下水道システムイノベーション研究室の加藤先生は、日本の下水道政策に長年従事してきた「ミスター下水道」。
下水道に関わる研究、人材育成、産官学連携の推進を通して、水・食・エネルギーの循環社会を目指しています。
下水汚泥を農業に活用する「BISTRO下水道」をはじめとする数々の取り組みを紹介してもらいました。
「下水道法」制定100周年を記念して生まれた下水道マスコットキャラ「スイスイ」。
都市工学×下水
マンホール蓋の下には「金脈」が!江戸の循環経済を進化させる現代の下水道システム
加藤裕之
KATO Hiroyuki
工学系研究科 特任准教授
下水汚泥の肥料でおいしい野菜を
私は主に国土交通省で下水道政策に関わる仕事に30年以上携わった後、2020年度から下水道システムイノベーション研究室で活動しています。東京都下水道サービス株式会社の寄附で設置された研究室です。ミッションは、下水道政策の研究と、下水道に資する人材育成、そして産官学連携の推進。下水道資源の活用による水・食・エネルギーの循環がコンセプトです。従来は、下水処理水は川に流し、下水汚泥はお金を払って埋めてきました。汚泥や処理水を資源に、処理場を資源の供給拠点に変え、下水道のネットワークを静脈から動脈へと進化させたいと考えています。
下水汚泥を肥料にして農業に役立てる取り組みを「BISTRO下水道」と名付けたのは、2010年です。リンや窒素を含む下水汚泥を発酵させて肥料にすればおいしい野菜ができます。なんとかこれをプロジェクトにしたいと思っていた頃、たまたまテレビで見ていた「BISTRO SMAP」から閃きました。いわば江戸の循環経済の現代版です。昔は町から農村へ屎尿を運ぶ手間がかかりましたが、いまは下水道という地下の「道」があるので、見えないところで自ずと運ばれます。ちなみに政府は昨年、原料のほぼ100%を輸入に頼る化学肥料の高騰等から、食糧安全保障のために下水汚泥の農業利用を重点政策とし、農水省と国交省の連携による推進を促しています。
「BISTRO下水道」の好事例としては、佐賀市が有名です。汚泥肥料で育てたアスパラガスのほうが化学肥料で作ったものより栄養もサイズも味も良いと判明し、地元のレストランが使ったり、スーパーのイオンが「BISTRO下水道」フェアを展開したりと地域に定着しています。佐賀が全国一の生産量を誇る海苔養殖でも下水処理水を活用。網を海に入れる冬には処理水の窒素濃度を通常より高くして、海域の栄養分を高めます。処理水が地域の中心産業に役立っています。さらに、汚泥の発酵で出るメタンガスを使う発電事業もあり、エネルギー利用にも貢献しています。
下水処理水を生かす鮎養殖
山形県鶴岡市では、山形大学の渡部徹先生と市役所が協力して処理水による鮎養殖に取り組みました。養殖でコストがかかるのは水の運搬と加温ですが、処理場には豊富な水があり、処理水の温度は冬でも20度程度。エネルギーをかけて加温せずにすみます。渡部先生らはJAとの協働で処理水を使った飼料米生産も進めています。米消費が減っているので、牛や豚の飼料として活用するわけです。
もちろん下水道資源に悪いイメージを持つ人もいます。私は、普及に成功した地域がどのようなプロセスや登場人物の役割分担で普及させたのか、その仕組みと仕掛けを分析しています。工学、農学だけでなく社会学や経営学の発想を取り入れることも重要です。これは他の事業にも応用でき、内閣府の地域活性化伝道師として効果的な普及方法等を自治体や企業にアドバイスしています。
都市河川の主水源はトイレ
下水道整備で水質が改善した多摩川では、年間何万匹も鮎が溯上します。実は、多摩川下流では流量の約8割が下水処理水。東京の河川の源をたどるとトイレに行き着き、処理水のコントロールは都市河川の水質に直結します。処理水がきれいになれば川も浄化され魚の品質もよくなるわけです。本研究室のファム・ビエット・ズン先生は、前職の山形大学での経験を活かして処理水による鮎の育成と臭気対策による河川環境改善の研究を行っています。
振り返ると、江戸市中の水は井戸水ではなく、神田上水などの「水道」でした。下水は屎尿を肥料として農地に還元され、街中は排水路が整備されて衛生的だったようです。同じ頃、欧州では屎尿を窓から捨てており街路は汚物で溢れたとの記録があります。その後、日本では化学肥料が普及し、屎尿は都市の邪魔者に。コレラ流行を契機に、明治政府は先に下水道を整備していた欧州から技師を招いて近代下水道を学び整備に着手しました。
現在、日本では下水汚泥の農業利用率は10%程度ですが、フランスでは約8割。フランスではどの処理場から出た汚泥がどこで肥料になったのか、どこで何に使われているかなどが「見える」システムがあります。自治体が管理者となり、運営を民間にまかせるPPP(官民連携)もフランスでは長い歴史があります。日本に適した上下水道のPPPの手法を探るのも私に課せられた仕事です。
下水を排出し利用する市民と
市民が排出者であり利用者でもある下水道事業は、市民の理解なしには経営できません。下水処理は目に見えづらく、きちんと広報しないと理解してもらえないと考え、私が運営委員長となって2010年に日本下水道協会に立ち上げたのが、下水道広報プラットフォーム(GKP)です。
各地でデザインが違うマンホール蓋に着目して2012年に始めたマンホールカードは大好評となり、累計665自治体・3団体968種を数えます(2023年12月現在)。マンホーラーたちが集うマンホールサミット、下水道の価値を学生や企業の若手と共有するGKP未来会、市民と下水道を科学する「GKPチーム市民科学」などの活動を通じ、下水道のプレゼンス向上を図っています。
下水道は様々なものを水に溶かして流す流体システムです。水自体に価値がある上水道と違い、下水道の水はそのままだと価値がありませんが、近年、下水は社会の情報を運ぶメディアだという発想が出てきました。新型コロナの発生予測を行う「下水疫学」が有名ですが、新薬の材料とか、半導体の原料とか、ほかにもいままで気づかなかったレアな物質を運んでいるかもしれません。下水道は家庭から出る資源が集められる「秘密」のシステム。いまはエネルギーや農業への利用が注目されていますが、もっと生活や新たな産業に役立てることができると期待しています。