東京大学教員の著作を著者自らが語る広場

香港の写真が斜めにレイアウトされた表紙

書籍名

エリア・スタディーズ 香港を知るための60章

著者名

吉川 雅之、 倉田 徹 (編著)

判型など

400ページ、四六判

言語

日本語

発行年月日

2016年3月25日

ISBN コード

9784750342535

出版社

明石書店

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香港を知るための60章

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本書は『現代アメリカ社会を知るための60章』(1998年11月刊) に始まる明石書店のエリア・スタディーズの第142冊として刊行された。本シリーズは特定の国家や地域、もしくは民族や機構を理解するに当たっての啓蒙書として企画されており、大学生を主要な読者層の一つに想定している。香港を対象に掲げた本書の役割もそれに準じたものとなっているが、コラムでマカオ (澳門) についても言及することで、その近況についても把握できるよう配慮した。
 
香港に関する書籍は、日本では香港の主権の英国から中華人民共和国への委譲 (1997年7月1日) を跨ぐ1990年代に多く刊行された。いわゆる「香港返還」に乗じたブームである。21世紀に入りブームが去ると、日本社会の香港に対する視線は「忘却」という語を以て評されるが如く、数年に一度香港社会が揺れ動いた時に一瞥を投げるという程度にまで低調になった。日本社会をして香港を追憶から喚起せしめたのは、2003年の新型肺炎SARS流行に伴う社会混乱と経済後退、同年の香港基本法23条 (いわゆる国家安全条例) 立法に反対する大規模デモ、2012年の「徳育及国民教育科」(いわゆる愛国科目) 導入に反対する大規模デモ、程度ではなかったか。だが、この「忘却」は「香港の中国化」や「競合する国・地域の地位上昇」のみに起因するものでもないように思われる。
 
「まえがき」で述べているように、本書は「最も多くの分野や事象から高密度な国際都市──香港を総合的に語る21世紀最初の試み」である。本書の内容が歴史・地理・人口・政治・法・経済・社会・メディア・教育・言語・文化と多岐にわたるのは、この重層的であり、多元的であり、多面的である国際都市を描き出すために何が必要かを象徴していよう。相異なる複数の学術分野・領域から香港を論じた書籍として日本では約20年ぶりであるだけでなく、巻末に参考文献リスト、年表、固有名詞対照表を設けるなど利便性を高めた指南ともなっている。身近な存在であるが故にステレオタイプに陥りがちな認識を問い直し、多角的な視点に立脚して新たな香港像を構築する役割を自負している。
 
周知のとおり、中華人民共和国の一特別行政区として香港は艱難な歴史を歩んでいる。行政長官を選出する民主的制度を求めた学生・市民による2014年10月の大規模な市民運動──雨傘運動──は、香港政府の譲歩無き鎮圧のまえに挫折したかに見えた。しかし、政府の強硬な態度は若年層を中心とする香港人の思潮を予想せぬ方向へと加速させた。「本土」や「自決」という語を掲げ、中華人民共和国からの独立を志向する新興の政治集団が台頭し、社会の分断が進行しつつある。そのため、昨今の情勢は変化の速度を増し、研究者であってもその行き着く先の予見が困難になりつつある。細心の注意を以て凝視し続けなければ、現代香港の軌跡を見失いかねない。果たして、本書の刊行後僅か1年半の間に政治面では様々な事件が起きた。そして、今なお起きつつある。本書の執筆者には若手研究者が多く起用されたが、彼らには現在の政治・社会状況に対する危機感のみならず、学術対象として香港を扱うことの重責感が共有されている。
 
香港では分野や主題毎に歴史を回顧する書籍の刊行が1990年代後半以来相次いでいる。自らの「歴史」に目覚めた香港人が今後どの様に社会と関わっていくのか。一方で、日本は雨傘運動の挫折と共に再び香港を忘却しようとしているとの批判も有る。そのような中で、本書は今後の香港を占う基点ともなるに違いない。
 

(紹介文執筆者: 総合文化研究科・教養学部 准教授 吉川 雅之 / 2017)

本の目次

まえがき──高密度な国際都市「香港」へのいざない
 
歴史・地理・人口
  第1章 歴史 (初期の香港) ──「香港」成立以前の歴史
  第2章 歴史 (近代の香港) ──自由貿易港の生成と発展
  第3章 歴史 (日本占領期) ──「ブラック・クリスマス」と「3年8カ月の苦難」
  第4章 歴史 (戦後の香港) ──アジアの昇り龍
  第5章 歴史 (中国への返還) ──「一国二制度」の実践へ
  第6章 地名──類型と改変から見る香港史の多層性
  第7章 人口構成と人口動態──少子、高齢、中国からの流入
  【コラム1】マカオ──珠江デルタのもう一つの繁栄都市
 
II  政治と法
  第8章 香港基本法──「一国二制度」の法制度化
  第9章 政治システム──「行政主導」の理想と現実
  第10章 民主化──デモクラシーか、中国式民主か
  【コラム2】雨傘運動とデモ文化
  第11章 「五十年不変」──次なる「借りた時間」の期限へ
  第12章 報道の自由──圧力と抵抗と
  第13章 返還後の「香港人」アイデンティティの展開──大陸との関係で揺れ動く住民感情
  第14章 法と裁判──アジアのなかのコモン・ロー
  第15章 国籍──香港をめぐる国際関係と国籍ショッピング
 
III  経済と社会
  第16章 戦後経済史──中国経済の開・閉・開と産業構造の変遷
  第17章 金融システム──上海には代替できない国際金融センター機能
  【コラム3】「丁蟹効応」(Adam Cheng Effect) の呪い
  第18章 財政・税制・土地制度──なぜ低税率が可能なのか
  第19章 不動産市場の構造と住宅事情──なぜ持ち家比率が上がらないのか?
  第20章 社会保障制度──民間委託の間接統治とその限界
  第21章 産業構造と労働市場──社会変動を映す鏡
  第22章 財閥および財界──「官商勾結」(政財癒着) と制限された「自由」
  第23章 黒社会 (三合会) ──警察による摘発
  第24章 公共交通──香港鉄道路線略史
  第25章 家族──その多様性と合理性
 
IV 多様性とネットワーク
  第26章 香港の地位──「サブ主権」か、中国の一部か
  第27章 大陸との関係──融合と摩擦
  第28章 華僑が織りなす近現代史──過去から現在へ
  第29章 対外関係──アジアの国際都市として
  第30章 日本との関係──歴史問題と文化の受容と
  【コラム4】日本文化の受容
  【コラム5】日本語教育──現状と展望
  第31章 「落地生根」の歴史──終わりの見えない中港矛盾の狭間で
  第32章 香港のイスラーム──古くて新しい、もう一つのシルクロード
  第33章 少数民族──国際都市の欠かせないメンバーたち
  【コラム6】港女 (香港女子)
  第34章 日本人コミュニティ──転勤する人・定住する人
  第35章 客家人と潮州人──中国系香港人のサブエスニシティ―
  第36章 水上社会の歴史的変遷──蔑視された文化から新たな観光資源へ
 
V メディア・教育・言語
  第37章 テクノロジー──商業都市における技術発展
  第38章 戦前教育史──19世紀後半の英語学習と西学東漸
  第39章 戦後教育史──香港のデキる女たちのあゆみ
  第40章 幼児・初等教育──とにかく子どもを良い幼稚園、良い学校に
  第41章 中学・高校の制度改革──英文中学・中文中学
  第42章 大学──世界ランキングで優勢なのは、なぜか?
  第43章 英語教育──その原動力と歪み
  第44章 言語種と言語使用──言語の勢力変化がもたらしたパラドックス
  第45章 書記言語と文字表記──母語で書くことを可能にしたもの
  【コラム7】マカオの言語──パトゥア語-甘い言葉
  【コラム8】手話──ろう者のアイデンティティ
 
VI 文化
  第46章 キリスト教 (カトリック) ──奉仕し、発言する香港カトリック
  第47章 キリスト教 (プロテスタント) ──中港矛盾に揺れるプロテスタント
  第48章 道教・仏教・儒教──東西文化交流のなかに生きる中国の三大宗教
  第49章 冠婚葬祭──伝統を受け継ぎ、適応し、今に伝わる儀礼の習俗
  第50章 民間信仰──人々の生活に根付く伝統
  第51章 寄付文化──社会に与えられたものは社会に
  第52章 日本食──手の届くぜいたく
  第53章 古典文学の発展と教育──価値未確認のジャンル
  第54章 現代文学──忘れられがちなもう一つの文学史
  第55章 映画──「中国映画」との境界線
  第56章 粤劇と南音──広東民間の遺風
  第57章 舞台芸術──官・民・学の共有財産となった演劇
  第58章 ラジオ放送──香港人の心の声が聞こえるマスメディア
  第59章 漫画とアニメ──補完関係のサブカルチャー
  第60章 サブカルチャー──日本のポップカルチャー受容
  【コラム9】賭博と言語文化
  【コラム10】トレッキング
 
あとがき──変わり続ける香港
香港を知るための参考文献
香港関連年表
固有名詞対照表 (繁体中文・英文・日本語)
 

関連情報

<アジ研的本棚 -Book review->吉川雅之・倉田 徹 編著『香港を知るための60章』/ 大橋健一 (『なじまぁ』No.7, p.20 / 2017年3月31日発行)
http://www.rikkyo.ac.jp/research/institute/caas/book_na.html
 

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