氷表面における異常に低い赤外光吸収効率の発見:宇宙の氷の表面構造の理解へ前進研究成果
掲載日:2021年12月6日
発表者
羽馬 哲也(東京大学 大学院総合文化研究科 広域科学専攻・附属先進科学研究機構 准教授)
長谷川 健(京都大学 化学研究所 教授)
発表のポイント
- 氷の表面は内部よりも赤外光の吸収効率(吸収断面積)が一桁以上低いことを明らかに。
- これまで不可能であった「氷表面のダングリングOH」の存在量を定量可能に。
- 惑星系の材料物質である「星間塵(注1)」の表面構造や物性の解明に期待。
発表概要
東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻・附属先進科学研究機構の羽馬哲也准教授、京都大学化学研究所の長谷川健教授らは、「赤外多角入射分解分光法(Infrared Multiple-Angle Incidence Resolution Spectrometry、以降は赤外MAIRS法とする)」という新規赤外分光法(注2)を用いて、これまで研究が不可能であった「氷表面のダングリングOHの赤外光吸収効率(吸収断面積)」を明らかにしました。本研究で得た吸収断面積は、次世代赤外線観測用宇宙望遠鏡「ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡」をはじめとする赤外線天文学の観測結果を解釈するうえで活用され、星間塵の分子レベルの表面構造や物性(空孔率や比表面積)ならびに惑星系の形成過程について、理解が大きく進むことが期待されます。
本研究成果は、2021年12月6日(グリニッジ標準時)に米国の科学誌「The Astrophysical Journal Letters」のオンライン版に掲載されました。。
発表内容
研究の背景
固体の水(H2O)、つまり氷は宇宙でもっとも豊富に存在する固体物質です。宇宙空間を漂う星間塵の表面はアモルファス(非晶質)(注3)の氷で覆われています。太陽系を含む惑星系はこの氷に覆われた星間塵を材料物質として形成されるため、氷星間塵の構造を分子レベルで理解することは、惑星形成の素過程である星間塵同士の衝突と凝集を理解するために重要です。星間塵を覆う氷の構造はおもに赤外線で観測研究が進められており、およそ3.1 μm(3600-3000 cm−1)あたりに氷内で4配位の水素合ネットワークを形成したH2Oに由来する吸収線(ピーク)が観測されます(図1左)。いっぽう、氷の赤外スペクトルには、2.7 μm(3696 cm−1)あたりにも非常に弱いピークがあります(図1右)。このピークは「ダングリングOH」と呼ばれており「氷の表面に存在する水素結合ネットワークが不十分な3配位のH2O」に由来します。この「ダングリングOH」は氷の表面構造や物性(空孔率や比表面積)を強く反映しており、さらに氷表面でおきる化学反応において触媒効果をもたらす(吸着や反応をおこす場となる)ことが知られている非常に重要なピークです。
図1:氷の赤外スペクトル。(左)3600-3000 cm−1に幅広く存在するピークは氷内部で4配位の水素合ネットワークを形成したH2Oに由来。(右)3696 cm−1の微弱なピークは氷表面に存在する3配位のH2Oが持つダングリングOHに由来。
赤外線天文学では、観測から得た「氷の赤外スペクトルの吸光度(注4)」と「氷の赤外光に対する吸収断面積(注5)」から、氷の存在量を求めることができます。氷内部の4配位のH2Oに由来する幅広いピーク(3600-3000 cm−1)の吸収断面積については、これまで多くの研究がなされており、赤外線天文学で活用されています。しかし、氷表面に存在する3配位のH2O、つまりダングリングOHの吸収断面積については、ダングリングOHの存在量と吸光度とがどのように相関するかを定量することができなかったため(つまり検量線を作成することができなかったため)、これまで全く不明でした。
研究内容
東京大学大学院総合文化研究科広域科学専攻・附属先進科学研究機構の羽馬哲也准教授、京都大学化学研究所の長谷川健教授らは、「赤外MAIRS法」という、独自の赤外分光法を超高真空・極低温環境でも行える実験装置を開発し(図2左)、アモルファス氷のダングリングOHの赤外光の吸収効率(吸収断面積)を実験的に定量することに成功しました。赤外MAIRS法は、赤外分光法と多変量解析(注6)とを組み合わせた分析法で、試料内の分子の面内振動(基板に平行な振動)と面外振動(基板に垂直な振動)の赤外吸収スペクトルを定量的に得ることができます(図2右)。赤外MAIRS法は本来、得られた面内振動・面外振動の赤外吸収スペクトルの強度比から薄膜中の分子配向を解析するために開発された手法ですが、本研究では、赤外光の吸収断面積を測定するために応用しました。
図2:(左図)本研究で開発した「超高真空・極低温赤外MAIRS法」のための実験装置。(右図)面内振動と面外振動のイメージ図。
開発した装置を用いて90 K(-183 ℃)のシリコン基板に作製したアモルファス氷について赤外MAIRS法による分析を行ったところ、3配位のダングリングOHは強く面外振動していることがわかりました(図3)。この結果は、ダングリングOHが氷表面に存在することと整合的です。ここで強調すべきは、従来の測定方法(垂直透過法)では面外振動は観測できないことです。そのため垂直透過法ではダングリングOHは観測されず、あたかもダングリングOHが存在しないかのように見えてしまいます。このことがダングリングOHの存在量と吸光度とがどのように相関するかを定量することができなかった理由です。しかし、赤外MAIRS法はダングリングOHの面内・面外振動両方の吸光度を得ることができるため、あとはダングリングOHの存在量が定量できれば吸収断面積を正確に求めることができます。本研究ではメタノール(CH3OH)を蒸着してダングリングOHと水素結合させ、ダングリングOHのピークが消えるメタノール蒸着量からダングリングOHの存在量を定量し、吸収断面積を明らかにしました(図4)。その値は氷内部よりもおよそ20倍小さい値になり、ダングリングOHが氷内部のH2Oに比べて特異的な赤外光吸収特性を持つことが明らかになりました(表1)。
図3:90Kのアモルファス氷のダングリングOHの赤外スペクトル。
図4:ダングリングOHの存在量を定量するためのメタノール(CH3OH)蒸着実験。メタノールがダングリングOHと水素結合することでピークが消失する。メタノール蒸着量からダングリングOHの存在量を定量できる。
表1:氷の赤外光の吸収断面積のまとめ(氷内部を1として規格化)
アモルファス氷表面のダングリングOH(本研究) | 0.05 |
アモルファス氷内部(文献値) | 1 |
社会的意義
本研究で明らかにした氷表面のダングリングOHの吸収断面積によって、これまで困難であったダングリングOHについての定量的な研究が可能になります。本研究で得た吸収断面積を利用することで、室内実験で生成した氷表面のダングリングOHの定量はもちろんのこと、星間塵に存在する氷のダングリングOHの存在量を定量することで、氷の表面構造や物性(空孔率や比表面積)を明らかにすることが可能となります。とくに本研究で得た吸収断面積は、次世代赤外線観測用宇宙望遠鏡「ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡」をはじめとする赤外線天文学の観測結果を解釈するうえで活用され、星間塵表面の化学反応メカニズムや惑星系の形成について理解が大きく進むことが期待されます。
本研究は、科研費「基盤研究(B)(課題番号:JP21H01143)」、「学術変革領域研究(A)(課題番号:JP21H05421)」の支援により実施されました。
用語解説
(注1)星間塵:
星間雲に存在する 0.1 μm 程の微粒子。鉱物や炭素質物質を核として表面は氷に覆われている。この氷に覆われた星間塵が原材料となって太陽系の天体(彗星や惑星など)が作られる。
(注2)赤外分光法:
物質に赤外光を照射し、透過または反射した光を測定することで、試料の構造解析や定量を行う分析手法。波長が2.5~20 μm(波数にして4000~500 cm-1)ほどの赤外光を物質に照射すると、分子の振動による固有の吸収パターン(スペクトル)が現れ、分子の構造に関する情報が得られる。
(注3)アモルファス:
結晶のように原子の並び方に広範囲にわたった秩序のない物質の状態のこと。非晶質ともいう。
(注4)吸光度:
物質によって光がどの程度吸収されたかを示す無次元量。
(注5)吸収断面積:
分子による電磁波(本研究では赤外光)の吸収の効率を表す物理量。面積の次元を持つ。
(注6)多変量解析:
多くの変数を持つ複雑なデータから、知りたい情報を引き出すための統計的方法。
論文情報
Takumi Nagasawa, Reo Sato, Takeshi Hasegawa, Naoki Numadate, Nobutaka Shioya, Takafumi Shimoaka, Takeshi Hasegawa, and Tetsuya Hama*, "Absolute absorption cross section and orientation of dangling OH bonds in water ice," The Astrophysical Journal Letters: 2021年12月6日, doi:10.3847/2041-8213/ac3a0e.
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