2017年にパリで出版された本書は、ニース大学の Jacques Domenech 教授を中心に、パリ高等師範学校の Béatrice Didier、バスク大学の Lydia Vázquez、ナント大学の Gerhardt Stengerと筆者が編集委員となって刊行したもので、18世紀フランスの作家で『百科全書』の編者でも有名なディドロの小説『運命論者ジャックとその主人』をめぐる多数の論考からなっています。
作家自身、恋人のソフィー宛の手紙で、鬱々たる気分を晴れやかにするための処方として、スカロンの『滑稽旅役者物語』とセルバンテスの『ドン・キホーテ』とラブレーの作品から適切な箇所を選び、『運命論者ジャックとその主人』とプレヴォ作『マノン・レスコー』を適宜溶かした飲料に混ぜて飲みなさいと勧めているように、この小説は読者の精神状態を上向きにするにふさわしい作品でした。
本書ではこの手紙に挙げられているラブレーの作品とディドロの関係が取り上げられ、両者の共通点がどこにあったのかが論じられていますし、セルバンテスとディドロにおける作品創造の特徴、読者との関係、アイロニーの表現方法なども論じられています。それ以外に、ジュアノット・マルトゥレイ作『ティラン・ロ・ブラン』とディドロとの親近性が強調されたり、ニコラ・フロマジェ作『マホメットの従兄弟』がディドロ、ヴォルテール、ラクロへとつながる多様な要素を含むことが指摘されたりしていて、皮相な文学史の知識だけではわからない内容を教えられます。狭義の文学だけでなく、この小説と医学と外科学との関連を取り上げた論文も収められていますし、自由の問題をめぐる哲学的な論考を展開している著者もいますから、様々な方向に読書の幅を広げていくためのきっかけになることでしょう。ディドロが1784年に没した10年後に『運命論者ジャックとその主人』の初版が刊行された際にネジョンがつけた序文が再録されていますから、ディドロの弟子、崇拝者であったネジョンがどう師匠を理解し、何を強調していたかを再検討することもできるでしょう。
『運命論者ジャックとその主人』自体の理解を精緻にする努力も当然ながらこの論集には見られます。筆者は、この小説で使われている表現 tour de tête に注目しました。男性名詞 tour は有名な自転車競走トゥール・ド・フランスの名称に含まれていることでわかるとおり、「1周」、「周囲 (の長さ)」などの意味をもっていますから、tour de tête の意味は「頭のサイズ、頭囲」であると『フランス語宝典』では説明され、1900年の用例が挙がっています。しかし、この意味はそれ以前にはあまり通用していなかったようで、18~19世紀には「頭の形態」あるいは「頭の動き」の意味で使われた用例が見つかります。ディドロはさらに、彼独自の意味をこの表現に与えているというのが筆者の仮説です。
このように本書は、『運命論者ジャックとその主人』を詳しく読み直し、そこから多様な方向に関心を広げていく出発点になることでしょう。
(紹介文執筆者: 総合文化研究科・教養学部 教授 松村 剛 / 2019)
本の目次
Eugenio Scalfari, Umberto Eco parmi nous..., hommage
Umberto Eco, La force du sens commun
Jacques Domenech, Sur l’introduction des Œuvres complètes de Diderot. Hommage à Michel Butor
Jean Deprun, Diderot devant l’idéalisme
Béatrice Didier, De la dive bouteille à la gourde de Jacques
Joanot Martorell, Histoire du grand chevalier Tirant le Blanc (extrait) avec un préambule et une conclusion de Jacques Domenech
Lydia Vázquez, Jacques, un anti-Quichotte
Jacques Domenech, Parisien l’Écolier – devenu Cousin de Mahomet – et Jacques : libertinage atypique, gaillardise et sentiment
Jacques Domenech, Hommage à Michel Butor, Des Bijoux Indiscrets à l’Encyclopédie
Takeshi Matsumura, Le tour de tête fataliste de Jacques
Samuel Macaigne, Médecine, médecins et chirurgiens dans Jacques le Fataliste
Gerhardt Stenger, Le fatalisme de Diderot
Françoise Salvan-Renucci, « au hasard de ma route entre deux quais de gare » : regard sur le parallèle entre Jacques le Fataliste et le discours poétique des chansons de Hubert-Félix Thiéfaine
Jacques Domenech, Avant-propos à la Préface de l’édition originale posthume de Jacques le Fataliste, 1794
Jacques André Naigeon, Préface à l’édition originale posthume de Jacques le Fataliste, 1794
Jacques Domenech, Conclusion