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書籍名

ケアの実践とは何か 現象学からの質的研究アプローチ

著者名

西村 ユミ、 榊原 哲也 (共編著)

判型など

288ページ、四六判

言語

日本語

発行年月日

2017年9月30日

ISBN コード

9784779512001

出版社

ナカニシヤ出版

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ケアの実践とは何か

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本書は、看護を中心としつつも広く多様な「ケア」の営みに、質的なアプローチを行い、その豊かな実践の諸相を明らかにしようと試みた諸論考を収めた書物である。いわゆる「質的研究」にはいくつかの方法論があるが、本書では、質的研究の方法は、考察される事象そのものの方から定まってくるという立場がとられている。探求の方法が、探求される事象そのものの方から定まるという考え方は、第一部第1章「現象学と現象学的方法」で述べられるように、「現象学」という哲学本来の精神であるので、その意味では、本書に収められた多くの諸論考は、既存の現象学的哲学を参照していないものも含め、広い意味で、あるいは語の本来の意味で、「現象学的」なアプローチによってケアの実践の諸相を明らかにしたものと言うことができる。また、「現象学」という哲学は、経験の意味に着目し、それを改めて問い直し、普段は自覚していない意味経験の成り立ちを、記述分析によって明らかにしようとするが、第一部第2章「ケアの実践を記述すること/自らの視点に立ち帰ること」で述べられるように、本書第二部に収められた諸論文は、看護師や養護教諭などの「ケア」にかかわる実践者が、自らの実践、あるいは自らの専門領域の実践を改めて捉え直し、これまで自覚していなかった次元から、自己の実践にかかわる意味現象がいかに生み出されているのかを問い、実践の意味の成り立ちを開示しようと試みているので、その意味でも、これらの諸論考は「現象学的」な方法態度によるものだと言ってよい。
 
本書の構成は以下の通りである。
 
第一部ではまず、編者である榊原と西村によって、現象学的研究の方法論が明らかにされる。そもそも「現象学」とはどのような哲学なのか、また看護や広くケアに関する現象学的研究とはどのようなものなのかが明らかにされ(第1章)、さらに現象学的研究にとってその中心となる「記述」の営みがどのようなものであるのかについて、解説がなされる(第2章)。
 
続く第二部では、看護、助産、リハビリ、養護など多様なケアの営みの諸相が、広い意味で現象学的な方法態度において明らかにされる。ここに収められた諸論考の執筆者たちは全員、編者二人が講義や演習を通じて関わった立命館大学大学院応用人間科学研究科修士課程の修了者であり、寄せられた論考の多くは、修士論文をもとにしたものである。各論文についての解説は、第一部第2章で行われている。
 
第三部は、編者である西村と榊原が、それぞれの研究をベースにして、往復書簡のような「対話」を通して行った共同研究の一つの試みである。このような共同執筆は、看護研究においても現象学研究においてもほとんど前例がみられないが、そこでは、具体的な看護実践の構造が、フッサールの志向性概念を手がかりにして明らかにされるとともに、看護実践という事象そのものの方からフッサール現象学に新たな光が当てられており、「対話」という形で看護と現象学とが相互に学び合う新たな現象学的看護研究の形が示されている。すでに現象学的看護研究に馴染んでいる読者や、哲学としての現象学に関心をもつ読者には、興味深いだろう。
 

(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 教授 榊原 哲也 / 2018)

本の目次

まえがき(榊原哲也/西村ユミ)
 
第一章 現象学と現象学的研究(榊原哲也)
一 はじめに
二 疾病と病い
三 自然科学(医学)的なものの見方はどのような特徴をもつのか
四 体験(意味経験)と看護ケア
五 「意味」はどこから・いかにして生じてくるのか――「現象学」という哲学
六 フッサール――意識の志向性と態度
七 ハイデガー――現存在の気遣い
八 メルロ=ポンティ――身体的志向性
九 さまざまな現象学的看護研究
一〇 方法は「現象」そのものの方から

第二章 ケアの実践を記述すること/自らの視点に立ち帰ること(西村ユミ)
一 実践を問い直すこと
二 問いが生まれる
三 問いに応じる方法
四 個別の経験を捉え直す意義

第三章 ドナーをめぐる関係性の変容――生さぬ仲の生体肝移植(一宮茂子)
一 はじめに
二 先行研究から見た本研究の位置づけ
三 対象と方法
四 ドナーはどのようにして決まっていったのか
五 ドナーの経験がその後の生の営みに及ぼした影響
六 結びにかえて
七 本研究の意義と限界

第四章 助産師が語る「忘れることができない」ケアの経験(戸田千枝)
一 はじめに
二 方 法
三 結 果
四 考 察
五 まとめ

第五章 看護師の実践を支える経験――経験を積んだ看護師の語りを通して(籔内佳子)
一 看護師の職業継続と離職
二 長年経験を積んだ看護師の語り
三 看護師実践を支える構造
四 患者の存在に支えられる看護実践へ

第六章 統合失調症療養者の子をもつ親の体験――親自身が必要とする支援に関する一考察(田野中恭子)
一 はじめに
二 方 法
三 結 果
四 考 察
五 本研究の限界と課題
 
第七章 養護教諭のまなざし――メルロ=ポンティの身体論を手がかりに(大西淳子)
一 はじめに
二 養護教諭と保健室の歴史
三 研究の視点としての身体論
四 養護教諭の経験:語らないAさん
五 結 び――養護教諭のまなざし

第八章 看護の人間学――鈴木大拙の思想を通して(尾﨑雅子)
一 今、看護を見直す意味
二 ある老女との出会い
三 看護のうちに潜む矛盾
四 存在していること――虚と実
五 生きていること
六 共にある関係
七 看護再考――新たな看護のあり方に向けて

第九章 リハビリ看護試論――生の意味を問う(村井みや子)
一 はじめに
二 看護経験から見た医療の変遷
三 中途障害者の事例を通して生の意味を問う――中年男性の障害から「生」を考える
四 リハビリ看護の考察
五 おわりに

第十章 看護実践の構造――フッサールの志向性概念との対話(西村ユミ・榊原哲也)
一 はじめに
二 困ったけど困ってしまわない看護実践
三 「意志」と「行為」の現象学――フッサールに即して
四 看護実践の現象学
五 「私/私たちはできる」の身体化
六 看護実践からの現象学に向けて
七 おわりに
 
あとがき(西村ユミ/榊原哲也)

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