東京大学教員の著作を著者自らが語る広場

白い表紙に古い書体で書籍名

書籍名

大日本古文書 幕末外国関係文書之五十三 文久元年四月

判型など

432ページ、A5判

言語

日本語

発行年月日

2017年7月25日

ISBN コード

978-4-13-091453-6

出版社

東京大学出版会

出版社URL

書籍紹介ページ

学内図書館貸出状況(OPAC)

大日本古文書 幕末外国関係文書之五十三

英語版ページ指定

英語ページを見る

『幕末外国関係文書』は、江戸幕府と駐日外国代表との間の往復書翰や交渉記録を中心に、幕末外交に関わる国内史料および海外史料 (訳文) を収録する、史料集である。1910年 (明治43) に刊行が開始され、現在に至るまで史料編纂所で刊行を継続している。幕末の対外関係を取り扱う際に、もっとも基本的な素材となる大部の史料群を、編年により順次刊行する計画にもとづき、提供してきた。ペリー艦隊の来航時にまで遡って、明治以前の時期を対象とする外交史料集を編纂する計画は、明治期の外務省内で構想されていたが、幕末外交について史料集編纂・刊行を実現したのは東京大学での事業であり、同省から引き継いだ原史料 (外務省引継書類、史料編纂所所蔵) を駆使して、これまで研究がすすめられてきた。ほかにも長崎・箱館奉行所の書類、対馬藩宗家伝来の文書など、ひろく採訪調査の成果を盛りこんでおり、また海外諸国の文書館所蔵の外交・軍事関係史料も、訳文のかたちで多数収録している。近世日本では清やオランダとの通商関係のみならず、伝統的な日朝間の交渉 (対馬藩が介在している) が継続されていたが、安政の五か国条約締結以降ともなると、欧米諸国が条約関係の相手国として続々と登場してくる。19世紀中葉にあって、拡大をみせる自由貿易体制への半強制的な編入の過程とともに、条約列強との緊張にみちた対峙の関係がはじまるのが、この時代である。
 
本巻の収録範囲、文久元年 (1861) 4月前半では、最重要のトピックは二つある。まず「文久の遣欧使節団」として名高い、旗本の竹内保徳を正使とする幕府使節団の編成である。箱館奉行や勘定奉行を歴任した竹内は、外国奉行としてこの重責を担った。初めて欧州諸国を歴訪した幕府使節団だったが、随員として福沢諭吉・寺島宗則といった著名な人物が同行していたことでも知られる。当時の幕政の中心にあったのは安藤信行 (信正)・久世広周の両老中が主導した政権で、外交面では安藤老中の主導で条約各国を代表する駐箚公使らと交渉し、この使節の発遣も決定した。その最大の目的は、安政条約で規定されていた両都両港 (江戸・大坂ならびに兵庫・新潟港) の開市・開港について、延期を実現することであり、安藤・久世政権はこのため、着々と準備を進めていった。
 
第二は対露紛争の問題であり、ロシア海軍による対馬占拠事件への対応である。文久元年2月、ロシア皇帝の御前会議での裁可を得たリハチョフ大佐の指令に従い、ビリレフ艦長の指揮する艦隊が来航、対馬島の一角を占拠するという事件が起きた。この芋崎占拠は8月まで長引き、現地の対馬藩も幕府も対応に追われた。4月12日には対馬住民とロシア水兵が衝突し、遂に死者を出してしまう。外国奉行の現地派遣で収拾をはかる幕府、藩内で路線が分裂する宗家、英国に対抗して橋頭保確保を目指す露海軍、またそのロシアに協力していた再来日中のシーボルトと、それぞれに注目すべき動向を、収録した一次史料によって解明できる。幕末史の巨大な流れを、史料に即して追跡されてみてはいかがだろうか。
 

(紹介文執筆者: 史料編纂所 准教授 小野 将 / 2017)

本の目次

文久元年辛酉四月(西暦一八六一年) 一~一一〇号
日本政府各国代表団間往復書翰一覧
 

このページを読んだ人は、こんなページも見ています