本書は、中世後期の日本において特異な発達をとげた贈与経済の動向と、前後に類をみない高い譲渡性を示した債権の動向という、同時並行的におきた二つの現象の関係を解明し、そのことのもつ社会的、文化的、政治的意味について考察したものである。
中世後期 (14~15世紀) は日本史上、贈答儀礼がもっとも肥大化した時代であり、貨幣が贈答品に加わるようになったのもこの時代である。貨幣の贈答にさいしては、まず額面を記した目録を受贈者に手渡し、現金は後日送り届けるのが正式な作法であったが、まもなくこの目録が事実上の約束手形と化し、その手交から現金の引き渡しまでに数年を要した例や、目録 (受贈権) が第三者に譲渡された例、目録どうしが現金の授受なしに相殺された例なども確認されるようになる。
中世後期はまた、個人の借用書が金融業者のあいだで転々と売買されたり、割符 (さいふ) とよばれる額面10貫文 (60~100万円に相当) の高額な手形が遠隔地商人のあいだで流通するなど、債権が現代以上に高い譲渡性を示した時代でもあったが、本書では、上述の贈答目録の約束手形化もそれらと連動した動きであることを明らかにし、日本の歴史においては贈与経済と市場経済とがかなり早い段階から親和的な関係を築いていた事実を掘りおこした。
では債権が譲渡される社会とはどのような社会であろうか。債権・債務関係が人格に固着していると考える社会では債権の譲渡はおきない。それがおきるのは債権・債務関係が人格から切り離しうると考える社会においてであり、中世後期の日本はまさしくそのような社会であった。ところが16世紀に入ると日本社会は一転して債権の譲渡を認めない方向へ舵を切る。この時期に顔のみえない関係から顔のみえる関係へ、匿名的な関係から対面的な関係への回帰がいっせいにおきたことは明らかであり、換言すれば、いったん人格から遊離していた債権・債務関係や贈答関係がふたたび人格にもどってきて固着したのである。本書ではこの複雑な歴史的事象のもつ意味についても考察している。
贈与と権力の関係も本書の重要なテーマのひとつである。とくに15世紀の室町幕府は守護や禅宗寺院から献上される上納金や贈答品に財政的に大きく依存するようになり、本書ではこれを「贈与依存型財政」とよんでいるが、それが可能となるためには互酬性の原則という大きな壁を克服していなければならなかった。じつは室町幕府にかぎらず、多くの権力は、形成期には互酬性の原則に縛られて“気前の良さ”をみせるが、安定期に向かうにつれて、次第に互酬性の原則から解放され、“与える権力”から“受け取る権力”へと脱皮する傾向がある。本書ではこのメカニズムが税の成立や各時代の建築・美術の傾向にも大きな影響をおよぼしたことを指摘している。この理論は中世日本にかぎらず多くの国家や社会、文化の解析にも応用しうるものであろう。
(紹介文執筆者: 総合文化研究科・教養学部 教授 桜井 英治 / 2017)
本の目次
第一章 中世の贈与について
第二章 折紙銭と一五世紀の贈与経済
第三章 「御物」の経済―室町幕府財政における贈与と商業
第四章 宴会と権力
第五章 銭貨のダイナミズム―中世から近世へ
第六章 中世における物価の特性と消費者行動
第七章 精銭終末期の経済生活
第八章 借書の流通
終 章 中世における債権の性質をめぐって
関連情報
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五味文彦・書評エッセイ「室町時代の長年の謎に、卓抜な回答」
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