日本史を彩る100人を取り上げる「日本史リブレット人」シリーズ全100冊のうちの1冊。室町幕府初代将軍である足利尊氏と、その弟で政権を担った足利直義、14世紀前半に生きたふたりを取り上げる。
足利尊氏は、弟直義と対立的に理解されることが多い。政治の実務は直義が担った。尊氏は、武士への恩賞給与など、武家の棟梁として果たすべき最小限の責務を果たしていた。しかし、室町幕府設立から13年ほどのち、直義は、兄尊氏を支える人々と政治的に対立するにいたる。直義は、失脚と復活を短期間で繰り返したのち、尊氏軍の攻撃に敗走して鎌倉で死去する。この直義晚年の印象が強いため、尊氏と直義は競合する存在として理解されることが多いのだろう。
しかし、対立が表面化するまでの間、京都周辺は、南朝方との対立という状況にもかかわらず、思いのほか平穏を保っていた。尊氏と直義は、政権を安定させるべく、互いを尊重しながら共同して政権を運営していた。そこで、本書では、ふたりの生涯を追いながらも、よく知られる室町幕府設立期、およびふたりの対立の様子は略述するにとどめ、その中間期にみられる、ふたりによる共同統治を分析することに努めた。
共同統治の課題として、政権担当者としての正当性の確立という点に注目した。足利氏は、由緒正しい血筋とはいえ、鎌倉幕府のもとでは、御家人の一員に過ぎなかった。武家の棟梁、将軍としての地位を確立し、武家政権を担うべき存在と認知されるために、尊氏、直義、そして二人を支える人々は苦心したに違いない。
正当性を主張する根拠として、源氏の嫡流であること、すなわち頼朝の後継者であること、そして鎌倉時代の実権者である北条氏、さらには建武政権を担った後醍醐天皇の後継者であること、などが挙げられる。そこで、尊氏らが頼朝・北条氏・後醍醐天皇の追善 (死後仏事) を担い、後継者としての示威を行ったこと、尊氏は頼朝の後継者であるという主張が多様な場面でなされたこと、足利氏は源氏の嫡流であるという主張が、先祖からの伝承に仮託され、あるいは神仏の付託というかたちで、さまざまな言説として登場していたこと、などを分析している。
さて、尊氏、直義の個性を論ずる場合、尊氏にしばしばマイナス思考がみられることが注目される。尊氏が政治の表舞台に立たなかったことをこの性向と関連付けて理解することも多い。ただ、尊氏は思慮のうえでそのように振る舞ったのではなかったか、という疑念は拭えず、尊氏の政権構想はなお検討が必要だと考える。
最後に、尊氏・直義が、死後に子孫たちにどのように扱われたのか、を検討した。尊氏・直義の施策は、足利義満以降にあまり継承されず、権威確立の努力も、新たな段階に移行してしまう。その理由は多様に想定されるけれども、排斥する結果となった直義という存在を、足利氏の中で反主流として位置付け、忘却すべきものとして封印する、という意識があったであろうことを指摘している。
(紹介文執筆者: 史料編纂所 教授 山家 浩樹 / 2019)
本の目次
1. 生誕から政権樹立まで
2. 足利氏権威の向上
3. 政策とそれぞれの個性
4. ふたりの対立とその後
5. ふたりの死後
関連情報
本郷恵子 (中世史学者 東京大教授) 評「幕府草創期の内実に光」 (『読売新聞』 2018年4月8日)
https://www.yomiuri.co.jp/culture/book/review/20180409-OYT8T50012/