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車椅子と遊ぶ子供たちのセピアカラーの写真

書籍名

障害児の共生教育運動 養護学校義務化反対をめぐる教育思想

判型など

352ページ、A5判

言語

日本語

発行年月日

2019年11月25日

ISBN コード

978-4-13-051347-0

出版社

東京大学出版会

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障害児の共生教育運動

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現在、日本の学校教育では、毎年、特別支援教育対象児童生徒が小中学校の平均で約8%ずつ増えている。障害者権利条約が批准され、すべての子どもたちが地域の学校の通常教室で学ぶことが理想として掲げられているにも拘わらず、この10年、増え続けている。
 
それはなぜなのか、そのような教育の体制はいつ頃から出来上がったのか、を大学院のゼミで検討している中で、私たちのゼミでは、1979年養護学校義務化の実現と、その実現過程での反対運動に注目することになった。
 
1979年以前においては、「重度障害児」を中心として、保護者の就学義務が免除・または猶予されている子どもたちが存在した。そのため、1979年を共生社会の実現の一歩として当時捉えられていたし、また教育史でも完全就学の実現という意味での近代教育制度の完成として捉えられることが多かった。ただし養護学校義務化とセットで、「発達」の程度によって養護学校へと強制的に措置する制度が当時導入されており、従来は地域の通常学校・通常教室に通えていた子どもたちが、逆に本人や親の希望に反して、養護学校への就学を事実上強制されるという事態が出現していた。そしてそのような事態において、養護学校義務化反対運動が各地で展開されていたのである。
 
そのような反対運動は、養護学校義務化を肯定的に捉える教育史研究の中で、ほぼ見過ごされてきた出来事だった。
 
その養護学校義務化反対の主張を一つ一つ丁寧に調査し、論文にまとめていったのが本書である。幸運なことに、当時の運動に携わった方はほとんどご存命であり、聞き取り調査も行うことができた。いわば歴史の中に埋もれていたひとつひとつの運動を掘り起こす中で、彼らが反対の主張の中で述べていたことは、決して過去のものではなく、今に通じるものであることに驚きを感じることになった。
 
一人だけ、反対運動当事者の声を引用してみよう。脳性マヒ者で、28歳で小学校への就学を自身で主張して闘った八木下浩一は、養護学校に反対する理由を次のように述べていた。
 
養護学校の一番悪いところは障害者がいじめられないということだと思う。(編著48頁)
 
これだけ読むと奇異に聞こえてしまうかもしれないが、八木下は、人間であれば、「みんなと一緒の街に住んで」、悲しいときには泣き、うれしい時には喜び、「時には誰かとケンカ」して生きていくことが「あたりまえのこと」だという考えの下で、その「あたりまえ」の人間関係が、養護学校に強制的に措置されることで奪われてしまうことを批判していたのだ。
 
いわばテスト学力を向上させるためだけであれば「発達」の程度に即して学びの場を分けることは効率的かもしれない。しかし、人として生きることを学ぶ場が学校なのであれば、障害の種類や程度にあわせて学ぶ場を分けてしまえば、「ともに生きる」体験を奪われてしまう、そう八木下は告発していた。
 
現代の学校もまた、学力向上を至上命題とし、発達の程度に即して学びの場を組織しようとしている。学力向上に熱心になればなるほど、多くの子どもたちの「発達」が問題化されてしまっている。
 
現代の学校教育の問題はどこにあるのか、さらに現在の学校教育において見失われた価値は何なのかを考える上で、ぜひ多くの読者に本書をお読みいただきたい。

 

(紹介文執筆者: 教育学研究科・教育学部 教授 小国 喜弘 / 2021)

本の目次

序 章 養護学校義務化反対運動が提起したこと(小国喜弘)
 第一節 問題の所在――普通学校における排除と「共生」の模索
 第二節 先行研究の状況と本書の課題
 第三節 本書の構成

第1章 障害児教育における包摂と排除――共生教育運動を分析するために(小国喜弘)
 第一節 戦後における障害児教育の本格的始動 
 第二節 障害者施設の充実と隔離
 第三節 日本における能力主義教育政策の展開
 第四節 全障研と全障連の対立
 第五節 養護学校義務化における包摂と排除

第I部 「共生」の教育を求めて

第2章 大規模施設も養護学校もいらない――八木下浩一・「街に生きる」意味と就学運動(小国喜弘)
 第一節 就学運動の始まり
 第二節 福祉施設・養護学校への拒否感情と「街に生きる」こと
 第三節 学校体験と能力主義の壁
 第四節 養護学校義務化阻止闘争――闘争の経緯
 第五節 障害の「地域モデル」へ
 第六節 改めて「街」に生きること

第3章 なぜ「分けない」ことが大事なのか――公立中学校特殊学級教師・北村小夜の闘い(渡邊真之)
 第一節 共生教育運動を支えた教師たち
 第二節 一緒がいいならなぜ分けた――特殊学級と交流教育の間違いに気づく
 第三節 「普通」を問う――特殊学級から学校と社会を問い直す
 第四節 「分けない」思想の現代的意義

第4章 「障害児」は存在しない!――がっこの会による就学時健康診断反対闘争(高橋沙希)
 第一節 「〈自閉症児〉は存在するのか」
 第二節 「就学児診断はさぼってしまいましょう」
 第三節 「おしっこはできないけどただの子です」
 第四節 「学校を見限る」 
 第五節 いま,再び問い直す――がっこの会が提起したこと

第5章 「せめぎ合う共生」を求めて――子供問題研究会における「生き合う」関係(中田圭吾)
 第一節 「子供問題研究会」の誕生――親の絶望からのスタート
 第二節 「専門家幻想」に抗って「ずぶとく賢い親に……」
 第三節 共生の原イメージとしての「せめぎ合う共生」
 第四節 子問研の授業観 
 第五節 今,原点に立ち戻って

第II部 障害児教育における「当事者」とは

第6章 「子殺し」する親も子どもの意志を担えるのか――「青い芝の会」神奈川県連合会の主張に着目して(渡邊真之)
 第一節 愛と正義を否定する――青い芝における一九七〇年の転換点
 第二節 養護学校義務化反対運動のはじまり
 第三節 「当事者・保護者の学校選択権」の登場
 第四節 子どもの「自立」への捉え直しへ 

第7章 「ぼくはにんげんだ」――金井康治の就学闘争二〇〇〇日(末岡尚文)
 第一節 金井闘争とは何か
 第二節 闘争二〇〇〇日
 第三節 康治の意志と支援者らの応答
 第四節 人権としての普通学校就学と障害児を取り巻く関係性 

第III部 「発達」を批判し,発達にこだわる

第8章 どの子も一緒に取り組める授業の追求――八王子養護学校における「総合的学習」(坂元秋子・柳 準相)
 第一節 八王子養護学校の歩み――創立から一九七〇年代中頃まで 
 第二節 「闘う障害者」たちとの出会いと就学保障
 第三節 「総合的学習」の誕生
 第四節 「ものづくり」の学習 
 第五節 生き方を学びあう「被爆のまち広島を学ぶ」
 第六節 どの子も一緒の授業とは

第9章 「見えない世界」をどう認識するのか――「盲児」のいる普通学級と仮説実験授業(邊見 信・佐伯拓磨)
 第一節 平林浩と高橋しのぶとの出会い
 第二節 一学期の葛藤
 第三節 「見えない世界」としての科学
 第四節 「ことば」で認識を形作る
 第五節 「見えない世界」をどう「見る」か――粒子のイメージ
 第六節 「盲児」が絵を描くことの意味
 第七節 「見えない世界」に発達をひらく

第10章 共生教育運動における教師のジレンマ――大阪枚方市・宮崎隆太郎の挑戦(二見総一郎)
 第一節 大阪の共生教育と宮崎隆太郎
 第二節 「発達」の問い直し
 第三節 「ともに学ぶ」の問い直し
 第四節 子供問題研究会からの問い 
 第五節 改めて普通教育を変革すること

第IV部 共生教育運動によって問い直される心理学・医学・教育学

第11章 臨床心理学における共生共育論のゆくえ――日本臨床心理学会・学会改革運動から(石神真悠子)
 第一節 臨床心理学における共生共育論 
 第二節 学会改革運動
 第三節 養護学校義務化反対論議
 第四節 学会改革の「敗退・終焉」 

第12章 医学はいかに問い直されようとしたのか――学会変革の気運とその挫折(鈴木康弘)
 第一節 医学の研究は誰のためなのか
 第二節 一九七〇年代の日本小児科学会と日本児童精神医学会
 第三節 学会の外での共生教育運動を支えた医師たち
 第四節 「診断理性批判」のゆくえ 

第13章 教育学における応答――少数の教育学者たちによる理論的挑戦(江口 怜)
 第一節 共生教育運動からの教育学への問い
 第二節 日本教育学会の動向
 第三節 数少ない応答の学問的背景
 第四節 近代公教育を超えて――岡村達雄の共生論 
 第五節 教育学の臨界点で

第14章 継続する検査技術――就学時健康診断における知能検査から見えてくるもの(柏木睦月)
 第一節 「排除」は現在も続いているのか
 第二節 就学時健診の概要と知能検査の位置づけ
 第三節 知能検査の実態とその変遷
 第四節 精緻化する「排除」の中に生きる

終 章 かすかな光へ――「共生」と「発達」の緊張を引き受け続けること(小国喜弘)
 第一節 本書で明らかにしたこと
 第二節 かすかな光へ

後書き(小国喜弘)
 

関連情報

書評:
青木千帆子 評 (『メディアがひらく運動史 (社会運動史研究3)』 2021年7月15日)
https://www.shin-yo-sha.co.jp/book/b586837.html
 
住友剛 (京都精華大学教授) 評 (『教育学研究』第88巻第1号 2021年3月)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kyoiku/88/1/88_106/_article/-char/ja/

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