日本古代の喪葬儀礼と律令制
「儀式だから」「伝統だから」と言われ、理不尽だったり意味不明なことをさせられるのはよくあることだ。その最たるものは冠婚葬祭ではなかろうか。しかし実際に歴史史料に向き合ってみると、現代の我々が想像する「伝統」とは全く異なる世界が広がっていることに気がつく。惰性になる前の「儀式」には、それぞれに込められた思いがあったことにも。
本書では、日本古代における喪葬儀礼、つまり殯や弔問、葬列、埋葬、服喪、追善供養など、人の死をめぐる様々な儀式に注目した。とはいえ現代に残された史料はわずかで、まずは断片的な手がかりからその姿を復原していく作業が必要となる。その際にもっとも参考になるのが、実は国家の基本法典たる律令なのである。
日本律令は、先進国たる唐の律令を母法として生み出されたが、そこには「喪葬令」の篇目が含まれており、喪葬儀礼についての詳しい規定が記されている。立法者たちは、大方で唐令規定をそのまま移入しているが、わずかに日本の独自性を付け加えた部分も存在する。そこで日唐令を詳細に比較することで、立法者たちが構想した日本の律令国家のあり方を復原することができるのである。第一部ではそうした手法を基礎として、先進的な中国儀礼の導入と、天皇を頂点とする中央集権的な支配秩序の構築という、律令国家のめざしたものを読み取った。礼制を国家支配の基礎においていた中国に倣い、日本においても喪葬儀礼は国家形成において重要な役割を担わされていたのである。
ところで、喪葬令を含む令の規定は、日本令がほぼ現存しているのに対し、母法である唐令は散逸して残らない。そのため従来は、各種典籍に引用された逸文を集成することで、唐令を復原する試みが続けられてきた。ところが近年、北宋の法制史料「天聖令」が発見され、これが唐令復原に大いに役立つものとして注目されている。第二部では、この新発見史料を用いた新たな研究方法の可能性について論じた。
人が死ぬと、遺族や周囲の人々は「服喪」、つまり特殊な衣装に着替え、一定期間の謹慎生活を送ることになる。中国には古くから体系的な服喪規定が存在するが、実生活との兼ね合いから便宜的な運用がなされるなど、すでに複雑な様相を呈していた。それを律令制とともに受容した日本においては、当然のことながら混乱が生じることになる。第三部では、そうした混乱の中で露呈する、律令法の実効性の限界について指摘した。また本来は儒教思想にもとづく服喪が、追善仏事と結びついていく様相についても論じた。
皇室の葬儀など、厳粛な儀礼の様子を目にすると、あたかも古代から連綿と続けられてきた、日本固有のものであるかのように錯覚してしまう。しかし実際には、外部の影響を受けつつ、常に変化し続けるのが儀礼なのであり、また国家や社会のあり方なのである。そうした視角までをも本書から読み取ってもらえれば、望外の喜びである。
(紹介文執筆者: 史料編纂所 助教 稲田 奈津子 / 2016)
本の目次
第一部 律令国家の形成と喪葬儀礼
第一章 日本古代喪葬儀礼の特質 - 喪葬令からみた天皇と氏 -
第二章 喪葬令と礼の受容
第三章 律令官人と葬地 - 都城か本拠地か -
第四章 奈良時代の天皇喪葬儀礼 - 大唐元陵儀注の検討を通して -
第二部 天聖令の可能性
第一章 北宋天聖令による唐喪葬令復原研究の再検討 - 条文排列を中心に -
第二章 慶元条法事類と天聖令 - 唐令復原の新たな可能性に向けて -
第三部 服喪と追善
第一章 日本古代の服喪と喪葬令
第二章 日本古代の服喪と追善
第三章 奈良時代の忌日法会 - 光明皇太后の装束忌日御斎会司を中心に -
終 章 成果と課題
関連情報
身近なテーマを掘り下げることで、古代の歴史を見直す。| 史料編纂所 古代史料部 助教 稲田奈津子
https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/news/topics/topics_z0531_00019.html