東京大学教員の著作を著者自らが語る広場

深緑の表紙に古典の写真

書籍名

「国書」の起源 近代日本の古典編成

判型など

240ページ、A5判

言語

日本語

発行年月日

2019年9月6日

ISBN コード

9784788516441

出版社

新曜社

出版社URL

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「国書」の起源

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品田悦一氏との共著『「国書」の起源 近代日本の古典編成』は、「おわりに」の冒頭に氏が書いているように、「令和」という年号を定めるにあたって『万葉集』を「国書」だとした当時の安倍首相の談話がきっかけとなって、氏から企画をもちかけられたものだった。
 
じつのところ、本書に収められた私の論考は、必ずしも「国書」をキーワードに書かれたものではない。むしろ安倍元首相が「国書」でないものとして念頭にあったはずの「漢籍」を学ぶ「漢学」、そしてそれを基礎とする「漢文」、さらにそこから生まれた「近代訓読体」を主題としている。
 
しかし「国書」がまさに大量の「漢籍」の中で、そうではないものとして初めて輪郭づけられるものであったことを見るなら、近代における「漢学」や「漢文」について考えることは、やはり「「国書」の起源」を明らかにすることになる。まして、「令和」がもとづいた文章がやはり「漢文」であり、明治という国家に君臨した天皇の詔勅が「漢文」を参照軸とする文体であったことを確認すれば、二十一世紀になってなお「国書」なることばがことさらに振り回されたことの不毛さ──胡乱さと言うべきか──が浮かび上がる。「国」と「漢」を対立的にとらえ、「漢」を排除することで「国」を建てようとする考えに、なぜいまだに囚われるのだろう。
 
さて、この本の原型は、明治十五年から二十一年まで東京大学文学部に設置された古典講習科についての資料調査と研究に端を発している。全体の三分の一は、東京大学文書館に所蔵される東大と文部省との間の文書を影印した資料集であり、もとは学内プロジェクトの報告書として作られたものであった。古典講習科については、それまでも注目する研究者がいなかったわけではない。ただ、その設立の経緯は帝国憲法制定の動きと関連して見るべきだという論点は、この研究の過程で生まれたものであった。
 
端的に言えば、憲法は国家の理念と体制を文章によって示したものである。当時の東京大学は英語による教育を主としていたが、憲法は英語で書かれるのではない。「国体」は日本語で書かれねばならなかった。だが近代初頭にあって、規範となるべき文章語はなお形成途上である。国学者と漢学者は、呉越同舟といった面はありながら、国家の文章のリソースとして和漢の古典を学ぶカリキュラムを作り、国家体制の確立を「文」という立場から支えたのである。ついでに言えば、西欧の概念を多く漢語として翻訳したことも、近代における文章のリソースとしての古典の拡張として考えることができよう。
 
文系の学問──とくに文学部のそれ──は役に立たないという議論を目にすることがある。古典など毒にも薬にもならないと言われかねない。だが歴史を顧みれば、話は逆である。毒にせよ薬にせよ、むしろ役に立ちすぎる。この本は、その一端を知る手だてともなるだろう。
 

(紹介文執筆者: 人文社会系研究科・文学部 教授 齋藤 希史 / 2021)

本の目次

はじめに
第一章 国学と国文学──東京大学古典講習科の歴史的性格 (品田悦一)
第二章 漢学の岐路――古典講習科漢書課の位置 (齋藤希史)
第三章 漢文とアジア――岡本監輔の軌跡と企て (齋藤希史)
第四章 国民文学史の編纂――芳賀矢一の戦略と実績 (品田悦一)
第五章 国家の文体──近代訓読体の誕生 (齋藤希史)
第六章 『万葉集』の近代──百三十年の総括と展望 (品田悦一)
関連資料集
おわりに
初出一覧
事項索引
人名索引

関連情報

書籍紹介:
徳盛 誠 <本の棚> (『教養学部報』616号 2020年2月3日)
https://www.c.u-tokyo.ac.jp/info/about/booklet-gazette/bulletin/616/open/616-06-2.html

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