古代人の歯石や徳川将軍の史料の「デンプン粒」から歴史を読み解く
遺跡の遺物や古文書に残るデンプンの粒子を研究する史料編纂所特任助教の渋谷綾子先生。「残存デンプン粒分析」という手法を使って、縄文時代など古代の人の食や暮らしを復元してきました。2022年には、北海道の続縄文時代の人骨の歯石からイネのデンプン粒を発見。歯石による食性研究の、日本における先駆的な事例として注目されました。

数千年前の人たちはどんな食生活を送っていたのか。この問いの答えを、遺跡から発掘された石器や土器、人骨の歯などに付着したデンプンの粒子から探るのは、史料編纂所に所属する唯一のサイエンティスト、渋谷綾子先生です。
これまでさまざまな遺跡で出土した土器や石器の付着物を分析し、旧石器時代や縄文時代などの石器からコナラ属やユリ属のデンプン粒を見つけたり、稲作がまだ行われていない時期の人骨の歯石からイネのデンプン粒を発見してきました。
「意外なところにデンプン粒が残っているのを発見したときは、とても嬉しいです」と渋谷先生。「石器に付着していたデンプン粒を特定できれば、その石器で加工していた植物が推定できます。分析することで、集落の中で人が何の植物を使っていたのか、食べていたのか、どのように活動していたのかを知る手がかりになります」
小さなものではわずか1/1000ミリメートルほどの植物のデンプン粒。非常に安定した化学構造をもつため、熱を受けない限り、理論上は何千年もの間土壌の中に残り続けます。この特性に着目した考古学者たちが残存デンプン粒分析の方法論を確立したのは1990年代。遺物に残るデンプン粒から過去の植物利用を復元できるという認識が広がり、世界各地の遺跡の調査で使われるようになりました。日本に導入されたのは2004年で、渋谷先生はその草創期から研究を牽引してきた一人です。
科学分析がしたくて、イギリスへ
弥生時代から平安時代にかけての遺跡が多数ある大阪府八尾市で育った渋谷先生。発掘調査や遺跡が身近にある環境が、考古学を学びたいと思った原点ではないかと言います。奈良県明日香村の高松塚古墳の発掘中に彩色壁画を発見した故網干善教先生が教鞭を執っていた関西大学の文学部に進学しました。考古学研究室に入り、古墳の発掘調査などに参加するなかで惹かれたのは、発掘そのものではなく自然科学分析でした。
「古墳の石室や棺などに塗られた水銀朱や漆などに惹かれ、発掘調査報告書でも科学分析の報告ページばかりを読んでいました。自分でも科学分析をしたいと思うようになったのですが、当時の日本の大学、文学部では自然科学分析を本格的に学ぶのが難しくて、悩みました」
博士後期課程在籍中に、考古学と自然科学的手法を総合的に学ぶために英国のブラッドフォード大学大学院に進学。質量分析や各種の成分分析、花粉分析など当時最先端の分析技術を広く習得しました。デンプン粒の分析に取り組み始めたのは帰国後のこと。国立民族学博物館のピーター・マシウス先生の関わっていた科研費のプロジェクトに加わり、そこで「残存デンプン粒分析」という手法に出会います。東アジアではまだ誰も取り組んでいない分析手法で大きな可能性を感じたと言います。2005年に関西大学を中途退学して新たに入った総合研究大学院大学では、この分析法の理論と方法の確立に取り組み、本格的に研究を進めてきました。
1粒のデンプン粒が語る、昔の人の食卓
残存デンプン粒分析とは、石器や土器など人工遺物の表面、人骨や動物骨の歯に付着した歯石などからデンプン粒を抽出し、その形状などをもとに植物種を特定する手法です。デンプン粒の形態は植物の種類によって異なるため、1粒でも由来となる植物を特定できます。
「大きさや形だけでなく、『偏光十字』にも特徴があります。顕微鏡の『直交ニコル(2枚の偏光フィルターを直交させる方法、偏光フィルターをかけない方法を『開放ニコル』という)』で観察すると十字状の暗線『偏光十字』が見えるんですが、垂直に交わるものや卍状に交差するものなど、植物ごとに違いがあります。イネは垂直十字、レンコンは卍状に交差しています」
石器の場合は表面に精製水を垂らしてピペットで付着物を回収し、遠心分離を行った後にプレパラートを作り、偏光装置付きの光学顕微鏡で観察します。現代の植物と過去のデンプン粒は形態がほとんど変わらないため、現生植物の標本データと形態を比較することで植物種を同定できます。
例えば縄文時代中期の福島県の「井出上ノ原遺跡」では、磨石の表面からユリ属とコナラ属と推定されるデンプン粒が同じ箇所から見つかり、同じ石器で球根類と堅果類を加工していた可能性が浮かび上がりました。 また、北海道の「カムイタプコプ下遺跡」では、1663年の有珠山噴火によって封じ込められた畑跡の作物痕跡(土壌)から、カブと思われるデンプン粒が検出されました。文献だけでは把握が難しかったアイヌの人たちの畑作を、物質として示した成果です。
「考古科学では、骨や歯の研究、窒素・炭素安定同位体分析など他の手法との協働が重要です。複数の視点を組み合わせることで、はじめて見えてくるものがあります」



古文書に残る米粉の痕跡
渋谷先生は、遺物だけでなく古文書の紙(料紙)の分析にも取り組んでいます。和紙には製造工程で米粉が添加されるものもあるため、料紙をマイクロスコープで観察すると、コウゾやガンピといった素材繊維に密着するように、六角形の小さなイネのデンプン粒が多数確認できることがあります。
京都の松尾大社が所蔵する徳川幕府の朱印状の分析では、初代家康から14代家茂までの紙質の変化を時系列で追うことに成功しました。初期には繊維以外の雑多な成分が混在していますが、5代目綱吉以降になると雑物が減り、繊維の間隔が狭まって密度が高まり、紙厚も増していくようです。製法が標準化され、洗練されていく過程が料紙の中に刻まれていました。また、天皇が発する命令書には米粉の入っていない紙が使われるなど、文書の様式と料紙の組成が対応していることも見えてきました。
現在の課題は、残存デンプン粒分析を担う研究者の育成です。日本ではまだ研究者の数は少なく、東アジア全体でも限られています。そのため、研究の主導権は層の厚い欧米にあるのが現状です。
「東アジアのデンプン研究仲間を増やしたいですね。デンプン粒をとおして過去を学ぶことで、現在や未来を考えることができると思います。今後は研究データの共有を進め、被災した歴史史料の保存や修復にも活用していきたいと考えています」


