定量研はいかに蛸壺化を防いだか?改組で進めた透明化とオープンサイエンス
2014年と2017年、分子細胞生物学研究所(分生研)で、加藤茂明元教授と渡邊嘉典元教授の研究室による研究不正が相次いで発覚しました※。
所の存続を揺るがす事態となり、解体論まで浮上する中、分生研は2018年4月、「定量生命科学研究所」として再出発し、以来、透明性を柱に研究環境の改革を進めてきました。
分生研最後の所長で定量研初代所長の白髭克彦先生と、改組翌年の2019年に着任した岡崎一美先生に、危機をどう乗り越え、研究所をどう作り直してきたのかを振り返ってもらいました。
成果主義が生んだひずみ
OKAZAKI Il-mi
定量生命科学研究所 准教授
SHIRAHIGE Katsuhiko
定量生命科学研究所 所長
岡崎研究不正が相次いで起きた当時、白髭先生は分生研の教授でしたね。
白髭そうです。二人の先生とも親しくしていたので、正直かなりショックでした。当時の分生研は成果主義で、世界トップレベルの学術誌に論文を出すことが強く求められていました。実際、二人は毎年のように一流誌に論文を出していて、すごい人がいるんだと思っていました。でも蓋を開けてみたら、そんなスーパーマンはいなかった。人生観が180度変わるような出来事でした。そういう風土を作らせていた研究所の責任も大きいと、その時に素直に思いました。
岡崎私は当時、徳島大にいたのですが、あれだけ実績のある先生方が続けて、というのは衝撃でした。門下生も多く、心配になりました。
白髭研究者が陥りやすいのは、証明したいモデルが先にあって、データが少しずつそのストーリーに寄っていってしまうことです。意図的な不正とは別の話ですが、仮説が正しいと証明したいという気持ちは、研究者なら誰でも持っています。だからこそ怖い。自分でも気づかないうちに、都合のいいデータばかりを見てしまうことがあるんです。
岡崎モデルの方を疑うのではなく、都合の合わないデータの方を疑ってしまう。
白髭そうです。私自身、恩師に叩き込まれました。留学中、自分が信じるモデルにデータが少しずつ近づいていく気がした瞬間、恩師は実験をやめたそうです。潔く、です。 分生研時代から在籍する定量研の教員たちは、不正がどう起き、どのような結末を産むかを身をもって学びました。初動対応時には本当のことはなかなか出てこず、行われたことの内容がだんだん咀嚼され、評価されて初めて、研究室の問題が表に出てくる。理解には時間がかかるのだと学びました。
「解体」の危機、そして改組へ
白髭2017年の不正発覚後、私は最後の分生研所長を任されました。教員を各研究科に引き取らせて解体するという話も出ていて、その頃が一番どん底でした。一度はやめようと思ったんです。ただある先生から「お前は何もしていないんだからやめるな」と強く止められて、思いとどまりました。
岡崎2018年4月に定量生命科学研究所に改組しました。研究所の名前はどのように決まったのでしょうか。
白髭若手が中心になって考えました。一見「定性的」に測定されている現象でも徹底して「定量性」を追求することを掲げるべきだと。とことん数値で語る研究所にしようという意思表示です。
岡崎白髭先生は初代所長として、研究所の透明性を高める取り組みを主導してきましたね。
白髭隣の人が何をやっているのか知るために、ラボ同士の交流機会を増やしました。本館は蛸壺の典型というか、研究室ごとの閉鎖性が強かったので、改修してガラス張りにしたんです。今は廊下を歩いても室内にいても、誰が何をやっているのか分かる環境になっています。改修前に英国のフランシス・クリック研究所やウィーンのIMP(分子病理学研究所)など海外の研究所を見て回ったのですが、どこも壁がガラス張りで、電話ブースまでガラスなんです。それに倣いました。


1,2,7改修前の定量研本館エントランス。3ポスター類が雑然と貼られた掲示板。4什器類がはみ出すように置かれた本館廊下。5研究室内の様子は窺い知れない本館廊下。6味気ない休憩コーナー。8,9現在のエントランス。新本館竣工式は2025年12月9日に実施されました。10IQBの歴史や研究を展示する「エクジビジョンラボ」。11,12,13壁がガラス張りなので、廊下を歩くと研究室や教室や事務室の様子が見えます。14カジュアルなレクチャーなどを行える本館3階の広場。
データを守る仕組み
岡崎実験の生データから解析データまで、すべて専用のシステムに登録するMOD*もありますね。私たちも着任してすぐの頃に論文がアクセプトされて登録したのですが、こんな仕組みがあるのかと驚きました。手間はかかりますが、自分たちを守ってくれる安心感があります。
白髭ここまで徹底しているところは、国内では他にないと思います。海外のアドバイザーからも「やりすぎだ」と言われたことがありますが(笑)、この規模だからこそ続けられているんでしょうね。最近はAIを使って、論文投稿前に画像データをピクセルレベルでチェックさせると、切り貼りした痕跡がないかまで検出してくれます。
岡崎私も学生がストーリーに合わせて都合のいいデータを選んでいないか、検証が甘くないかは常に気にしていますが、客観的な仕組みで担保されているという安心感は大きいです。
白髭著名な海外研究者による「アドバイザリーカウンシル」も立ち上げ、毎年研究内容を評価してもらっています。若手研究者も多く採用したので、研究所が明るくなりました。いろいろな手法を積極的に取り入れて、研究分野を拡大しようという人たちも出てきています。
岡崎定量研は、外部で実績を積んだ研究者をたくさん受け入れていますよね。私たちも良い研究結果がいくつか出たタイミングで声をかけてもらいましたが、『Science』の論文は出る前でしたので、 いわゆる論文のランクや数だけではなく、内容を理解して選んでいるのだと実感しました。
白髭今は、免疫、クロマチン、RNA、脳神経科学という4つの柱それぞれに看板となる先生が育っていて、研究所全体のバランスも良くなり、それぞれの分野で質の高い成果が継続的に生まれるようになったと思います。
* MOD(Manuscript Scan & Original Data Deposition):論文投稿時に元データや解析データを保存・登録する定量研独自の研究データ管理システム。
社会に開かれた研究所へ
岡崎研究所の変化というと、社会との接点づくりも印象的です。
白髭科学と社会をつなげて語れる人が大学から減っている、という危機感がありました。ジャーナリストの池上彰さんに客員教授をお願いしたのはそのためでした。一般向け「サイエンスカフェ」の司会進行も行ってもらっています。
岡崎子ども向けの活動も続けていますね。
白髭はい。「おねんどお姉さん」として知られている岡田ひとみさんと一緒に、モデル生物やタンパク質を粘土で作る企画をやっています。研究を体験として伝えることは、とても大事だと思っています。
岡崎地道な取り組みですが、立派なサイエンスコミュニケーションだと思います。カロリンスカとの国際連携も進んでいますね。
白髭2023年に国際協創プログラムとしてスタートし、2025年にはストックホルムで「UTokyo-KI LINK Lab」の開所式が行われました。全学の国際協創海外研究拠点の第一号です。私も含め、今は定量研から8人ほどが現地で研究しています。
岡崎私は不正の当時を直接知るわけではありません。外から見ると、名前が変わっただけのようにも見えるかもしれません。でも実際に来てみると、研究データの管理だったり、研究室同士の交流だったり、本当にいろいろな仕組みが入っている。そういうところに、研究所が本気で変わろうとしてきたことを感じます。
白髭私たちが学んだのは、隠さない、正直でいることの大切さです。不誠実な対応は、結局いちばん代償が大きい。周りの時間も奪ってしまいますから。融通が利かないと言われるくらい、これからも正直さを追求していくつもりです。


定量研のマスコットキャラクター あいきゅん
「あいきゅん」は、今秋生まれたばかりの定量生命科学研究所(IQB)公式マスコットキャラクター。研究所の知名度向上と新たなコミュニケーションの接点を生み出すことを目的として所内公募を行い、最優秀賞を獲得した行動神経科学研究分野・伊藤広朗さんの案をもとに誕生したものです。その基本形状は研究所を象徴するアルファベットの「Q」。IQBの研究の基軸である「定量」(Quantitative)を表し、ポイントカラーには研究所のブランドカラーである「IQBブルー」が使われています。今後、研究所と社会の皆さんをつなぐナビゲーターとして、さまざまな媒体や場面に登場し、IQBの研究活動や魅力を親しみやすく伝えていく予定です。(イメージは最優秀賞作品を掲載しています)



