本書は、1930年代のアメリカで書かれるようになった「ノワール小説」に関する評論集である。従来、ノワール小説は、主として犯罪者を主人公とした、アウトローの世界を描く大衆小説の1ジャンルにすぎないと見なされており、真剣な考察の対象とされてこなかったが、本書はそのジャンルの生成期に焦点をあて、その歴史的・文学的意義について分析している。
第I部は、本書全体の概論的な性格を持つ。そこではまず、ノワール小説の誕生が大恐慌の時代であったことに注目し、社会的弱者を描いたノワール文学が、そもそもは社会批判的な性格を持つジャンルであったことが強調されている。また、ノワール小説の物語構造が、主人公が (1) 閉塞した状況に置かれ、(2) そこからの脱出を望み、(3) それに失敗するというものであることが指摘され、その3つの点がそれぞれ、「リアリズム」「ロマンス」「悲劇」という (アメリカ) 文学的な問題を内に含むものであることが、さまざまな作品を例に検証されている。
第II部においては、より具体的な2つの議論を通して、ノワール小説というジャンルの特性をあぶり出すことが目指されている。「ノワール小説の可能性、あるいはフィルム・ノワール」では、ノワール小説を原作として1940年代に流行したフィルム・ノワールという映画ジャンルに注目し、小説と映画が相互に与えた影響を考察することによって、それぞれのジャンルの特徴が論じられている。「ファム・ファタール事件簿 - ハードボイルド探偵小説の詩学」においては、ノワール小説の一形態である「ハードボイルド探偵小説」の代表的作家達の作品を、とりわけそこにあらわれる「ファム・ファタール (宿命の女)」の扱われ方を通して比較考察し、ハードボイルド = ノワール小説の文学的可能性が探究されている。
第III部では、さらに焦点を絞り、ノワール文学の最重要作家ダシール・ハメットの諸作品が論じられる。それぞれの議論を通して、ハメットが単なる探偵小説作家ではなく、むしろ同時代のモダニズム文学と共振する文学的課題に、探偵小説というフォーマットを利用して接近していたことが論じられている。
第IV部は、主に第2次世界大戦までの時期に出版された初期ノワール小説を、年表という形で整理・紹介している。これまで長らく大衆小説というレッテルを貼られていたノワール小説は、重要な作品であっても未訳のものが多いが、そのような作品には特に解説を付すことにより、今後のノワール小説研究に資するものとなることが目指されている。
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 准教授 諏訪部 浩一 / 2016)
本の目次
黒い誘惑 - 初期ノワール小説について
II 黒の光芒
ノワール小説の可能性、あるいはフィルム・ノワール
ファム・ファタール事件簿 - ハードボイルド探偵小説の詩学
III 黒の先駆
『ガラスの鍵』- ノワールの先駆
成長する作家 -「『マルタの鷹』講義」補講
ハメットと文学
IV ノワール文学年表
あとがき