東京大学教員の著作を著者自らが語る広場

グレーの表紙に赤字でブックタイトル

書籍名

ナショナル・シネマの彼方にて 中国系移民の映画とナショナル・アイデンティティ

著者名

韓 燕麗

判型など

176ページ、A5判

言語

日本語

発行年月日

2014年4月30日

ISBN コード

9784771025233

出版社

晃洋書房

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ナショナル・シネマの彼方にて

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本書は、中国本土以外の場所に居住する中国系移民によって製作された中国語映画を研究対象としている。これらの映画は、映画の前に国名を冠するいかなるナショナル・シネマの枠組みにも収まらないもので、いわば <中国映画> とは呼ばれない <中国語映画> である。たとえば1933年に、5歳の時に渡米した中国系移民のジョセフ・チョウという人が、サンフランシスコでGrandview Film Companyという映画会社を設立させた。以降1948年ごろまで、30数本の中国語映画がアメリカの地で移民たちによって製作された。これらの「無国籍映画」映画について、私が調べている。
 
現在の映画研究では、国籍を指標として映画を分類し批評するのが、主流であろう。しかし、個々の国を単位とする映画研究のアプローチでは、もはや把握しきれない映画史の問題が存在している。トーキー映画が中国国内で大きな人気を博した1930年代初頭から、アメリカや東南アジアなど中国大陸以外の場所においても、中国系移民たちが自らの母国語を使って異郷の地で映画を作り始めていた。海外製作されたこれらの中国語映画は、ただ単に中国系移民の郷愁を癒すエンターテイメントだけではなかった。移民たちの映画はコミュニティのなかに存在していたさまざまなエスニック共同体を均質化させていくと同時に、観客を感情的に結束させる力も持っていたのである。
 
映画を通じて移民のアイデンティティが変容する過程を探ってきたが、その考察は、海外で暮らしている私自身にとっての内省の旅でもあった。中国で生まれ育ち、中国語による教育を受けた漢民族の中国人である私は、もしも日本で暮らす機会を得られずにずっと中国本土で生活を送っていたら、「中国文化・中国語・中国国籍」の三位一体の構造が一致した「中国人マジョリティ」として、その保護下にない中国系移民の現実を想像できないまま、一生を終えることになったのだろう。中国と日本のあいだを「越境」することによって、「中国人」と自ら名乗る意味を再考する機会が与えられたのである。
 
グローバルか進行し、お金・情報が国境を越えてますます流動化しつつあるなかで、複数の文化や社会の境界に生きなければならない人間はますます増えることであろう。移動の時代に生を受けたわれわれは、中央集権的な国民アイデンティティへの同化に埋没されない「個」としての生き方を模索する機会をついに手に入れた。半世紀前における中国系移民のアイデンティティは、「国民」としての自己同一性を超えたあり方を模索する現代のわれわれに、新たなアイデンティティを把握するための座標軸を提供してくれているのである。
 

(紹介文執筆者: 総合文化研究科・教養学部 准教授 韓 燕麗 / 2018)

本の目次

  序  章  “中国映画”と呼ばれない“中国語映画”
第I部  戦中編―華僑アイデンティティの構築
  第一章  香港における広東語映画と国民統合の問題
  第二章  在米中国系移民の映画と華僑意識の構築
第II部  終戦編―動揺するアイデンティティ
  第一章  華僑からチャイニーズ・アメリカンへ
  第二章  香港製の「国産映画」と二種の「中国国民」
第III部  戦後編―かりそめの土地が故郷になるとき
  第一章  香港「国片」と変貌する母の表象
  第二章  電懋映画から見る香港人意識の形成
  第三章  一九六〇年代のマレー半島における中国語映画の製作
  終   章  インディペンデント・チャイニーズへ
 

関連情報

書評:
四方田 犬彦 評「従来の香港映画神話を覆す、きわめて興味深い書物」(週間読書人  2014年5月30日)
http://www.koyoshobo.co.jp/files/shohyo/2523-3.pdf
 

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