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楽器演奏の習得の脳科学的効用~音楽経験により特定の脳活動が活発化~研究成果

掲載日:2021年12月23日

発表者

酒井 邦嘉(東京大学 大学院総合文化研究科 広域科学専攻 教授)
早野 龍五(公益社団法人 才能教育研究会 会長)

発表のポイント

  • ヴァイオリン等の楽器を5歳頃より習得してきた中高生は、9歳以降に習得を始めた楽器経験者や未経験者と比較して、音楽判断に対する脳活動が活発になることを発見しました。
  • 楽器演奏に必要な音の高さ、テンポの速さ、音の強弱、複数の音の抑揚、という判断を司る脳部位が異なることが、特定の脳活動の活発化から初めて実証されました。
  • 音楽などの早期教育が注目を集める中、自然な母語習得を楽器演奏習得に応用した「スズキ・メソード」の有効性が、脳科学によって明らかとなりました。

発表概要

  東東京大学大学院総合文化研究科の酒井 邦嘉 教授は、公益社団法人 才能教育研究会(本部:長野県松本市、会長:早野 龍五)との共同研究において、聴覚野や言語野は音楽経験によらずに音楽判断に選択的な活動を示すのに対して、楽器演奏の習得によって右脳の運動前野外側部(注1)や感覚運動野が有効に活用されるということを初めて明らかにしました。

 本研究グループは、楽器演奏の習得経験が異なる3群の中高生を対象として、MRI装置(注2)と音楽判断課題を用いて、音楽経験の効果を調べました。その結果、音楽的エラーの種類に依存した脳活動は、音楽経験に関係して定量的に変化することが分かりました。また、テンポ判断の条件では、左脳の聴覚野と右脳の感覚運動野などに選択的な活動が見られ、これはスズキ・メソードの生徒だけに特有な脳の活性化でした。

 これらの結果は、聴覚野や言語野が音楽と言語の共通基盤であるとの仮説を支持します。鈴木鎮一(Shin'ichi Suzuki, 1898-1998)が始めた教育法である「スズキ・メソード」は、赤ちゃんの自然な母語習得を可能にする人間の高度な能力に注目して、それを楽器演奏習得に応用した「母語教育法」ですが、そうした普遍的な教育法の重要性が科学的に明らかとなりました。75周年を迎えたスズキ・メソードは、これまで世界74の国と地域で実践されてきたものであり、今回初めて脳科学による裏付けが得られたことになります。

 本研究は公益社団法人 才能教育研究会より部分的に助成を受けていますが、才能教育研究会はデータの取り扱いや論文の記載内容には関与せず、利益相反もありません。

発表内容

研究の背景・先行研究における問題点

 音楽は言語と同様に人間に固有の能力ですが、脳における音楽の神経基盤はよく分かっていませんでした。例えば、「音の三要素」は音の高さ(周波数)・強さ(音圧)・音色(周波数成分)であり、「音楽の三要素」はメロディ(旋律)・リズム(律動)・ハーモニー(和声)だと言われますが、それらが脳のどのような情報処理に対応しており、脳のどの部位によって担われているかについては定説がありません。また、そうした音楽に関係する脳機能が、楽器演奏の習得経験によってどのように異なるかも不明のままでした。

研究内容

 本調査では、12~17歳の中高生98人(大半が15歳)を対象として、スズキ・メソードの課程でヴァイオリン前期中等科以降の生徒が33人(Suzuki群、以下S群)、東京大学教育学部附属中等教育学校の生徒で8歳以前に楽器習得(35人がピアノ等の鍵盤楽器を経験)を始めた36人(Early群、以下E群)、同校の生徒で9歳以降に楽器習得を経験した者および未経験者29人(Late群、以下L群)の3群に分けました。楽器習得の開始年齢は、S群とE群ともに平均4-5歳で両者に統計的な差がありませんでしたが、総練習時間は各群の平均で、S群3,900時間、E群2,400時間、L群720時間という違いがありました。本調査にあたって、東京大学の倫理委員会で承認の上、全参加者とその保護者から書面でインフォームド・コンセントを得ています。

 特定の楽器経験によらない音楽的な判断を調べるため、音源にはフルート独奏による録音を用いました。使用楽曲はJ. S. バッハ作曲メヌエット(ト長調)、フォーレ作曲シシリエンヌ(ト短調)、フランク作曲ヴァイオリンソナタ(イ長調)の冒頭部です。調査開始の1週間前から、それぞれ3回ずつCDで聞くよう指示しました。各試行では曲の一節を15秒提示して、音の高さ(Pitch)・テンポの速さ(Tempo)・音の強弱(Stress)・複数の音の抑揚(Articulation)それぞれの観点で、不自然な箇所(音楽的エラー)があったかどうかを判断させ、ボタン押しで回答させました(図1)。これら4条件に加え、曲のつながり(半数が途中で別の曲に替わる)を判断する対照条件(Connection)を実施しました。
図1 音楽判断課題に用いた楽曲の例
課題では、音の高さ(Pitch)・テンポの速さ(Tempo)・音の強弱(Stress)・複数の音の抑揚(Articulation)それぞれの観点で、不自然な箇所があったかどうかを10問続けて判断させました(それぞれ全20問)。全試行の半分はAのように正しい(Normal)演奏が提示され、残りの半分はB~Eに示したような不自然な箇所(Aの*を付けた部分に対するエラー)を1つだけ含みます。Articulation条件は演奏法の違いを含みます(Eは前半を抑揚がなく平板に奏でる例)。

 その結果、S群はこれらすべての条件で課題の正答率が高いことが示されました(図2)。この違いは、楽器習得の開始年齢や楽器の総練習時間だけからは説明できず、スズキ・メソードの効果だと考えられます。この課題を行っているときの脳活動をfMRI(機能的磁気共鳴画像法)(注3)で測定しました。
図2 音楽判断課題の正答率
対照条件(Con)・音の高さ(Pit)・テンポの速さ(Tem)・音の強弱(Str)・複数の音の抑揚(Art)の各条件に対して、Suzuki群(S)、Early群(E)、Late(L)の正答率を示します。すべての条件でS群は他の2群より正答率が高く(*は統計的な有意性 p < 0.05を表します)、E群とL群の間には差がありませんでした。

 Pitch条件では、音楽経験によらず3群すべてに左右の「聴覚野」の活動(図3Aに白黒の楕円で示した部分)が観察されました。L群ではそれが唯一の活動だったのに対し、楽器習得を長く経験したS群とE群では、脳の両半球に共通した活動が見られました(図3Aに黄色の楕円で示した部分)。Tempo条件では、左脳の聴覚野と右脳の感覚運動野を含め複数の領域に活動が見られ、これはS群だけに特有な脳の活性化でした(図3Bに赤色の楕円で示した部分)。S群だけの活動領域には、記憶の想起過程で機能する「海馬」も含まれていました。Stress条件では、3群に共通して右脳の運動前野外側部や感覚運動野の活動が観察されました(図3Cに白黒の楕円で示した部分)。
図3 脳活動が示す音楽判断条件の違い
対照条件(Connection)と比較して、音の高さ(Pitch)・テンポの速さ(Tempo)・音の強弱(Stress)・複数の音の抑揚(Articulation)の各条件で高い活動が見られた脳領域(赤)。図は左右の脳の外側面を示します(L. 左)。これらの脳活動のパターンには、Suzuki群(S)、Early群(E)、Late(L)の間の共通点と相違点が見られます。

 Articulation条件では、3群に共通して「言語野」である左脳の運動前野外側部と下前頭回(注4)の活動(図3Dに白黒の楕円で示した部分)が観察された一方で、右脳の運動前野外側部の活動は、S群とE群に限られていました(図3Dに黄色の楕円で示した部分)。定量的な脳活動の解析により、音楽的エラーの種類に依存した脳活動は、音楽経験に関係して定量的に変化することが分かりました(図4)。
図4 各条件で選択的に増加した脳活動の比較
A:左の聴覚野、B:右の聴覚野、C:右の感覚運動野、D:左の下前頭回(言語野)、E:右の運動前野外側部。脳活動の基準は対照条件(Connection)です。*は統計的な有意性 p < 0.05、**はp < 0.01を表します。

 以上の結果から、聴覚野(Pitch条件)や言語野(Articulation条件)は音楽経験によらずに音楽判断に選択的な活動を示すのに対して、楽器演奏の習得によって右脳の運動前野外側部(Articulation条件)や感覚運動野(Tempo条件)が有効に活用されるということが分かりました。さらに興味深いことに、音楽表現(アーティキュレーション)の解釈と言語の解釈とで脳の働きに共通性が見られることがはっきりと示されました。

社会的意義・今後の予定

 音楽などの早期教育が注目を集める中、自然な母語習得を楽器演奏習得に応用した「スズキ・メソード」の重要性が、脳科学によって明らかとなりました。言語の自然習得は、アメリカの言語学者ノーム・チョムスキーが提唱する「言語生得説」の基礎となる考え方であり、あらゆる自然言語の普遍性を裏付けるものです。この仮説の脳科学的根拠については、酒井による近著『チョムスキーと言語脳科学』(インターナショナル新書、2019年)と『脳とAI-言語と思考へのアプローチ』(中公選書、2022年)を参照して下さい。

 日本の義務教育では音楽が必修科目となっていますが、教材となる楽曲や楽器の選択は教員の裁量に任されており、言語能力との関連もほとんど考慮されていません。また、音楽における創造的な力についても、学習指導要領には「創意工夫を生かした音楽表現をするために必要な技能とは、創意工夫の過程でもった音楽表現に対する思いや意図に応じて、その思いや意図を音楽で表現する際に自ら活用できる技能のことである」(文部科学省「中学校学習指導要領(平成29 年告示)解説 音楽編」p.14)という抽象的な説明にとどまっています。

 聴覚野や言語野は音楽経験によらずに音楽判断に選択的な活動を示す、という本研究の成果は、国語や英語と同時に音楽を習得することの相乗効果を明確に示しています。その可能性は「言語の自然習得」という考え方(注5)と合致しており、現在の学校教育に一石を投じるものです。

 これからも、東京大学の酒井研究室では人間の脳における言語・音楽や創造性のメカニズムの解明を追究し、才能教育研究会は音楽教育の実践的な活動を通して、世界の人たちとの豊かな交流の実現に貢献していきます。

用語解説

(注1)右脳の運動前野外側部
右脳の運動前野外側部(ブロードマンの6/8/9野)は、「言語野」である左脳の対応部位(注4)を補助する働きがあります。特に、韻律(prosody)にかかわる領域として70年代終わり頃から報告があり、この場所に脳損傷が起こると、声の調子に抑揚がなくなって平板になります。

(注2)MRI装置
MRI(磁気共鳴映像法)は、脳の組織構造を、水素原子の局所磁場に対する応答性から測定し画像化する手法で、全く傷をつけずに外部から脳組織を観察する方法として広く使用されています。そのために使用する医療機器が、超伝導磁石によって高磁場(3テスラ程度)を発生させるMRI装置です。注2で述べる「fMRI」でも、このMRI装置を使用します。

(注3)fMRI(機能的磁気共鳴画像法)
脳内の神経活動に伴う血流変化を、局所磁場の変化から測定し画像化する手法で、全く傷をつけずに外部から精度良く脳活動を観察する方法として、1990年代から広く使用されています。

(注4)左脳の運動前野外側部と下前頭回
左脳の運動前野外側部(ブロードマンの6/8/9野)と下前頭回(44/45野)は、人間の言語処理にかかわる「言語野」の一部であり、特に文法処理を司る「文法中枢」の機能が局在することが、我々のグループの研究から明らかになっています〔『チョムスキーと言語脳科学』(インターナショナル新書、2019年)〕。

(注5)「言語の自然習得」という考え方
語学教育では、「言語を教える」という発想自体に根本的な問題があります。ベルリン・フンボルト大学の創設者であり、言語学者でもあったヴィルヘルム・フォン・フンボルト(Wilhelm von Humboldt, 1767-1835)は、「言語を本当の意味で教えるということは出来ないことであり、出来ることは、言語がそれ独自の方法で心の内で自発的に発展できるような条件を与えることだけである。〔中略〕各個人にとって学習とは大部分が再生・再創造の問題、つまり心の内にある生得的なものを引き出すという問題である」と1836年に述べています。これはアメリカの言語学者ノーム・チョムスキーが提唱する「言語生得説」の基礎となる考え方であり、あらゆる自然言語の普遍性を裏付けるものです。この仮説の脳科学的根拠については、前掲『チョムスキーと言語脳科学』を参照して下さい

論文情報

Kuniyoshi L. Sakai* , Yoshiaki Oshiba, Reiya Horisawa, Takeaki Miyamae, Ryugo Hayano, "Music-experience-related and musical-error-dependent activations in the brain," Cerebral Cortex: 2021年12月23日, doi:10.1093/cercor/bhab478.
論文へのリンク (掲載誌別ウィンドウで開く)

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