長年にわたり東大キャンパスの発掘調査を担当してきた堀内先生。
本郷キャンパスを歩くと江戸時代の加賀藩の大名屋敷が「見える」と話します。
溶姫御殿があった場所から出土した便所遺構や、赤門脇の加賀藩邸地境石組溝などについて紹介してもらいました。
考古学×便所
溶姫御殿のトイレから発見された高濃度の鉛の正体とは?
堀内秀樹
HORIUCHI Hideki
埋蔵文化財調査室 准教授

1983年に立ち上がった埋蔵文化財調査室で、約40年にわたって学内の発掘調査を担当してきました。江戸時代に加賀藩の江戸屋敷が置かれていた本郷キャンパス。建物の改修や建設の度に学内各所で行われてきた発掘調査によって、その広壮な加賀藩邸の姿が明らかになってきました。

女中エリアの便所遺構から鉛が

2013~14年に総合図書館前広場(アカデミックコモンズ地点)の工事に伴い行った発掘調査では、井戸、排水溝、便所の遺構が発掘されました。1827年に第11代将軍徳川家斉の二十一女・溶姫が、前田家13代斉泰に嫁いだ時に建てられた溶姫御殿の最奥部にあたる場所です。
御殿の正門である赤門から奥に広がる約5,200坪の広大な御殿でした。特に長局は、大奥と同じレイアウトで、その「三ノ側長局」、「三ノ側続長局」という女中が居住していたエリアから5基の便所が出土しました。土を掘り、その中に木桶を埋める構造でした。便槽は2基が対になっていて、その構造は大便と小便用のものが1基ずつ設置されていた男性の行動圏にある便所とは異なる点です。
便槽の下層から発見されたのが、便に含まれるカルシウム分が沈澱して白色化した土。土壌分析したところ、鉛が多く含有されていました。鉛は汚染していない土にも一定量含まれていますが、白色化した土壌の鉛の濃度は通常の3~4倍。これは白粉に含まれていた鉛が体内に取り込まれ、排出されたためだと推定されます。
1986~88年に行われた御殿下記念館地点の発掘調査でも、女性用便所から鉛を多く含有した土壌が報告されています。鉛を含む白粉は、江戸時代に乳幼児死亡率が高かった原因だという指摘もあります。当時は白粉を首の下まで塗っていたので、子供を抱いたときにそこを舐めてしまったのかもしれません。その影響は大人より大きいため、鉛中毒によって亡くなる乳児がいたのではないかと考えています。
江戸時代の貴重な一次資料
全域が遺跡指定されている本郷キャンパスの地面の下には、遺跡化した加賀藩邸が非常に良好な状態で眠っています。これまで歴史的資料性が高い遺構や遺物がたくさん出土しました。博物館学でいうと一次資料、標本そのもの。40年で蓄積した知見は膨大で、江戸時代初めから終わりまでの大名や藩士としての活動や生活スタイルを復元できる。そういう象徴的な遺跡です。
最近では、2023年に赤門付近の発掘調査で溶姫御殿の加賀藩邸地境石組溝が発見されました。溝幅は内法約1m。加賀藩邸の他の石組地境溝の約2倍です。溝底には漆喰が貼りつめられ、石垣に使う石が綺麗に並べられていました。中山道(現本郷通り)に面した溶姫御殿の藩邸境ということで、非常に丁寧に作られていたことが分かります。
私たちが取り組んできた発掘調査のテーマは、江戸時代とはどういう時代だったのか、どういう地域だったのか、加賀藩邸はどのような場所だったのか、という3点です。ですが、まだ調べていない資料などがたくさんあります。今後はそこに踏み込んでいきたいです。




2017年に開催された総合研究博物館特別展示「赤門溶姫御殿から東京大学へ」の図録の市販版。堀内先生と西秋良宏先生が編集を務めました。