気候学と東大 ~真鍋淑郎先生のノーベル賞受賞を機に考える
渡部 我々の研究分野ですが、気象学とか気候学とか気象力学とかいろいろ言い方があって、一般の人は何が違うのかと思うようです。
気象学? 気候学? 気候システム学!
住 気象学は英語でいえばmeteorology。-gyとつくほかの学問と同様、記載に重きを置く学問でした。雲などの現象を見て天気図を記すというようなことです。気候学はclimatologyでこれも記載型。伝統的には地理学(geography)に含まれ、地域ごとの記載が重視されました。そこに欠けていたのが力学の部分で、物理として気候を捉えようというのが気候力学(climate dynamics)です。ディシプリンというのは狭く深くなっていくものですが、現実の気候は一つの大きなシステムであり、大気や海洋などのサブシステムが相互に関係するもの。私は自分の専門分野は気候システム学だと言っています。大気も海洋も陸地も氷床も地球表層の全ての環境を含めて総合的に考える学問です。
渡部 阿部先生は時間スケールを意識して古気候学と言っていますね。
阿部 間接的な方法で昔の気候を探るのが古気候学です。気候モデルを過去の様々な時代にあてはめて探ります。氷期も間氷期も恐竜がいた白亜紀も対象です。過去も現在も未来も同じ土台で理解するのが目標です。
渡部 気候モデルを核として気候システム学を推進するというのは3人に共通ですね。日本になかったこの分野を開拓したのが松野太郎先生(現・東大名誉教授)や住先生でした。
住 私は世代的にはだいぶ下ですが、真鍋先生と同年代の松野先生からいろいろ話は聞いていました。1984年に松野先生の招聘で真鍋先生が東大に来て気候変動論の講義をやると聞いて、当時勤めていた気象庁から理学部3号館の大教室に駆けつけました。
阿部 日本での講義はそれが初ですよね。私は当時地理学科の学生だったので知りませんでしたが、地球物理に移ったときに演習でこのときの講義録を資料としてもらって勉強したんです。
住 大学院生だった増田耕一くんがよくまとめてくれました。メモ魔だった彼の功績です。
渡部 84年というと私はまだ中学生ですね。大学院生のときに分厚い手書きの青焼きコピーが回ってきて、いまも持っています。本にならないかと思ってたら、去年本になりました。
住 あのときの講義で驚いたのは、真鍋先生が同位体の話をしていたことです。日本の気象学者でそんな話をする人はいなかった。
真鍋先生の東大講義録が道標に
阿部 私が研究の道を進む際にこの講義録が道標になったのは間違いありません。記載を重んじる学問より現象の「なぜ」を問う学問に心が惹かれました。その後、私は1987年の春にアメリカに行きました。このとき、住先生から言われて真鍋先生にインタビューを申し込み、いろいろと話を聞けたのも大きかったです。
住 当時、私が学会誌で海外にいる研究者にインタビューする連載記事を担当していて、どうせ行くなら原稿書いてよと頼んだね。
渡部 当時、真鍋さんのことが日本語で記されたのはこの記事くらいじゃないでしょうか。
阿部 医者の家系で、一高を受けるつもりだったのに、中学の先生が願書を出し忘れたそうです。それで旧制の大阪市立医科大学に行ったら、翌年に新制に変わって東大へ。当時は理科二類から医学部に進めたので父から医学部に行くよう期待されたものの、1年次にカエルの解剖で失敗して自分には向かないと思って地球物理に進んだ、と半生を振り返ってくれました。
渡部 その後、真鍋先生の下で働きましたよね。
阿部 欧州留学の後、私は95年に気候システム研究センター(CCSR、現・大気海洋研究所)の助手になりました。97年に学会でアメリカに行ったとき、同僚の山中康裕さん(現・北大教授)とともに真鍋先生に呼び出され、サンフランシスコのフィッシャーマンズワーフで食事をしました。宇宙開発事業団とJAMSTECの連携で日本に新しい研究センターを立ち上げるから手伝わないかと誘ってくれたんです。真鍋先生が温暖化分野の領域長でその下に私たちがいる形で、98年から01年まで、兼務でプロジェクトを進めました。最初は浜松町でしたが、00年から横浜に移り、「地球シミュレータ」というスパコンの隣で働きました。
渡部 私は博士課程修了が00年です。真鍋先生が日本にいたおかげで、会議で何度かお見かけしました。偉い先生は若手の顔など覚えていないものですが、幸い覚えてもらえました。CCSRは日本の大学で唯一気候モデルをつくっていたので関心を持ってくれたのかなと。91年のCCSR発足の立役者が住先生ですね。
住 当時の有馬朗人総長が、50億円規模のシミュレーション科学は大学に向いている、と言って推してくれたのが効きました。導入に膨大な事務処理が必要で運用も大変なので無理してスパコンを持つことはせず、交換の時期を迎えていた大型計算機センター(現・情報基盤センター)のマシンをお金を払って使わせてもらうという工夫を施しました。
阿部 計算機センターとのコラボはこれが初。東大史の中でも大きなことでした。
渡部 CCSRは教育の意味でも重要でした。若手がモデルを手作りしてその中身を知ることができた。ブラックボックスとはせずに。それで研究者が育ったという面が大きいと思うんです。
阿部 渡部くんは学生時代からモデルづくりを進んでやっていましたね。
本質を捉えて突き進む真鍋スタイル
渡部 さて、真鍋先生の研究スタイルの特徴というとどんなことでしょうか。プロセスを1からコツコツ組み立てるというよりは、アイデア主導で大局を見据えながら思い切って進める印象を個人的には持っています。本質をまず捉えてから進めるといいますか。
住 普通は気候モデルができたらその出来を天気予報などで確認したくなるけど、真鍋先生は天気予報には関わらなかったですね。個々の事例ではなくあくまで気候の全体に興味がある。真鍋先生は一貫して大きな視点と長いスパンで見た気候に関心があったと思います。大事にしたのは平均状態を見ること。個々の部分はとりあえずよしとして長い時間で見て平均してわかればよい、と考えたのがすごいところです。
阿部 それはまさしく天気予報の世界と気候研究の違いですね。天気予報は個々の場所で個々の時間にどうなるかが知りたい。でも気候は長年の平均で考えないといけません。
住 陸域の水循環をバケツに見立てたモデルも特徴的です。地表面には湖も川もあって複雑ですが、それをバケツの深さの違いだと考えた。そして極め付けはフラックス調節です。
渡部 初期の気候モデルでは大気のモデルと海洋のモデルを合わせるとシステムの暴走がよく起こりました。その際に、観測された状態を再現する手段として、平均状態を保つようなエネルギー(フラックス)を外から加えて補正するという工夫を真鍋先生は加えました。
阿部 昔は計算機の能力が乏しくてそうしないと先に進めず、たとえばCO2が増えたらどうなるかの計算もできませんでした。真鍋先生はそこを思い切ってやったから先に進めました。
住 批判されてもめげなかった。真鍋先生の結合モデルの大きな成果はフラックス調節の旗を掲げ続けたことかもしれません。
渡部 そのやり方で本質を捉えて気候システムをモデル化しCO2の濃度を変えたときのシミュレーション結果は、いまも間違っていません。
阿部 物理学では複雑な対象に迫るためによく近似を使います。真鍋先生もそうした。後の人が検証したら、先生の予測は結果的に正しかった。近似をしても本質を捉えていたんです。
渡部 ノーベル賞のサイトに載っている67年の論文の図はいまもたいていの大気科学の授業で紹介されていますね。
住 低い点から出発しても高い点から出発しても同じところに収束する。気候が解に収束することを示した画期的な図です。
渡部 日本と東大の気候学研究のこれまでとこれからについても触れたいと思います。
住 日本は大きな計算機資源を使って気候変動の研究を進めることをずっと続けてきました。CCSRの発足後、日本はスパコンを使って気候モデルの計算精度を上げることを掲げ、気候学の世界をリードしてきたといえます。
渡部 気候モデルづくりでは出遅れましたが、地球シミュレータ以降はスパコンのパワー勝負に挑んできました。いまは他国に抜かれましたが、日本が先行したのは間違いないですね。
住 90年代以降、ダウンサイジングが進み、ベクトル計算機に力を入れていた日本のメーカーは失速しました。そこで「日本のスパコンの父」と称される三好甫さんが奮起した。スパコンを作るならすぐ役立つものでないとだめだという財政当局の説得に使われたのが地球温暖化予測でした。生命現象や物性などと違い、気象の計算は生活に直結しますから。そうして生まれた地球シミュレータはずば抜けた性能で世界を驚かせました。スプートニクショックにかけて「コンピュートニク」と言われたほどです。
世界の気候学をリードしたCCSR
渡部 物理学に即した気候学というジャンルは日本の大学には根付いていませんでしたが、そうした基盤があってこそ、東大のCCSRが世界の気候学をリードしてこられたわけですね。
阿部 気候システムの理解は分野の壁を越えて繋がないと無理。東大が気候システムの研究機関をつくったのは一つのブレイクスルーでした。
住 CCSRの卒業生は全国各地に散って活躍しています。次代の研究者を育成するという教育機関の使命も果たしてきました。
渡部 スパコンがあっても教育機能がなければ、IPCCへの貢献もなかったでしょう。IPCCの報告書はこれまで6本出ていますが、我々を含む東大の科学者が執筆に貢献してきました。第4次の報告書(2007年ノーベル平和賞)では住先生。第5次は阿部先生で、第6次が私です。もちろん第1次は真鍋先生です。
阿部 初めて関わったのは第3次でした。住先生が教授で私が助手だった頃で、何とかパフォーマンスの高いものを出そうとフラックス調節したモデルを急ピッチで作りました。今年8月に公表された第6次報告書は、COP26で科学的根拠として使われています。
渡部 報告書を通じて科学的なベースとなるエビデンスを提供するのが私たちの役割です。
住 地球のシステムを総合的に考えようという流れになったのはやはり真鍋先生の大気海洋結合モデルから。実際の地球には全ての物理環境が関係しています。気候システムから地球システムへという方向性は今後も進展するでしょう。
渡部 様々な分野で地球システムに関連する研究が行われている東大には、それを促進するポテンシャルがあります。力を合わせて地球システムモデルをつくる方向に舵を切るべきです。そのため、たとえば「真鍋記念研究センター」のようなものがあるとよいなと思うのですが。
住 複雑な対象を統合的に分析しようというとき、現実的に可能な手段はモデリングです。皆が納得できる統合のやり方としてあり得るのはモデリングだけと言ってもよいかもしれません。
渡部 気候モデリングは理論というより実験です。理論があって、それを証明する実験のかわりにモデルがあるわけです。
阿部 仮想地球の実験室ですよね。モデルはつくって終わりではなく、様々な状況にあてはめることが重要です。一旦温暖化すると元に戻れないのか、性質の違う海洋循環モードに入るのか、一旦溶けた氷は戻らないのか、地球システムは別の状態に入るのか。モデルを使ってそういう複雑系の科学を進めることができます。気候の結果は生態系に影響を与え、生態系はまた気候に影響を与える。影響は物理にとどまらず生物や化学などにも波及しますから、その関わりを皆で調べるべきです。真鍋先生は先日記者会見で、いま興味があることは何かと聞かれて、生き物の進化だと答えていました。90歳の真鍋先生が気候と生き物の関係を新しく勉強しているというのはとても印象的でした。
渡部 東大も見習わないといけませんね。
※本記事は広報誌「学内広報」1552号の記事から抜粋して掲載しています。PDF版は学内広報ページをご覧ください。