近年インターネット等の通信メディアのめざましい発達とともに、世界のグローバル化がめまいを起こしそうなスピードで進行している。それにともなって国や地域の境界が地理的にあいまいになってきたばかりか、影響が文化の領域にまで及びつつある。その一つの顕著な表れとして、文学では「世界文学」が意識されるようになってきた。
このような文学へのグローバルな関心の高まりの中で、『読み切り世界文学』は構想され、執筆された。これまで世界でどんなすばらしい文学作品が書かれてきたのか? それらはどのような内容なのか? 何が主要なテーマなのか? そしてとりわけ、現代に生きる我々にとってどのような意味を持っているのか? このような疑問に答えようというのが著者としての目論見である。
したがって、単にあらすじを紹介するだけの本ではない。現代の読者が過去の偉大な遺産に対してどのように向き合えばよいのかを問いかけ、その疑問に答えようとする本なのである。受け継がれてきた過去の遺産を、ほこりの堆積するがままにしておくのではなく、それを現代人にとって身近なものにし、新たに人生の糧になることを目指している。
それぞれの作品は、様々な着眼点から論じられている。例えば、サルトルの『嘔吐』の場合には、当然のことながら実存主義という哲学思想。メルヴィルの『白鯨』については、それがただの捕鯨の話にとどまらず象徴的に読まれるのはなぜかというのがポイントで、物語の姿かたちが分析される。『チャタレイ夫人の恋人』は、人間を動かすのは意識の表面ではなく、より動物的なレベルの肉体と大きな情緒のうねりであるというロレンスのラディカルな思想が、文体そのものによって表現されていることが論じられる。
例をあげればきりがないが、このように文体の分析、哲学や思想、物語論等々、文学を論じるための多種多様な分析の道具が、それぞれの作品に適した形で用いられ、しかも一般読者に理解されるよう虚仮おどしの晦渋な専門用語を排し、ていねいで、平易で、理路整然とした文章によって明快に説明されているのである。
この本は一般の読者にむけて書かれた本である。したがって、何よりもまず啓蒙的であろうとしている。そして、そのこと自体が文学研究についての私の強い主張そのものでもある。乱暴な言い方をするなら、文学はがいして世界に生きているふつうの人間や人生を素材として生み出されている。そして読者の側からいっても、文学作品を読み、さらにそれについて何かを知りたいと思うのも、ふつうの人びとであるはずだ。文学研究が、そのような声に応えようとしなくなったとき、それは文学研究の死を意味する。それは活力の源泉をみずから断ち切る行為であり、緩慢なる自殺にほかならない。
『読み切り世界文学』によって世間一般、そして学生諸君の世界の文学への関心がより一層高まることを願ってやまない。
(紹介文執筆者: 総合文化研究科・教養学部 教授 山本 史郎 / 2016)
本の目次
1 若きウェルテルの悩み -- ヴォルフガング・フォン・ゲーテ 13
2 グレート・ギャッツビー -- スコット・フィッツジェラルド 27
3 異邦人 -- アルベール・カミュ 41
4 嵐が丘 -- エミリー・ブロンテ 57
5 白鯨 -- ハーマン・メルヴィル 71
6 変身 -- フランツ・カフカ 87
7 ライ麦畑でつかまえて -- J.D.サリンジャー 101
8 嘔吐 -- ジャン=ポール・サルトル 117
9 黒猫・アッシャー家の崩壊 -- エドガー・アラン・ポー 133
10 百年の孤独 -- ガブリエル・ガルシア=マルケス 151
11 戦争と平和 -- レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ 171
12 チャタレイ夫人の恋人 -- D.H.ロレンス 189
13 ホビット -- J.R.R.トールキン 203
14 魔の山 -- トーマス・マン 217
15 老人と海 -- アーネスト・ヘミングウェイ 235
16 神曲 -- ダンテ・アリギエーリ 251
17 カラマーゾフの兄弟 -- フョードル・ドストエフスキー 271
18 レ・ミゼラブル -- ヴィクトール・ユーゴー 291