東京大学教員の著作を著者自らが語る広場

白い表紙にベージュのタイトル背景画

書籍名

ちくま新書 大人のためのメディア論講義

著者名

石田 英敬

判型など

256ページ、新書判

言語

日本語

発行年月日

2016年1月6日

ISBN コード

978-4-480-06871-2

出版社

筑摩書房

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大人のためのメディア論講義

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はじめに、三万年以上前のクロマニョン人たちの洞窟壁画にまで遡って先史時代のヒトはすでに「動画」を「見て」いたという、メディア問題の文明的起源が説かれる。
 
第1章では、プラトンの対話篇『パイドロス』やフロイトの「不思議のメモ帳」論を手掛かりに、知覚や記憶といったヒトの心の働きがメディア技術によって「外部化」されて、スマートフォンやiPadのようなメディア端末の「心の装置」と化していく、メディアの技術進化についての見取り図が示される。
 
著者はメディアとは「テクノロジーの文字」の問題だとする。ヒトが「文字」や「絵」を書く (描く) 時代から、フォノグラフやシネマトグラフなどのメディア機械も「文字」を書く (描く) 時代へ移行したときに、20世紀以降のメディア問題は生じた。映写機械が投影する毎秒数十の静止画像の一コマ一コマはヒトには見えないが、見えないことによって、逆に、ヒトには映像は「動いて」見える。人間には機械が読み書きする「テクノロジーの文字」が読めないが、人間には読めないことによって逆にメディアは「人間の意識」を生み出す。これが著者のいう「技術的無意識」の問題である。現代人の「意識生活」は、メディアの「技術的無意識」の上に成り立つようになったと説かれる。
 
著者は、「テクノロジーの文字」が書き取る「意識や意味の要素」を「記号」と呼び、メディア社会の到来にともなって、20世紀には著者が専攻している「記号論Semiotics, Semiology」という学問が興隆したことを説明する。
 
メディアの発達は「意識」を生産する「文化産業」をうみだした。20世紀にはハリウッド映画やテレビ、広告やマーケティングの技術によって「大衆の意識」を作り出すことが広まり、大衆の欲望を生み出して「消費を生産する」資本主義の時代が到来した。
 
20世紀のメディアの歴史は、前半の「アナログ革命」、後半の「デジタル革命」に大きく分かれる。
 
20世紀後半を通して進行した「デジタル革命」は、メディアがすべてコンピュータになる技術革新で、いまではすべてのメディアはコンピュータとなった。デジタル革命がもたらしたのが「情報産業社会」である。いまでは情報産業とテクノロジーによって人々の生活が囲い込まれ、情報・意識・生活の全体が管理されている。意識の時間を奪い合う「注意力の経済」によって、人びとの生活には「精神のエコロジー」の問題が起こっている。その解決のために、社会がメディア環境について反省的 (=再帰的) になる「メディア再帰社会」を著者は提唱している。
 
現代の情報化した文明を真に理解するためには、20世紀のアナログ革命とともに現れたソシュールやパースの「現代記号論」を超えて、コンピュータの思想的な設計図を作ったロックやライプニッツの時代の「バロック記号論」にまで遡って記号論をつくりなおすことが必要で、本書は著者が構想する「新しい <記号の学>」の導入という性格をもっている。
 

(紹介文執筆者: 総合文化研究科・教養学部 教授 石田 英敬 / 2016)

本の目次

第1章 メディアと "心の装置"
第2章 "テクノロジーの文字" と "技術的無意識"
第3章 現代資本主義と文化産業
第4章 メディアの "デジタル転回"
第5章 「注意力の経済」と「精神のエコロジー」
第6章 メディア再帰社会のために

関連情報

著者 blog:
http://nulptyxcom.blogspot.jp/2015_12_01_archive.html
 
書評等:
『読売新聞』(2016年2月14日朝刊)
『朝日新聞』(2016年2月14日朝刊)
『日本経済新聞』(2016年3月20日朝刊)
『週刊東京経済』(2016年1月30日号)
『週刊新潮』(2016年2月25日号)
『週刊ポスト』(2016年3月25日号)
 

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