原題は Gender and sexuality in modern Chinese history というとおり、本書の主眼は中華民国・中華人民共和国およびそれに先立つ後期帝政中国 (主に清代) におけるジェンダー秩序やセクシュアリティ構造の展開を描くことにある。
著者スーザン・マン氏は米国における中国ジェンダー史研究を牽引してきた存在であり、本書に先立ち2009年に刊行された著書 The Talented Women of the Zhang Family (張家の才女たち) により米国歴史学協会 (American Historical Association) の東アジア史部門フェアバンク賞 (John K. Fairbank Prize in East Asian History) を受賞された。『張家の才女たち』の舞台がそうであるように、マン氏のご専門は清代であり、本書も前近代に関しては明清期に関する記述がとくに充実している。ただし、日本語タイトルに「中国史」とある通り、本書では各章において古代からの通史的概観が示されており、本書を通読することで、近代を境にした中国の変化と不変 (まさに、出版社による帯コピー「変わるものと変わらないもの」) を追うことができる構成になっている。
本書を語るうえで外せない長所のひとつは、英語圏における2000年代頃までの中国ジェンダー史研究の成果や動向を大きく把握できることである。既に2020年代に入り、今後は英語圏での研究もいっそう蓄積されてゆくことが見込まれるが、中国ジェンダー史研究の草創期に先駆者によって示された論点や関心の所在を把握することは、現在の議論の枠組みの正否を検討することにもつながり、今なお意義を失わないであろう。
本書は一般紙での書評のほか、中国近現代史・ジェンダー史を専門とされる諸家によってすでに多くの書評があるため、中国古代史専攻の訳者がさらに言を費やすのは屋上屋を架すに近しいことであるが、本欄でとくに挙げたいのは、本書「おわりに」にみえる一節「異なる文化においてジェンダーとセクシュアリティがどのように扱われているかを知ることは、世界に生きるということの多様性に対して目を向けるということに等しい。〈中略〉セクシュアリティについての批判的歴史分析をおこなうことの有益さは、心を開いて自由な精神をたずさえ、自文化の抱える危険な制約や輝かしい可能性についての内省的な気づきを得ることにあるのだ」(264頁) という部分である。アメリカの大学で教鞭をとる中国史学者 (現在は名誉教授) という立場から発せられた真率な信念は、日本で学び研究する我々にも警鐘として響く普遍性をもっている。
訳者からみて本書に若干の憾みがあるとすれば、経書・史書・文語小説といった古典籍からの引用に関しては、英語圏で刊行された訳書からそのまま引用されていることが多く、原文と英訳の対照確認が必ずしもおこなわれていない恐れがある点である。むろん著者の漢文読解の問題ではなく、あくまで時間や資料アクセスの制約によるものと思われるが、中国語圏や韓国・日本の中国史研究書籍ではこういったことは生じにくいため、一応の注意を要する (本書の訳注で補足した点もある)。
(紹介文執筆者: 日本・アジアに関する教育研究ネットワーク (ASNET) 助教 板橋 暁子 / 2020)
本の目次
序章 <閨秀>と<光棍>
第一部 ジェンダー、セクシュアリティ、国家
第一章 家族と国家――女性隔離
第二章 女性の人身売買と独身男性問題
第三章 政治と法のなかのセクシュアリティとジェンダー関係
第二部 ジェンダー、セクシュアリティ、身体
第四章 医学・芸術・スポーツのなかの身体
第五章 装飾され、誇示され、隠蔽され、変形された身体
第六章 放棄される身体――女性の自殺と女児殺し
第三部 ジェンダー、セクシュアリティ、他者
第七章 同性関係とトランスジェンダー
第八章 創作のなかのセクシュアリティ
第九章 セクシュアリティと他者
終章 ジェンダー、セクシュアリティ、公民性
おわりに ジェンダーとセクシュアリティは歴史分析に有益か
関連情報
Susan L. Mann “Gender and Sexuality in Modern Chinese History” (Cambridge University Press, June 2012)
https://www.cambridge.org/core/books/gender-and-sexuality-in-modern-chinese-history/A56EED2569B4B3148C0D4D32642F88A4
書評:
高嶋航 評 (『東洋史研究』75-1、p155-p162、2016年6月)
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/242814
大島立子 評 (『中国女性史研究』25、p73-p76、2016年2月)
https://sites.google.com/site/chinesewomenshistory/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%A5%B3%E6%80%A7%E5%8F%B2%E7%A0%94%E7%A9%B6%E4%BC%9A%E3%81%A8%E3%81%AF/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%A5%B3%E6%80%A7%E5%8F%B2%E7%A0%94%E7%A9%B6%E4%BC%9A%E3%81%AE%E5%87%BA%E7%89%88%E5%88%8A%E8%A1%8C%E7%89%A9/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%A5%B3%E6%80%A7%E5%8F%B2%E7%A0%94%E7%A9%B6%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC%E4%B8%80%E8%A6%A7
姚毅 評 (『ジェンダー史学』第12号、p110-p114、2016年)
http://ghaj.jp/Journal/pg116.html
林香奈「新刊紹介」 (『女性史学年報』26、p120-p122、2016年)
李小妹 評 (『ジェンダー研究』第19号 2016年)
http://www2.igs.ocha.ac.jp/wp-content/uploads/2016/02/06%E6%9B%B8%E8%A9%95-%E6%9D%8E.pdf
張瑋容 評 (『アジア遊学 (特集: ジェンダーの中国史)』191、p290-p295、2015年11月)
https://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&products_id=100534
荻上チキ (評) (『朝日新聞』 2015年8月23日)
https://book.asahi.com/article/11599730
秋元由紀 評「中国では、かつて「同性愛」も当たり前だった」 (東洋経済ONLINE 2015年8月1日)
https://toyokeizai.net/articles/-/79017
井上章一 (風俗史家) 評「欧米の諸研究、縦横に活用」 (『日本経済新聞』夕刊 2015年7月9日)
https://www.nikkei.com/article/DGXKZO89088560Z00C15A7BE0P01/