「人間性の再興」:波瀾の時代において 社会分断やデジタル革新が加速する中、人類の叡智をいかに結集できるか――。東京フォーラム2023で、その道筋を探る
「東京フォーラム2023」が11月30日(木)と12月1日(金)、東京大学と韓国・崔鍾賢学術院(Chey Institute for Advanced Studies)の共催で開かれ、「社会的分断とデジタル革新の時代における人間性の再興」をテーマに、約40人の識者が示唆に富む活発な議論を展開しました。一般参加者が安田講堂で議論に耳を傾けたほか、世界各国からオンラインでの視聴がありました。
東京フォーラムは、「Shaping the Future (未来を形作る)」を包括的なテーマとして、2019年から毎年、開催されています。今回は、地政学的な緊張の高まりによる分断と争いが加速する中、開催されました。また、AIをはじめとするデジタル技術の進展で、機械・技術と人間の境目が曖昧になり、改めて「人間とは何か」という問いが切実になっています。
藤井輝夫総長は開会挨拶で、このような波瀾の時代における大学の役割に触れながら、本フォーラムの意義について語りました。「地政学や技術をめぐる状況がさらに複雑になる今、高等教育は(国際情勢や技術革新をめぐる)世界的な議論に積極的に関与、参加しなければなりません。大学は、行政や民間部門など社会のさまざまな部門からの知恵と見識を集結させる、中心的な役割を果たし続けなければならないのです。このミッションは、多様な分野の専門家が一堂に会し、協働することでのみ達成することができます」
チェ・テウォンSKグループ会長は同じく開会挨拶で、「韓国と日本は強固な協調体制を組まなければなりません。半導体、電気自動車用バッテリー、医薬品、再生可能エネルギーなど、両国が得意とする分野で協力する機は熟しているのです」と強調しました。両国が積極的に世界市場に関与するのは、「経済成長に寄与するという意味だけではなく、まさに生き残りのため」とも言い切りました。
人間性を俯瞰する:社会学、心理学、地政学の観点から
今回の基調講演は、タイ・チュラロンコン大学政治学部のスリチャイ・ワンゲオ名誉教授、米国・カリフォルニア大学バークレー校心理学部のアリソン・ゴプニック卓越教授のほか、日本からは東京大学未来ビジョン研究センターの藤原帰一名誉教授(千葉大学学長特別補佐を兼任)が、それぞれの視点から「人間性の再興」について行いました。
社会学を専門とするワンゲオ名誉教授は、地域単位で協力体制を構築する重要性を説きました。人類史を振り返れば、協力行動は人類の生き残りや発展のために不可欠なものです。ワンゲオ名誉教授は地域単位の協力が鍵になる例として、タイ北西部のミャンマー国境近くに設立されたメータオ・クリニックと、メコン川流域のダム建設計画を上げました。
メータオ・クリニックは、ミャンマーから逃れた人々に必要な医療を提供しています。特に、ミャンマーで民主的に選ばれた政権を転覆した2021年の国軍によるクーデター以降は、同国からの難民が急増しており、同地域での協力体制が重要になっています。一方、ダム建設計画については、生物多様性の減少など深刻な環境破壊が懸念されています。しかも、メコン川は中国、ミャンマー、ラオス、タイ、カンボジア、ベトナムを流れる国際河川で、一国だけではダム建設がもたらす環境負荷を食い止めることは困難です。
ワンゲオ名誉教授は、「これらの例を挙げたのは、我々の未来を考えるためです。地政学的な要素だけではなく、知識にもとづいて、いかに我々の未来を形作っていくかを議論しなければなりません」と述べました。その上で、「知識醸成や世界のガバナンスに関与することで、ビジネス、人権、新しい世代への責任、地球の将来など諸問題を網羅する、大まかな協力体制を作ることができるのです」と強調しました。
ゴプニック教授(心理学)は、「最新の人工知能(AI)がどの程度、子どもの学習過程を模倣できるかの検証」や「AIに子どもの学習方法を習得させる戦略」をテーマとした自身の研究成果を紹介しながら、「人間性」について示唆に富む考察を披露しました。「我々が知る限り、子どもたちはこの世の中で最も学習能力が高いのです。子どもは、未知なる世界を探索することにより知識を得ます。これは、経験則にもとづいて行動する傾向が強い成人と対照的です。子どもの学習において加えて重要なのが、両親の養育と、文化などの情報伝達に役割を果たす祖父母の関わりです」
ゴプニック教授が紹介したのは、「ブリケット探知機」と呼ばれるオンラインゲームを使った、AIと子どもの比較研究です。4歳児と、強化学習と生成AIの2種類のAIシステムを対象に、ゲームの遊び方を習得するそれぞれの能力を調べました。その結果、ChatGPT(チャットGPT)のような大規模言語モデル(LLM)は、文章の生成に優れた性能を発揮しますが、世の中の事柄について新しい情報を探索・獲得することは苦手ということが判明しました。「つまり、AIは情報を伝達、探索、発見する能力が乏しい一方、子どもたちはこれらの能力に長けているのです」と、ゴプニック教授は指摘しました。
一方、藤原名誉教授(政治学)は、イスラエルとハマスの武力衝突や、ロシアによるウクライナ侵攻、米中対立の激化など、世界の二極化や分断による地政学的緊張について見解を述べました。現在の戦争や緊張を引き起こした要素として、1)中国の勃興と覇権国家米国の衰退、2)ビジネス・貿易への国家干渉の復活(経済と地政学の融合)、3)リベラルな国際秩序を衰退に導く反エリート主義と反グローバリズム、の3点を挙げました。また、今後も米国や中国、ロシア、イスラエルの衰退で、国際情勢はさらに不安定化するとも予想し、「これを防ぐには、戦争を止めることしかありません。和平が重要なのです」と強調しました。
基調講演に続く「プレナリートークセッション」では、佐藤仁・東京大学東洋文化研究所副所長・新世代アジア研究部門教授がモデレーターとなり、3人の講演者が議論を展開しました。専門分野が異なる講演者を議論の俎上に載せるために、佐藤教授は「子どもが持つ協調的で利他的な関係性を、いかに国家、地球レベルの関係性にも拡大させることができるか」と問いかけました。
ゴプニック教授は、「その問いは現代政治の最大のテーマ」だとしながらも、今まで「ないがしろ」にされてきたとの見解を示しました。「この問題提起に真剣に取り組み、幼少期に見られる協調的、利他的な関係性を国家・地球レベルで獲得していくことを検討することが重要です」 一方、藤原名誉教授は、「国際情勢に影響する要素は、社会契約(国家と市民の関係についての契約)や民主主義などのほかに、協力関係の構築を阻害する覇権主義があります」として、悲観的な見解を述べました。「覇権国家は、他国に強大な影響力を持ちます。共通善の枠組みを尊重するように振る舞いますが、実は『安全を提供する見返り』を求めます。これが国際関係の本質なのです」
ワンゲオ名誉教授は、佐藤教授の問いに対して、地政学的問題や環境問題を解決するために、「国境を越えた地域間の協調」の必要性を訴えました。
日韓関係改善がもたらすビジネスやアカデミアの進展
SKグループのチェ会長がフォーラムの冒頭で指摘したように、日韓関係は2023年に両国首脳の直接会談が重ねて開催されるなど、大幅に改善しました。
「ビジネスリーダーセッション」(司会:藤井総長)で、チェ会長は「両国関係改善は『日韓協調体制』形成への弾みになる」と述べ、協調体制構築について次のように説明しました。
(1)日本の国内総生産(GDP)は約5兆米ドル、韓国のGDPは約1.7兆米ドルに上り、世界経済の中である程度の規模を有しており、他の経済圏と対抗が可能。
(2)日韓はその文化や政治システムに類似性があるほか、人口減少などの社会課題も共有し、新しいビジネスルールやシステムを構築するパートナーとして最適。
(3)シナジー効果が期待でき、協調に参加する国も増えると想定。
両国が協調体制を組むことで、それぞれ独自のビジネスルールを設ける米国や欧州連合(EU)、中国などに対抗することにつながると述べました。藤原名誉教授が指摘した「ビジネス・貿易への国家干渉の復活」への対抗策になります。
チェ会長の提案は、日本側パネリストの賛同を得ました。小林健・日本商工会議所会頭はビデオメッセージで、「両国の経済は切り離せないものになり、未来思考の経済協力を推し進めるべき」と強調しました。藤井総長は、チェ会長が求めた「両国のアカデミアやビジネス、行政を含めた協調体制の構築を検討する、スタディーグループの開始」の提案を受け入れ、次回の東京フォーラム2024でその成果を発表すると表明しました。
さらに、「学長セッション」では、デジタル革命(DX)の時代における大学の役割が議論されたほか、「ロボットが投げかける問い――人間性とは何か?」「社会的分断への架橋:グローバルコモンズ保全と人間性の再興」とそれぞれ題した2つのパネルディスカッションが開催されました。
若者世代は上の世代の役割を痛烈に批判
本フォーラムの注目内容の一つ、「ユースセッション」では、東京大学と韓国の学生9人が、「AI」「環境」「少子化」の3つのテーマについてプレゼンテーションを行いました。プレゼンテーションを通して伝わってきたのは、これらの分野の政策決定の過程を支配する、上の世代への痛烈な批判と世代間の分断です。
延世大学のオ・スジさんは、「AIを実際に使い、大きな影響を受けるのは若者ですが、AIに関する諸問題の解決を担うのは年上の世代です。大企業や政府が、対策が施された後も必要な修正や長期的な解決策を講じなければ、やがて若い世代が予期せぬリスクにさらされることになります」と、警鐘を鳴らしました。
東京大学の大道麻優子さんも、「科学技術は、短期的な利益をもたらすものの、長期的には環境破壊をもたらします。その影響を受けるのが若者なのです。我々の住む環境が消滅して、破壊されれば、我々の未来は暗いものとなります。我々の声に耳を傾けてもらいたい」と訴えました。
そのほか、「先進国による、途上国への環境基準を満たさない中古車の輸出」や「ミツバチを駆除して食料生産に悪影響を与えるネオニコチノイド(殺虫剤)の使用」「若者が結婚に消極的になる制度や、韓国のシングルファーザーへの制度的制約」など、諸問題についても指摘がありました。
2日間の議論を総括し、ユースセッションに参加した学生の代表と藤井総長が、「未来を俯瞰する:社会的分断とデジタルトランスフォーメーション」のテーマでトークセッションを行いました。学生からの「大学の教員はAIとの競合に直面しているのか」との問いに、藤井総長は、「経験を通して知識を得ることが重要です。大学の教育では、経験を通じた学習を優先させたい。また、大学は、デジタル空間で伝達されている情報が正確かどうかを検証する役割も担っている」と答えました。
総括セッションでモデレーターを務めた鈴木一人・東京大学公共政策学連携研究部教授は、「AIからは得られない学習経験を提供するのが、高等教育の責務です。学生は、訓練や教育が必要な仕事を目指すべきで、AIができないことをするチャンスがあるのです」と付言しました。
藤井総長はフォーラムを締めくくる挨拶で、「今回のフォーラムは、日韓の学者や学生が一堂に会して意見を出し合い、多様な分野の世界のリーダーと関わる貴重な場を提供しました。東京フォーラム2024、その後4年にわたり開催することが予定されている本フォーラムでは、今までの生産的で未来志向の議論をベースに地球や人間社会の未来についてさらに議論を積み上げていきたいと思います」と述べました。