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森鷗外新出草稿を発見! 森鷗外歿後100年記念展示 「テエベス百門の断面図――歿後100年記念 森鷗外旧蔵書展」 記者発表

掲載日:2022年10月4日

 

近年発見された鷗外自筆の未発表草稿[1]
(東京大学総合図書館・蔵)


令和4年10月13日(木)から11月28日(月)まで、東京大学総合図書館にて森鷗外歿後100年記念展示「テエベス百門の断面図――歿後100年記念 森鷗外旧蔵書展」を開催します。

 
特設ウェブサイト
https://www.lib.u-tokyo.ac.jp/html/tenjikai/tenjikai2022/index.html
 

展示について

Noticen, 1984-86
(東京大学総合図書館・蔵)

本展では、森鷗外旧蔵書である「鷗外文庫(※)」の書籍にはさまったまま眠っており、近年偶然に発見された、鷗外自筆の未発表草稿の展示が1つの眼目となります。本草稿は、鷗外が東京美術学校(現・東京藝術大学)で行った「西洋美術史」講義とつながるものであり、明治31(1898)年ころの執筆と推定されることが、東京大学大学院総合文化研究科の出口智之准教授とそのチームによって明らかにされました。
 
本草稿を中心に、鷗外の知と教養の多面性を示すさまざまな資料を展示することで、鷗外という文学者へのいっそうの理解が進み、また歿後100年という記念の年ともあいまって、一般の鷗外に対する関心が高まることが期待されます。

なお、本展は、文京区立森鷗外記念館が開催する、森鷗外生誕160年・没後100年・開館10周年記念特別展「鷗外遺産-直筆資料が伝える心の軌跡」(会場:文京区立森鷗外記念館 会期:令和4年10月22日~令和5年1月29日)と、展示資料の紹介などにおいて連携を図っています。
 
※鷗外文庫:東京大学総合図書館が所蔵する森鷗外旧蔵書の総称です。大正12 (1923)年の関東大震災で甚大な被害を蒙った図書館の復興に際して、遺族から当時の東京帝国大学に寄贈されました。総冊数は約19,000冊にのぼり、歴史、文学などを中心に、伝記書、江戸時代の武家名鑑や古地図などのほか、和漢の古医学書、ドイツ語を中心とする洋書など、内容は多岐にわたります。鷗外の自筆写本、書入れ本を多く含むことでも知られています。
 

展示に関する問い合わせ先

東京大学附属図書館所蔵資料展示委員会
utl-tenji-group@g.ecc.u-tokyo.ac.jp

 
経緯

近年発見された鷗外自筆の未発表草稿[2]
(東京大学総合図書館・蔵)

新出の草稿は、これまで鷗外文庫に属する資料として知られていなかったドイツ語雑誌、Die Grenzbotenの1890年第3期分にはさまっており、図書館員によって偶然書庫内から発見されました。「陸軍軍医学校」の罫紙に書かれ、分量は約800字、文章の途中で中絶していて未完です。図書館からの依頼を受け、明治文学を専門とする出口准教授と大学院生によるチームで調査にあたった結果、森鷗外が明治30(1897)年から翌年にかけて、東京美術学校(現・東京藝術大学)で行った「西洋美術史」講義の内容とつながりがあることが確認されました。その講義原稿の一部か、もしくは講義から派生して構想された未成の作品の一部と考えられ、明治31(1898)年ころの執筆と推定されます。
 
草稿の内容は、19世紀中盤のイタリア統一運動期に、イタリアを逃れて英国ロンドンに渡ったガブリエーレ・ロセッティ(1783-1854)に関する記事です。イタリアの大作家、ダンテ・アリギエーリ(1265-1321)を敬愛したロセッティがその文学を論じたことを、記事風に記したところまでで中絶しています。このあとはロセッティの長男で、画家・詩人として知られるダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(1828-82)の紹介に移る予定だったと見られ、ほぼおなじ内容を東京美術学校で講じていたことが、受講生だった彫刻家・本保義太郎が遺した講義ノート(既発表)で知られます。しかし、草稿は父ロセッティの紹介が講義よりもはるかに詳しく、以下は憶測にとどまりますが、美術史の枠にはおさまりづらく、と言って父ロセッティの評伝としては情報が十分でないため、まとめられずに破棄された控えのような草稿だったのかもしれません。
 
森鷗外歿後100年の年に、執筆から120年以上の時を経て新しい文章が見つかることは、鷗外の読者にとってはそれ自体意義深く、またロマンティックなことでもあります。特に、本草稿と「西洋美術史」講義との関わりは、〈歴史〉のなかに見出した特定の人物の生涯にスポットライトを当て、それを充実させて作品にしてゆくという鷗外の興味関心や文学の方法を示し、のちに彼が多数の歴史小説や史伝作品を書いたことにもつながっています。加えて、草稿の典拠となった文献は特定できませんでしたが、複数の国や言語圏にまたがる欧州人の文化的活動を紹介しようとしていたことは、ドイツ語・フランス語に堪能だった鷗外の、明治における西洋文化の紹介者としての性格を際立たせています。草稿がはさまっていたDie Grenzbotenは、今回全8冊が見つかりましたが、そちらにも全体にわたって鷗外自筆の書入れがあり、熟読していた痕跡がうかがえます。
 
今回の記念展「テエベス百門の断面図――歿後100年記念 森鷗外旧蔵書展」では、この新出草稿と雑誌を1つの柱に、多面体であった森鷗外の知と教養のありかたを、蔵書から描き出します。鷗外が所蔵していた杉田玄白『蘭学事始』や、昭和58(1983)年の「鷗外文庫展」以来の出展となるドイツ留学時代の兵食論研究ノートNoticen, 1884-86、夏目漱石・幸田露伴・永井荷風らの雑誌掲載作品を鷗外自身が抜出して製本しなおした資料、萩原朔太郎らからの献呈本、ドイツ時代の恋人だったエリーゼ・ヴィーゲルトにメッセージを記して与えたと伝わるEin einfach Herz、そして史伝「渋江抽斎」の資料となった自筆・他筆稿本など、多くの貴重資料を展示予定で、今回はじめて出展される資料も少なくありません。これによって、洋の東西・文理を超えた鷗外の知性をあらためて描き出し、鷗外や明治文化への理解をいっそう進めたいと考えています。

 
 

ドイツ時代の恋人で「舞姫」エリスのモデル、エリーゼに与えた本Ein einfach Herz
(東京大学総合図書館・蔵)


森鷗外(もり・おうがい、1862-1922)
ガブリエーレ・ロセッティ(Gabriele Pasquale Giuseppe Rossetti, 1783-1854)
ダンテ・アリギエーリ(Dante Alighieri, 1265-1321)
ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(Dante Gabriel Rossetti, 1828-82)
本保義太郎(ほんぼ・ぎたろう、1875-1907)
杉田玄白(すぎた・げんぱく、1733-1817)
鷗外のドイツ留学は明治17(1884)年~明治21(1888)年
夏目漱石(なつめ・そうせき、1867-1916)
幸田露伴(こうだ・ろはん、1867-1947)
永井荷風(ながい・かふう、1879-1959)
萩原朔太郎(はぎわら・さくたろう、1886-1942)
エリーゼ・ヴィーゲルト(Elise Marie Caroline Wiegert, 1866-1953)
「渋江抽斎」は、大正5(1916)年に執筆・発表された、江戸時代の医官・儒学者である渋江抽斎の伝記

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