洋はすべてが流れ着く先なので、これをやれば万全というのがわかりにくいのだと思います。
道田●広さの面でも水の量の面でも、海のキャパシティが非常に大きいことに本質的な問題があると思います。キャパが大きいから、ゴミを出してもすぐ目につかなくなる。変化が見えにくい結果、ここまで毀損が進んでしまった。海は海の生態系だけでなく陸の生態系もフィードしています。海がなければそもそも地球に生態系はないでしょう。キャパが大きいので変化がわかりづらく、変化が見えたときにはもう対策を取りようがない。その危機感を共有したために、「国連海洋科学の10年」は動き出しました。海もさまざまなティッピングポイントに近づいています。研究者はもちろんがんばっていますが、一般の人と危機感を共有し、幅広く参画を求めないといけません。

道田  石井

市民を脅かすのか? 励ますのか?

石井●そこは大きな悩みです。GCのコミュニティはここ10年、行ったり来たりを繰り返しています。もっと一般の人を脅かさないとだめだ、脅かすだけでは萎縮するだけだ、希望があると言わないといけない、いや、やはり脅かさないと……そうこうするうちに時間切れになります。科学のメッセージはどうしてこんなに人々を動かせないのかと強く感じます。海に限らず、科学のメッセージが世を動かした例はほぼないように思います。
河村●私は発電所建設の環境アセスメントに係わっています。陸の生態系のモニタリングはある程度できているので環境アセスメントが可能ですが、海洋の生態系はよくわかっておらず、環境アセスメントの対象外です。洋上風力発電をやろうというとき、海の生態系がどうなるかは十分に考慮されないのです。実際の姿がほぼわかっていないことが、陸との大きな違いです。ある程度のことがわかっているのはせいぜい深さ20mまで。でもそれより深いところにも生物がいっぱいいて、大きな生態系があるわけです。
道田●保全しないといけない、そうですね、で終わり、どうやって保全するかという話まで進まない。
石井●手詰まりです。地球環境に携わる人は皆手詰まり感を持っていると思います。この手詰まり感と時間的な危機感とに挟まれて困っているなかで米国にトランプ政権が現れ、ますます仕事がしにくくなっています。
道田●危機を煽るばかりだと海に人が来なくなりますが、海に関わる担い手がいないと海は守れません。危機を煽るだけではない方法で人を巻き込みたい。プラごみを減らそう、は皆が理解してくれます。でも、その先まで踏み込む人たちの存在が必要です。

大学が知を提供するだけでは不十分

石井●それはまさに産学官協創のゴールですね。大学は知を提供するだけではもういけません。知を政策につなぎ、政治とともに社会を動かさないといけない。最近、仲間うちでは、I am tryingと言うのはやめようと話しています。Tryだけなら誰でもできますが、そこにインパクトがないなら自己満足で終わり。皆がTryで終わったら何も変わりません。その壁を超えられるどうかが試されていると思います。
河村●東大の教育とGCとしての海洋をどうつなげればいいのでしょうか。
道田●皆が課題解決型のサイエンスを目指す必要はありませんが、複合領域を本気でやる人材を育成しないといけないと思います。いまもやっていますが、もう一段か二段、力を入れる必要があるのではないでしょうか。
石井●あまりそうした学生が出てきていないように見えるのはどうしてでしょうか。
河村●サイエンスをやるとどうしても専門分野に深く入っていきます。そして楽しくなる。私は海の生物を研究していますが、対象を知れば知るほど楽しくなります。そういう人と地球規模の課題解決をやる人が分断されているのが問題かもしれません。
道田●たとえば、海洋では沿岸域の管理・活用の課題があります。環境を守りつつ洋上風力発電をやるといったことは一筋縄ではいきません。そのために、沿岸域の管理計画、海洋空間計画(Marine Spatial Planning)を作る動きがヨーロッパではここ10年で進んできました。そこには働き場が生まれ、人材育成も進みます。ヨーロッパ各国は海岸線で接しているので、沿岸の管理計画を近隣国と調整しないといけない部分がどうしても出てきます。そこでEUが旗を振り、汎ヨーロッパの海洋空間計画を作る動きが進んでいます。そこには生物学者も物理の専門家も政策担当者も若者も入ってきます。
石井●政治が指針を示したわけですね。
道田●そこに資金を投じてもいます。プロジェクトがないと人は集まりません。ヨーロッパではそこがまずまずうまくいっていると思います。各国に海洋空間計画があるのは常識で、隣接国との調整の段階です。
河村●日本では水産資源を都道府県単位で見ていますよね。だから、県をまたぐと方針が変わってしまう。
道田●そうした状況に洋上風力とか藻場造成とかも入ってくると、まさに複合領域の話です。そこに資金を投じることを決めれば人は集まってくるはず。

海を保全しつつ活用する百年の計を

石井●国のリーダーシップが大事。
道田●そう思います。日本では総合海洋政策本部が海洋を環境保全しつつうまく活用するための百年の計に乗り出すべきです。EEZ(排他的経済水域)をきちんと管理できれば、GCを守る一つの事例になります。日本がそれを世界に示せるとよいのですが。
河村●日本の海では、漁業権の問題がネックだと思います。漁業者が海の権利を所有していて、研究者も国も彼らのエリアにおいそれとは手が出せません。
石井●洋上風力が進まない理由の一つになるわけですね。やはり国のリーダーシップに尽きるのではないでしょうか。
道田●政府の第4期海洋基本計画には、海洋空間計画を作ることが明記されました。河村先生の言う論点も承知の上で、納得できる解を見つけようということです。一大漁業国のノルウェーだって、漁業者と調整して計画を作っていますから、日本もできないはずはないんです。
河村●水産庁の会議に出ると、漁業者の権利の話でみな黙ってしまいます。国会議員それぞれに地元があり、地元の利益のために動かざるを得ないのでしょう。国全体の利益より地域の利益が考慮されるのが現状だと思います。
道田●温度差が地域によってあります。まずはできそうなところからやって成功体験の事例を作ることが重要でしょう。
石井●心ある漁業者は、今年魚をとりすぎたら来年まずいぞと考えて、言われずとも自分たちで漁獲量を調整してきたと思います。そういう工夫はできるはずですよね。
道田●人口減が進んで漁業者の人口も減っています。従来の体系のままでは漁業は維持できないでしょう。そこが実は一つの突破口になるかもしれません。
河村●後継がいなくて先が見えない地域と、後継がいる地域では、前者のほうが大きく変えられるチャンスがあるでしょうね。
道田●漁業権を認めたうえで海を活かすための議論ができる可能性はあると思います。うまくできれば成功例になり、それを広げれば、GCのよい構築例になります。規模の小さいものから大きいものまで、海洋空間計画を重層的に作ることにアカデミアの意義があります。経済がどう回るかという評価も入れないといけません。それにはアカデミアの貢献が必要。3月の第12回世界海洋サミットで石井先生が紹介していた、自然資本の価値化の話です。
石井●GCとしての海洋が食い荒らされるのは、経済システムがGCとしての海洋に価値づけをできていないから。GCを守るという「よいこと」をした人に経済的な利益が回らないといけません。GCセンターはそのための仕組みづくりをやろうとしています。政府もようやく自然の価値がマーケットで認証されることが大事とわかってきたように思います。
河村●生態系サービスの考えから、自然にも金銭価値をつけようという動きは確かに見られます。ただ、魚がとれる海と電気を作れる海のどちらが経済価値を生むかといったら、たぶん後者ですよね。

「プライシング・ザ・プライスレス」の時代

石井●価値評価が魚だけだとそうなりますが、実際は、よい生態系があることが非常に大きな価値をもたらしています。いまや「プライシング・ザ・プライスレス」の時代です。自然にうまく価格づけをしない限り、人間は自然を食い潰すでしょう。10年前なら、こう言っても通じなかったでしょうが、潮目は変わり始めています。
道田●そこには交換可能性が伴わないといけませんね。交換可能性がないプライスづけに意味はないので。
石井●はい。いまアカデミアが行っているのは自然資本の価値の評価ですが、それだけでは「自然はいいね」で終わってしまう。自然資本が財務諸表に載らないといけません。トリガーとなるのは、取引であり、契約です。マーケットが認めて初めて監査をする公認会計士も納得します。その壁を越えるためにこそGCセンターの活動があると思っています。アカデミアは計測だけで終わってはだめで、自然資本にプライスをつけ、企業の財務諸表に載せることを担う人材を育てるべきです。学問としての複合領域だけでなく、実社会との複合領域が重要。たとえばマーケット・システムを支える計測・開示の専門家、公認会計士、格付け機関、規制機関のような人とも丁々発止できる人が増えないといけません。
道田●そういうマインドをもった学生は必ずいるので、うまく伸ばすのが大学の役目です。そうして、自然の価値が株式市場に載るような時代にしないといけません。
河村●いまは生態系サービスをがんばって計算しても、大したお金にならず虚しくなるだけです。生態系サービスを計算するのが楽しくなるといいですね。
石井●人をどれだけ幸せにしているかとか、温室効果ガスをどれだけ吸収しているかとか、そういうことも価値に算入しないといけません。生態系サービスの保全につながることをした企業に利益が生じる仕組みを作らないといけないと思っています。
河村●日本は何をなすべきでしょうか。
石井●これからの方向性をリーダーが示すことが重要だと思います。2015年のパリ協定の後、世界が脱炭素に向けて技術開発を進めました。あれは、世はこちらに方向に進みそうだと多くの人が思ったがゆえです。たとえばネイチャーポジティブについては、まだそういう大きな動きにはなっていません。こうやればネイチャーポジティブに進めるんだという大きな指針が、気候変動の問題のときほどは簡単に見い出せていないのが現状です。
河村●ネイチャーポジティブが人間の幸せに結びつくと皆が思えないといけません。
石井●絶対そこは結びつくんですが、そのための方法が見えていません。その方法とは、自然資本の価値化だと私は思っています。これがその方法なのだときちんと示せれば、社会は大きく動き出すはずです。もちろん「言うは易し行うは難し」ですが、放っておいたらどんどん手遅れになるのは目に見えています。
河村●やはり人材育成の問題になりますね。
石井●好奇心駆動型の研究はもちろん大事ですが、一方で課題解決型の研究に取り組む人がある程の数はいないといけませんね。
道田●そこにリソースが投入されないと、特に若者は入っていけません。大学としての決断が必要です。
石井●総長にリソース投入を決断してもらわないといけないわけですね。海洋空間計画はいい例です。総長がリーダーシップを示してくれれば、人材育成が進むと思います。
河村●そこを促すのも総長特使のお仕事ということになるでしょうか……。本日はありがとうございました。

石井と道田
 
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