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光で匂いを感じる昆虫をつくりだす! ‘フェロモン’を高感度で認識する脳のなぞを解明 研究成果

光で匂いを感じる昆虫をつくりだす!
‘フェロモン’を高感度で認識する脳のなぞを解明

2013年9月3日

1.発表者: 
神崎亮平(東京大学先端科学技術研究センター・教授)
田渕理史(東京大学大学院工学研究科先端学際工学専攻・大学院生、当時)
櫻井健志(東京大学先端科学技術研究センター・特任助教)
 
2.発表のポイント: 
 ◆オスのカイコガは、性フェロモンの刺激が微弱なときは、時間的に異なる刺激を脳内で統合することで性フェロモンへの感度を向上させ、メスを探すフェロモン源探索行動を
  起こすことを発見した。
 ◆光で性フェロモンを感じる遺伝子組換えカイコガを作出し、光によってあたかもフェロモン刺激を与えたかのようにカイコガを制御できる画期的な手法を確立。性フェロモン
  の高感度性の新たなしくみを明らかにした。
 ◆本手法を用いることで、性フェロモンをはじめとする匂いの脳における情報処理の新たな知見が得られ、嗅覚情報処理に関する脳研究が加速すると期待される。

3.発表概要: 
ガ類昆虫のオスは同種のメスの放出するごく微量の性フェロモン※1を検出して、配偶相手であるメスを見つけだすことができます(以下、フェロモン源探索行動※2)。ごく微量の性フェロモンは、オスの触角にあるフェロモン受容細胞で受容されるため、その高感度性に関する研究は多くなされてきました。しかし、少数のフェロモン分子を受容したフェロモン受容細胞が微弱な神経活動を起こし、その結果、オスのフェロモン源探索行動が起こるまでの脳内のしくみはよくわかっていませんでした。
東京大学先端科学技術研究センターの神崎亮平教授らは農業生物資源研究所(つくば市)、筑波大学(同)と共同で、フェロモン受容細胞の活動を光刺激によって高い時間分解能で制御できる遺伝子組換えカイコガを作出し、微弱な刺激によって生じるフェロモン受容細胞の神経活動は、嗅覚一次中枢である触角葉※3の投射神経で一定の時間枠で統合されて、フェロモン源探索行動の発現を促進することを明らかにしました。
本研究の成果は、生物の中でも突出した匂い検出能力をもつガ類の性フェロモンの高感度性の新たなしくみを解明したのみならず、光を利用したフェロモン研究の方法論を確立したものです。今後この手法を利用することで、これまで明らかにすることができなかったフェロモン情報処理の新たな知見が得られると期待されます。さらに、匂いが空中に不連続に分布するという物理的、時間的な情報を生物がいかに利用しているか、また、進化の過程の中で、自然との相互作用によりいかに匂いの高感度性を獲得したかを解き明かすうえでも貴重な研究です。

4.発表内容
ガ類昆虫のオスは同種のメスの放出するごく微量の性フェロモンを検出し、配偶相手であるメスを探索する行動(フェロモン源探索行動)を起こします(図1)。ガ類オスのフェロモンに対する感度は、生物の嗅覚の中でも突出しており、たとえば性フェロモン研究のモデル昆虫であるカイコガは、わずか170分子のフェロモンを触角で検出すると、フェロモン源探索行動を起こすと理論的に考えられています。これまでに、オスの触角にあるフェロモン受容細胞の高感度性に関する研究は多くなされてきました。しかし、少数のフェロモン分子を受容したフェロモン受容細胞が微弱な神経活動を起こし、その結果、オスのフェロモン源探索行動が起こるまでの脳内のしくみはよくわかっていませんでした。
フェロモン受容細胞で受容されたフェロモンの情報は電気信号に変換され、触角葉と呼ばれる嗅覚情報処理中枢の投射神経に伝達されます。同じ濃度のフェロモン刺激に対する神経応答を比較した先行研究では、フェロモン受容細胞と投射神経の間で信号の増幅が起こっていると示唆されており、この増幅は、多数の受容細胞が少数の投射神経に収束することに起因すると考えられていました。しかし上述のように、フェロモン源探索行動を引き起こすために最低限必要な性フェロモン濃度(行動の閾値)に近い濃度では、活動する受容細胞の数は少数であることから、ごく微量のフェロモンに対する応答は、先行研究で示唆されたしくみでは説明がつきません。
匂いのように空気を媒介して伝わる性フェロモンは、空気中でフィラメント状に離散的に分布しており、一つのフィラメントは100ミリ秒前後であると報告されています。さらに、一つのフィラメント中では10-20ミリ秒の性フェロモンの“バースト(濃度の変動)”があることが報告されています。そこで、東京大学先端科学技術研究センターの神崎亮平教授らと、農業生物資源研究所、筑波大学の研究グループは、性フェロモンの濃度変動に起因する時間的に同時でない受容細胞の神経応答が脳内で時間的に統合されることで、行動閾値付近の高感度性が生成されているという仮説を立てました。
この仮説を検証するためには、ミリ秒単位でフェロモン受容細胞の神経活動を正確に制御することが必要です。そのため、研究グループは光照射により神経活動を高い時間分解能で制御するための分子ツール、青色光感受性の陽イオンチャネルchannelrhodopsin-2 ※4(以下ChR2)をフェロモン受容細胞だけで発現する遺伝子組換えカイコガを作出し、光によってあたかもフェロモン刺激を与えたかのような実験環境(系)を構築しました(図2)。
この系を用いて、カイコガのオスが時間的に同時でない受容細胞の活動を統合するしくみをもつか調べました。1回の刺激ではフェロモン源探索行動がほとんど起こらない条件に設定したパルス状の光刺激(以下“弱い光刺激”)を、さまざまな時間間隔で2回与えたときの行動および神経活動の解析を行ったところ、パルス間間隔が80ミリ秒以内のときにフェロモン源探索行動を示す率(行動の発現率)および投射神経の神経活動が増加することがわかりました(図3、4)。この結果から、カイコガには80ミリ秒の時間枠内の受容細胞の活動を触角葉の投射神経で時間的に統合し、効率的にフェロモン源探索行動を起こすしくみが備わっていることが明らかになりました。ここで明らかにされた時間的統合の時間枠は、自然条件下での単一の匂いのフィラメントの時間枠とほぼ一致します。このことから、このしくみは一つのフィラメント内のバーストによって起こる受容細胞の活動を統合することでフェロモン源探索行動の発現の感度を向上させるしくみであると考えられます。興味深いことに、このような投射神経の活動の増加は、1回の刺激でほとんどの個体が行動を示す光刺激(以下、“強い光刺激”)のときにはみられませんでした(図4)。この結果から、刺激が微弱なときは時間的統合を行い性フェロモンへの感度を向上させる一方で、刺激が十分に強いときには時間的統合を行わず性フェロモン分布の情報をより高精度に取得するという、状況に依存して柔軟に情報を処理していることが示唆されました。
研究グループはさらに、このような刺激の強さに応じた時間的統合の違いが生じるしくみを薬理学的な手法により明らかにしました。投射神経の活動パターンの形成に重要な役割を果たす触角葉では、局所介在神経から抑制性神経伝達物質であるGABAが放出されます。触角葉におけるGABAの時間的統合における役割を調べた結果、GABA阻害剤の存在下では“弱い光刺激”のときだけでなく、“強い光刺激”に対しても時間的統合が見られました。この結果から、①時間的統合は投射神経の内在的な性質であること、②強い入力の時には受容細胞の活動が局所介在神経の活動を誘導し、それにより放出されたGABAが投射神経もしくは受容細胞を抑制することで時間的統合が起こらなくなるという巧妙なしくみがあることが示唆されました。GABAの詳細な作用機構は明確ではなく、今後の研究が待たれます。
本研究は、光遺伝学的手法※5を使った新しい嗅覚研究の方法論を確立することに成功しました。また、匂いが空中に不連続に分布するという物理的、時間的な情報を生物がいかに利用しているかを具体的に示した研究でもあります。フェロモンに限らず嗅覚系の研究を行うのはこれまで困難でした。その原因の一つに刺激として用いる匂いの制御が非常に難しく、精密な実験を行えなかったためです。今後、本研究で確立した新しい嗅覚研究の方法論を利用することで、これまで明らかにすることができなかったフェロモンや匂い情報処理の新たな知見が得られることが期待されます。
 
5.発表雑誌
雑誌名:「Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America」
論文タイトル:Pheromone responsiveness threshold depends on temporal integration by antennal lobe projection neurons
著者:Masashi Tabuchi, Takeshi Sakurai, Hidefumi Mitsuno, Shigehiro Namiki, Ryo Minegishi, Takahiro Shiotsuki, Keiro Uchino, Hideki Sezutsu, Toshiki Tamura,
   Stephan Shuichi Haupt, Kei Nakatani, and Ryohei Kanzaki
DOI番号:DOI: 10.1073/pnas.1313707110
アブストラクトURL:http://www.pnas.org/cgi/doi/10.1073/pnas.1313707110
 
 
6.問い合わせ先
国立大学法人 東京大学先端科学技術研究センター
神崎亮平教授
 
国立大学法人 東京大学先端科学技術研究センター
櫻井健志特任助教
 
7.用語解説: 
※1 性フェロモン:フェロモンとは、動物の体内で合成されて外界に放出され、同種の他個体に特定の行動や生理的な変化を引き起こす物質であり、それらのうち、特に異性間の
  交信に働くものを性フェロモンと呼ぶ。カイコガにおいては、性フェロモンは匂いのように空気を介してオスカイコガに感知されるため、性フェロモンの研究は嗅覚情報処理
  のモデルシステムとして研究が進められている。

※2 フェロモン源探索行動:オスのカイコガがメスのカイコガをみつけて、たどり着くために起こす行動。フェロモンを触角で受容すると起こる。翅を羽ばたかせ、直進に歩行
  する。次にジグザグと動き、 回転する(図1)という一連のパターン化された行動を指す。

※3 触角葉:中大脳の密集型ニューロパイル構造であり、触角の嗅覚受容細胞からの軸索が終末する領域である。触角葉は、領域内でのみ分枝を持つ局所介在神経,触角葉と上位
  中枢を結ぶ投射神経および嗅受容細胞の軸索からなり、相互に複雑なシナプスを形成する。シナプスが形成される領域は糸球体と呼ばれ、それらが多数集まりブドウの
  房状の構造を作っている。

※4 Channelrhodpsin-2: 緑藻植物のクラミドモナスがもつ色素たんぱく質青色の光が当たると外部からナトリウムイオンを取り込む役割を担っている。近年光遺伝学の研究
  において、特定の神経細胞を刺激する光スイッチとして利用されている。

※5 光遺伝学:神経回路の機能を調べるため光学遺伝学を融合した研究分野。神経系における情報処理を理解するため、哺乳類やその他の動物において生体内(in vivo)で
  ミリ秒単位の時間的精度をもって神経細胞の活動を制御する点が特徴である。

9.添付資料: 

図1

図1 オスカイコガがメス(中央)の放出するフェロモンを検出して、フェロモン源探索行動を起こしている様子。



図2-1

図2-2

図2 青色光刺激によるフェロモン源探索行動を示すオスカイコガ
青色光照射直後のChR2発現カイコガ(上)、通常のカイコガ(下)の写真。ChR2発現カイコガのみがフェロモン源探索行動を示していることがわかる。


図3

図3 時間統合によるフェロモン源探索行動の発現率の向上。
光パルス間の時間間隔が80ミリ秒以内の場合に、行動の発現率の上昇がみられる。縦軸は、フェロモン源探索行動を示したカイコガの率、横軸は光パルス間の時間間隔。



図4

図4 時間統合による触角葉投射神経の神経活動の増加。
弱い光刺激のときには、光パルス間の時間間隔(ISI)が80ミリ秒から神経発火の増加傾向がみられ、60ミリ秒以内では有意な増加がみられる。縦軸は、神経細胞の発火頻度、横軸は光パルス間の時間間隔(ISI)。■は“弱い光刺激”を与えた場合を示し、●は“強い光刺激”を与えた場合を示す。
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