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細胞内輸送の解明にかける思い あらゆる実験手法を駆使して見えてきたモータータンパク質の働き

掲載日:2013年6月24日

電子顕微鏡観察から始まった細胞内輸送の研究は、今や記憶や学習のメカニズムを解明する手掛かりとして広がりを見せています。東京大学医学系研究科廣川研究室の自分たちの手で明らかにするという情熱と粘り強さが、世界を牽引する細胞内輸送の研究を可能にしています。

45種類ものモータータンパク質を発見

細胞は細胞液の入った風船のようなもので、その中に核やミトコンドリアなどの細胞小器官が漂っていると思われがちです。しかし、実際には、微小管というレールが整然と張り巡らされており、それに沿ってミトコンドリアや小胞(膜でできた袋)などの「荷物」が行き来しています。これを「細胞内輸送」といいます。

レールの上で荷物を運んでいるのは、小さなモータータンパク質です。「モータータンパク質が人間のサイズだとしたら、直径5mの土管の上を、10トントラックをかついで、秒速100m以上の速さで走っていることになります」と語るのは、医学研究科の廣川信隆特任教授。神経細胞をモデルとして、細胞内輸送のメカニズム解明に取り組んできました。

廣川特任教授の研究は、神経伝達の「現場」を見たいという思いから始まりました。その思いから1980年に完成させたのが、急速凍結法です。細胞を急速に凍らせることで、細胞の構造を壊さずに、ある瞬間の細胞の中のようすを固定し、電子顕微鏡で観察することが可能になりました。

「私は、モータータンパク質が細胞内でどのように存在しているかを見たかったのです。細胞の中を観察するために工夫を重ね、ついにモータータンパク質の姿をとらえることに成功しました」。こうして撮影されたのが、冒頭の写真です。モータータンパク質が微小管の上で、大きな荷物をかついでいるのがよくわかります。さらに廣川特任教授は、次のステップとしてモータータンパク質の物質レベルの研究を始めました。

その後1985年にアメリカの研究者たちが、神経細胞の細胞体から伸びる軸索の成分からモータータンパク質を取り出し、キネシンと名づけました。しかし、この研究は、細胞を破壊して行われたもので、モータータンパク質が実際に働いている現場を捉えたわけではありませんでした。

同じころ、別のグループによってダイニンというモータータンパク質も発見されました。キネシンは、微小管の上を細胞体から軸索の先端に向かって動き、ダイニンは逆向きに動きます。

「彼らは、両方向のモータータンパク質が見つかったことで満足してしまったようです。しかし、私は電子顕微鏡での観察から、さまざまな形のモータータンパク質があることに気づいていました」。そこで廣川特任教授は、軸索内の成分を調べるだけでなく、遺伝子の塩基配列を解析しようと考えました。ちょうど、ヒトやマウスのゲノム(すべての遺伝情報)が明らかになり始めたころでした。

神経細胞との中でさまざまな荷物を運ぶモータータンパク質

神経細胞との中でさまざまな荷物を運ぶモータータンパク質

現在では、ゲノムのなかから、ある決まった特徴をもつタンパク質の遺伝子を探すという手法は、ごく当たり前になっていますが、当時、コンピュータを駆使して遺伝子の塩基配列を調べる研究者は、まだ限られていました。廣川特任教授は次々にモータータンパク質を発見し、キネシンスーパーファミリー(KIF)と名づけました。その総数は45種類。これは、哺乳類のすべてのKIFです。

廣川研究室では、45種類のKIFのほとんどについて、積み荷は何か、積み荷をどのように認識して結合するのか、積み荷をどのようにして下ろすのか等を調べ、KIFそれぞれの「個性」を明らかにしてきています。こうした研究にはさまざまな研究手法が必要ですが、最先端の手法を採り入れ、さらには新しい手法を開発しながら、膨大な数の論文を発表してきました。ここではKIF17を例として、使われてきた手法と明らかになった事実を紹介しましょう。

荷物を積んだり降ろしたりするメカニズム

廣川研究室が遺伝子の配列からKIF17を発見したのは1997年のことでした。まずKIF17が大脳皮質の神経細胞の樹状突起に多く見られることや、KIF17が秒速1.2μmで、細胞体から樹状突起の先に向かって動くこと、積み荷がNMDA受容体(グルタミン酸の受容体の一種)を含む小胞であることが分かりました。

KIF17と小胞の膜にあるNR2B (NMDA受容体の一部)の結合のしくみ

KIF17と小胞の膜にあるNR2B (NMDA受容体の一部)の結合のしくみ

しかし、KIF17と積み荷の結合の詳細は不明でした。そこで、当時登場したばかりの「酵母ツーハイブリッド法」を用いて、タンパク質どうしの相互作用を調べたところ、mLin-10というタンパク質が結合していることがわかりました。実は、mLin-10が他の2つのタンパク質を介してNMDA受容体に結合していることがすでに報告されていました。そこで、KIF17がNMDA受容体に結合しているのではないかと廣川特任教授は考え、この仮説をマウスの体内で見事に実証しました。

それでは、目的地に着いたKIF17はどのようにして積み荷を降ろすのでしょうか? 廣川特任教授は、KIF17が積み荷と結合する部分に、リン酸化されやすいアミノ酸があることに気づきました。さらに、カルシウムイオンがあるとリン酸化を起こす、カルモジュリンキナーゼという酵素が樹状突起に存在し、KIF17に結合していることも見いだしました。そこで、蛍光タンパク質を利用して、KIF17とmLin-10の結合がどのように変化するかを調べたところ、リン酸化によりかい離することが確かめられました。

記憶・学習を左右するモータータンパク質

こうして、荷物を積んだり降ろしたりするメカニズムがわかりました。しかし、廣川特任教授の研究はさらに先へ進みます。「このメカニズムが、生物体内のどのような現象にかかわっているのかが知りたくなったのです」。

実は、KIF17が運ぶNMDA受容体は、脳内の情報伝達の場であるシナプスの表面で神経伝達物質を受け取るという、重要な働きをしています。

「細胞体の中でつくられたNMDA受容体がKIF17と結合して樹状突起の表面に運ばれ、そこでKIF17とかい離するのでしょう。それなら、記憶や学習という脳の高次機能にもKIF17が関係しているだろうと考えました」。さっそく、廣川特任教授は、KIF17を多くもつマウスをつくり、記憶・学習の能力を野生のマウスと比べてみました。

KIF17が積み荷を降ろすしくみ。小胞を運ぶKIF17にカルモジュリンが結合したところにカルシウムイオンがやってくると、カルモジュリンがKIF17のアミノ酸をリン酸化し、これによって積み荷が離れる。

KIF17が積み荷を降ろすしくみ。小胞を運ぶKIF17にカルモジュリンが結合したところにカルシウムイオンがやってくると、カルモジュリンがKIF17のアミノ酸をリン酸化し、これによって積み荷が離れる。

予想通り、KIF17を多くもつマウスは、野生のマウスより作業記憶も空間記憶も優れていました。驚くことに、積み荷であるNMDA受容体の量も増えていました。KIF17がNMDA受容体をどんどん運ぶと、神経細胞がNMDA受容体及びKIF17 をどんどんつくるという正のフィードバックが働いていたのです。「勉強すればするほど頭がよくなる」とよくいわれますが、マウスではこのことが実証されたわけです。KIF17を欠損するマウスでは、全く逆のことが起こることも明らかにしました。

「これまで、記憶や学習の研究では、シナプスの受容体や、電位を調節するイオンチャンネルなど、神経細胞の表面にあるものばかりが注目されていたのですが、実は、細胞内部の輸送も大きく効いていることがわかりました」と廣川特任教授は胸を張ります。

このほかにも、体の左右を決めるのにKIF3が重要な役割をしているという驚くべき発見や、KIF13Aが心配性になるかどうかに関係していること、KIF19Aが体内の細胞表面に生える繊毛の長さをコントロールしているという思いがけない発見など、細胞内輸送が個体レベルの現象に影響を与える例がいくつも見つかっています。

あらゆる実験を自分の研究室で

電子顕微鏡観察からスタートした細胞内輸送の研究は、知りたいことを調べるために最適な手法を次々に採り入れるという研究スタイルによって飛躍的に発展しました。1つの研究室で、電子顕微鏡観察、遺伝子配列解析、タンパク質相互作用解析、遺伝子改変マウスの作製、マウスの行動実験、X線結晶構造解析といった多彩な手法を使いこなせるところは、世界中にほかにはありません。廣川特任教授がこのようなスタイルをとる背景には、難題を解決したいというモチベーションをもつ人間が自分でやらなければ、きちんとした成果は得られないという思想があります。

モータータンパク質にはダイニンやミオシンもありますが、廣川研究室の奮闘によってKIFの研究が一番進んでいます。ほかのモータータンパク質の輸送メカニズムの研究をKIFがリードする形で、この分野の研究は発展してきたと言えるでしょう。また、KIFはあらゆる生命現象に深く関与しており、その研究分野のすそ野は国際的に大きく広がっています。「私の教え子たちは、私から学んだやり方でほかの研究対象に取り組んでいます」と廣川特任教授。その研究スタイルと研究への情熱は、蓄積されたさまざまな手法とともに、東大の中で、また、世界で受け継がれていくことでしょう。

廣川研究室の様子

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