なぜ海から離れても生きられる魚がいるの?→石川麻乃|素朴な疑問vs東大

「なぜ?」から始まる学術入門
言われてみれば気になる21の質問をリストアップし、その分野に詳しそうなUTokyo教授陣に学問の視点から答えてもらいました。知った気でいるけどいざ聞かれると答えにくい身近な疑問を足がかりに、研究の世界を覗いてみませんか。
Q.20 どうして海から離れても生きられる魚がいるの?
マグロなどは海だけで生きる一方、サケなど一部の魚は川や池に進出しています。なぜある特定の魚は淡水域でも生息できるのでしょうか。ドコサヘキサエン酸の合成能力がカギ

魚の成長や生存に必要不可欠なある脂肪酸を作る能力が違うことが理由の一つです。その脂肪酸は、ドコサヘキサエン酸(DHA) です。海には、DHAがたくさんあります。これは、DHAが海の小さな藻類に豊富に含まれ、それらを餌にするプランクトンや、さらにそれらを餌にする青魚にもDHAが含まれているからです。一方で、川の生態系にはDHAがあまり含まれていないため、川の魚たちはDHAを自ら作る必要があります。
私たちの研究から、DHAを合成できる魚は海から川に進出でき、そうでない魚は川に進出しにくいことが分かってきました。
このDHAの合成能力の違いは、魚の遺伝情報を解析することで分かりました。私が研究しているトゲウオ科のイトヨという小さな魚には、海から淡水域に進出できた種とできなかった種がいます。川や湖に進出できたイトヨは、そうでないイトヨと比べて、DHAを作るのに必要な酵素であるFads2遺伝子の数が多かったのです。さらに、これまでにゲノム解読されている他の魚類も調べたところ、海のみに生息している魚はFads2遺伝子が少なく、淡水域に進出したサケやメダカといった魚はこの遺伝子の数が多いことも確認できました。
新しい環境に何度も適応する
もともと海に生息していたイトヨは、これまで繰り返し川や湖などに進出して新しい環境に適応し、生息域を拡大してきました。その過程のどのタイミングでFads2遺伝子の数が増えたのかは、まだ明らかになってはいません。私たちの研究室で飼育しているイトヨだけに関して言うと、およそ1万年前の最近の氷河期よりも前にこの遺伝子が増えていたのではないかということが分かってきました。氷河期が終わると、新しい川や湖が生まれます。その淡水域に、すでにこの遺伝子が増えていたイトヨが進出していったのではないかと考えています。ただし、氷河期はこれまでに何回もあったため、その前の氷河期にこの遺伝子が増えた可能性もあります。
このように新しい環境に適応し、生息できる領域を拡大していくのは生物にとって大事なことです。例えば、川や湖は海に比べると栄養源は多くない一方で、敵やライバルがあまりいないため、卵を産んだり、稚魚が成長したりする場として適しています。サケも卵を産むときに海から川に遡上しますよね。
今後は、進化の過程で、生物がある遺伝子を獲得したり失ったりした結果、同じ生態系にいる他の生物にどう影響するのかも知りたいと考えています。例えば、水槽などに魚と餌となる生物、さらにその生物の餌になるような落ち葉や水草など入れた小さな生態系のようなものを作って、その中でゲノムの進化を人工的に起こしたら、生態系全体はどうなるでしょうか。夢みたいな実験ですが、やってみたいですね。



『遺伝子から解き明かす魚の不思議な世界』(一色出版、2019年)
古代魚から淡水魚と海水魚、電気魚にいたるまで、謎の多い魚たちの世界を描き出す一冊。第7章「様々な淡水環境に適応進化したトゲウオたち」を石川先生が担当。