極圏、砂漠、火山島に無人島、
5640mの高山から5780mの深海まで
1957年から続く日本の南極地域観測隊。第66次を迎える今年、初の女性隊長が誕生します。
33年前の大学院生の時に初めて赴き、今回は大学教員として臨む原田先生が雪辱を期す観測とは?
12月の出発に向け、隊長として、研究者として、入念な準備を進めている先生に聞きました。
生物地球化学 極圏
観測隊長として臨む3度目の南極で33年越しのミッションをやり遂げる!
原田尚美
HARADA Naomi
大気海洋研究所 教授
卒論の指導教員の話で南極を意識
私は北海道苫小牧市の出身です。高2のとき、教育実習で来た弘前大学の先生から地球科学の話を聞いて地球科学分野に興味を持ち、弘前大学に進みました。卒論の指導教員が南極経験のある先生で、南極のおもしろさを話すのを聞き、自分もいつか行けたらなぁと思ったものです。
先輩がいた名古屋大学の大学院に進み、航海明けの高揚感を伝えてくれた半田暢彦先生の研究室に入りました。ただ、研究生活は非常にハードで、同期の2人が就職を決め、私も環境コンサルの会社に内定をもらいました。フィールド調査の経験をしたいと思っていたので、観測航海への参加を先生に頼み、竣工したての白鳳丸に乗ったら、これが最高に楽しかったんです。赤道付近で採取した堆積物がクリーム色で美しく印象的でした。生物の遺骸の炭酸カルシウム分が多いせいですが、数万年前の遺骸をいま見ていることにワクワクして……。就職はやめて、博士課程に進みました。
半田研究室はセジメントトラップという装置を係留して海中の粒子を回収・分析するのを得意としていました。あるとき研究室に、南極でこの種の調査をやるから学生を派遣してくれという打診が。誰も手を上げなかったので、私が名乗り出ました。まだ日本の女性隊員は一人しかいなかった頃。赤道のサンプルを使う博士論文のテーマとは離れます。先生にも親にも反対されましたが、博士論文を必ず仕上げ、南極観測のテーマの論文も書くから、と説得し、第33次の夏隊に参加しました。24歳の頃です。
初めての南極で味わった苦い経験
行きの航海で南緯64度地点にセジメントトラップを設置し、帰りの航海で回収する予定でした。しかし、いざ回収しようと思ったら、いくら探してもトラップが見つかりません。錘をつけ、ブイで浮力を持たせて水深5000m付近に設置したのですが、浮力調整がよくなかったのか、巨大な氷山に流されたのか。いずれにしても回収はできませんでした。メイン任務の失敗です。隊長はかばってくれましたが、責任を痛感し、苦い経験となりました。
博士論文と南極の成果の論文の計4報の論文を仕上げた後は海洋研究開発機構に入職し、北太平洋亜寒帯の物質循環や海底堆積物を使う過去の環境復元の研究に従事。南極からは離れましたが、2010年頃から北極圏北極海の研究を始めたのを機に南極関連の委員会にも呼ばれるようになり、2018年、第60次の副隊長として声がかかりました。前回の件もあり迷いましたが、研究テーマのないマネジメント職として参加。2度目の南極生活は楽しかったのですが、一方でやはりここは研究の場だなとも感じました。
帰国後は機構の地球環境部門の部門長となり、研究する余裕はなくなりました。そんなときに見かけたのが大気海洋研究所の公募。マネジメント仕事がなく、研究に集中できるぞと思って応募を決め、2020年に着任しました。南極に関わる科研費に採択され、第X期中期計画にも関わることになり、第66次の隊長の話もいただきました。第60次では夏隊の隊長で全体の副隊長でしたが、今回は越冬隊を含めた隊長を務めます。
隊長の主な仕事は、最終的な判断をすること。せっかくの南極で誰もが計画を100%こなしたいわけですが、天候が崩れたり装置が壊れたりとトラブルはつきもの。総合的に考えると中止せざるを得ない計画も出てきます。それを決めて本人に伝える憎まれ役が隊長です。
観測隊の活動は出航前からあります。3月には、群馬と長野の境にある高原で4日間の冬山訓練を行いました。急に悪天候になった場合の対応、クレバスに落ちた場合の対処、負傷者を運ぶ訓練……。夏の南極なので実際にはそれほど過酷な状況には陥らないはずですが、準備を怠ることはできません。3月に参加できなかった人を対象に立山でも同様の訓練を行い、私は隊長として両方に参加しました。
隔離された環境では人間関係が命綱
6月には座学でアンコンシャス・バイアスの研修を行いました。南極では、越冬隊と夏隊、観測系と設営系、「しらせ」組と昭和基地組など、立場が異なるグループが共存します。周囲から隔離された特殊な環境にいると、思ってもないことを言ったり、荒い口調になったりしても仕方がない面があります。そうしたバイアスを事前に知っていれば、実際にひどいことを言われても、それはこの人自身でなく厳しい環境が言わせているのだと思ってやりすごせるかもしれません。人間関係がこじれて観測が立ち行かなくなったら、やはり隊長の責任です。
隊長の任務のほか、今回こそは自分の観測も行います。テーマは南極周辺の海洋の物質循環。環境因子と物質循環と生物生産の応答の関係を探るためのサンプルを取るため、33年前の当時と同型のセジメントトラップを設置しますが、センサーはより拡充し、水温、塩分、クロロフィル、流向流速など多様なデータを狙えます。物理の専門家と連携して浮力バランスを調整し、水深1000m付近に設置する予定です。
南極は3回目ですが、教員としては初めて。今回は研究室の大学院生を連れていきます。研究テーマが南極とは関係ない学生なので、私の1回目と同じ状況です。毎回観測隊には複数の学生も参加しますが、他の学生に比べて成長がすごい、と送り出した先生方は口を揃えます。観測するためには常に自ら周りと交渉することが必要。研究に必要なコミュニケーション力が鍛えられます。周囲に助けられることもあれば、泣かされることもあるでしょう。刺激的な研究の場であるだけでなく、学生を成長させる教育の場でもあるのが南極だと思っています。